続杜の都(復路)

前々回記事の最後の部分で、呼び込みに捕まったの部分で
週一氏が相当気になっている様なので続けます(核爆)

そんな事で呼び込みに捕まりました。無理やり入店させられて、遊んで楽しかったとかぼったくられたである事を期待したと思うのですが、いやぁ~、それは残念(爆)

そうであれば、もう少し脱線を継続していましたよ(核爆)

まあ、あれから難なく逃げてアパートに戻ります(爆)

翌日も2枚の履歴書を持って、都内の一攫千金バイトを完全に諦め、
地元の飲食店でバイトを探し、何とか雇って貰える事になりました。

居酒屋や夜の飲食店でバイトをして、四ヶ月ちょいで車を購入する事ができました。

今でも絶対に忘れない58万円でした。

千葉の南行徳まで車を取りに行きました。今でも忘れません。
下記は大学の表門前で撮影したものです。

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本当はもう少し高い車(430)を買いたかったですが、それどころじゃなく
早く車に乗りたかったのです(爆)

これは大学時代の友人が撮影したものですが、私はその友人の代理で
昼のバイトもしました。それはまさかのホストの仕事です(爆)
車を買えば、その後は改造したくなります。改造費は車体以上に金が掛かるのですよ(爆)

やはり、ダンスは嫌でもホストの夢を諦め切れなかったのでしょうか?(爆)
因みに、そこのお店はロイヤルホストと言うところでした(核爆)

どっぷりとバイトに浸かり、大学に行かないどころか試験も受けないでしまいます(核自爆)

当たり前ですが留年が決まりました。

遊んで来いと言った親父ですが、留年の通知には困ったのでありましょう。

どんな生活をしているのか政子さんに直々電話をして確かめたと言います。

政子さんは、状況を伝えたと言います。

「引越しして来て、すぐに原付バイクを買って乗っている様だ」
「夜中に帰って来て、昼頃まで寝ている事が多い」「車を運転している姿も見掛けた」

親父は、学校には行っていない、車を乗り回している等を考えて
念入りに調査を開始するのでありました。

そして、そんなアルフィー桜井、もとい、ある日、ついにXデーが来たのでありました(爆)

バイトからアパートに帰ると、部屋に豆電球の明かりがついていました(汗;)

まあ、恐らく消し忘れかなと入って行くと、男物の革靴が脱いでありました(大汗;)

女性のハイヒールが脱いであったと言うなら良かったのですが、そんな世の中あまちゃんじゃありません(核爆)

何と親父が鼾をかいて寝ていました(核爆)

夢を見ているのか?夢であって欲しいと願うのですが現実でありました。

マジ実話で、フィクション大魔王などではありません(爆)
留年した事など分かっている筈なのに、何の連絡もなかったので
さすがに不気味でありました。

留年が決まった頃、「大おかん」から「ちゃんと学校さ行って勉強してんなだろ?」と電話があったくらいです。方便か分かりませんでしたが「小田和正」だと言いました(爆)

親父には、たまたま遅くなったとかで誤魔化されるようなものではありません(苦笑)

「これで青春も終わりかなと」とマジで呟きました(核爆)

ツイッターが始まる何十年も前に、既に呟いているのですよ(爆)

いくら怒られても社会勉強をしろと言ったのは親父だろうと言う言い訳があった訳です。全てを話しましたが親父は全く怒る事はありませんでしたね。

親父は「バイトをしているのは知っていた。バイトが悪い訳じゃないが、
留年は駄目だ!」と言います。

私は大学に行って勉強するつもりなど、一ミリもありませんでした。
もう大学にいくつもりはない事を正直に伝えました。

大学には退学届けを出す事にしましたが、バイトは区切りの良いところまで
続けさせて欲しいと言い親父を納得させました。

バイト先の店長からは親父が帰るまで休んで良いと言われていました。
翌日も泊まって、その次ぎの日に親父が帰ると言います。
二日目は、親父と生まれて始めてのサシ呑みでありました。

一軒目居酒屋に行きました。

親父はどこか一番行きたいお店はないかと打診して来ましたので、
たまにバイト先の店長から呑みに連れて行って貰っていたサパークラブに二次会で行く事にしたのです。

いやぁ~、マジで目を疑いましたよ(爆)
親父のダンスの巧みな事に仰天でした(核爆)

ジルバだろうが何でもござれでありました(爆)

まあ、そんな事でXデーがゴールデンウイーク明けでありました。
旅館が忙しくなるのは海水浴時期の7月からです。

6月いっぱい働いて、7月1日に帰る約束をしたのです。

そして、最後の一ヶ月半の間に大事件を起こしてしまいます。

反社会的勢力のお弟子さんと言うか玉子の方と争いを起こし、
愛車を潰されてしまいます(超ウルトラ掛自爆)

天下の仁三郎と喧嘩はしてはいけないと常々言っていますが、
その様なプロの集団にも逆らっては行けないと痛感した時でもありましたorz

今は爽ですが、あの当事は鳥井さんのリザーブを呑めば恐い者無しでありました(爆)
しかし、世の中上には上がありますorz

結局は一ヶ月半の間に二度も「これで青春も終わりかなと」呟いたのでした(核爆)

7月1日に帰り、親父の第一声は「あづし、あの車は?」(超ウルトラ核掛自爆)

それに付いては、更に脱線の懸念がありますので水戸の中納言ではありませんが「もういいでしょう」(核爆)
結局は親父に引導を渡された話でありました(爆)

もしかして、やや脱線どころか超脱線か?(核爆)

そんな事で話を戻しますが、セカンドドーターはチャリンコを勝手に買いましたが、車は買いませんよ(爆)運転免許証を取得していないからです(核爆)

ブンチョウでバイトしたなんて事も絶対にありません(核爆)

私はセカンドドーターに「バスケを頑張って来い!」しか言っていませんし、
「おかん」もバスケ以外に「勉強もの!」と母親として、つきなみの事を言っただけであります。

親の言う事はよく聞く娘ですので心配は要らないと思います(爆)

私にとっても父親には逆らえなかったので、忠実に社会勉強をして来たのであります(爆)

もう二年半、社会勉強をさせて貰ったら、330どころか530の新車を買えるところでした(超核爆)

そして、纏めてみると私は相当の親孝行をしたと思います(爆)
あと二年半の学費や生活費を負担させていたら大変だったと思うのです(核爆)

奨学金も使わずに大学に入れてくれた訳ですが、それでも負担は容易ではなかったみたいです。4年の予定が1年半。そんな短期間でも他の学生よりは社会勉強をできたと自負しているのです。

そんな事ではありましたが、喉も渇き、腹も減ったので話を一番最初に戻しましょう(核爆)

まずは鶏唐揚げです。

『爽』のボトルもオーダーしました。

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野菜炒めです。
何をオーダーしても提供が早い!
そして、味も間違いないのですよね。

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餃子も間違いの無い旨さです。

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「おかん」の味噌ラーメンです。

野菜の炒め方が最高です。

ちょいと火の通し過ぎのお店が多い中、どんぴしゃの炒め方であります。

そして、いつも感心するのは麺です。

非常に良くできた麺だと思います。

味噌ラーメンにも醤油ラーメンどちらにも合う麺、相当試行錯誤されて
今の麺になったのだと思われます。

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半チャーハンです。

チャーハンは中華鍋の大きさにもよりますが、普通の大きさで
一人前~二人前が一番上手に作れる量だと思います。

多いのも作り難いですが、少量はさらに難しく上手に仕上がらないものです。

しかし、ここの店主は達人技であります。

まずは中華鍋の手入れが良いのが分かります。
玉子の色を見ると判断できます。

あとはご飯の硬さであります。

軟らかいご飯は問題外で、粘り気の出るご飯もNGです。
味付けも一味足りないくらいが最後まで飽きずに美味しく頂けます。
一味足りないけど、チャーシューの刻みやハム等が薄味をカバーするかの
バランスです。

こればかりはレシピは難しいかもしれません。
ご飯の量や具材の量を正確に量り、塩や醤油数滴まで量るのか?(爆)

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そう言えば、大学時代自炊でしたので、チャーハンは得意料理の内の一つでした。

ご飯を硬めに炊いて、具はネギと紅鮭と言う鮭チャーハンを作っていました。
結局はチャーシューを作るのが面倒であったからもあります。

いつ食べても飽きない紅鮭でしたが、たまに普通のチャーハンも作る様に
なりました。チャーシューが面倒なので、豚バラスライスを微塵切りにして、
フライパンで醤油と味の素を入れて炒ります。

これだと、チャーシューの代用に簡単になるのです。

大学近くの食堂、そして、バイト先近くのラーメン店でチャーハン作りの
醍醐味をガン見していた私はアパートで同じ様な事を試したのでした。

これがチャーハンアパート小火事件なのです(爆)

大学時代は更に多くの事件を起こしていますが、書く方も読む方も限界が
来たと分析しますので遺憾ではありますが割愛させて頂きます(核爆)

今度ご一緒する機会がある方で、事件等に興味がある人にだけ
お聞かせする事にします(爆)

まあ、こんな記事を読んで喜んでいるのは羽後塾長くらいでしょ?(核爆)