この日は久しぶりの川井商店さんにシャッターしました。
できれば満席になる前に逃げられれば最高との段取りで向いました(笑)
まあ、満席になっても全く密にはなりませんし、換気も徹底されていますし、
何も心配する事はありません(肝心)
恐らく8月8日(土)から16日(日)まで、ほとんど営業をしていなかったと思いますよ。
11日と12日の平日だけ営業したものでしょうか?(憶測&感心)
一年で一番の繁忙時に休める勇気。
まあ、営業する方もある意味相当の勇気が無いとできませんけどね。
やはり、川井社長は商売への執念は異常なものがあると思いますが、それでも恐怖で休業と言う決断をした訳です。
決して、左団扇のゆとりで休んだのではない事だけは確かでしょう。
何か、ここまで細心の注意を払い、徹底しているところを見ると、ここのお店に訪店して、万が一感染しても納得行くと言うか諦めが付くというものです。
それだけ慎重な営業をされていると思います(気の毒&感心)
超安全運転だと敬服に値すると思います。
大昔の暴走半島危険行為とは天地の差(謎核爆)
内儀の舞妓氏の青春時代はどんなものだったのでしょうか?
川井社長や私の年代とも少し違う年代でありますがどうだったのか?(笑)
速い車に乗っけられても急にスピン掛けられても恐く無かったのですかね?(爆)
まあ、スピン掛けられても吊り革を握り、箱乗りするくらいでないとガチの不良とは呼べませんけどね!(超危険爆)恐らく、舞妓氏は違うと思いますよ。
差し歯じゃ無いのよ前歯は、入れ歯じゃないのよ奥歯も…歯・歯・歯(明菜爆)
舞妓氏は若い。差し歯でも入れ歯でもありませんよ(失礼爆)
さて、この日は極太麺を頂く事にしました。
個人的には細ストレート麺は打ち立てが断然旨いと思いますが、極太麺は一日置いても旨いと思います。5日~1週間も冷蔵保存し寝せた麺が好きな人もいます。
まあ、打ち立ての旨い麺は寝せても旨い。打ち立てで美味しくない麺は寝せてもあまり期待できないんじゃないかと思います(笑)
小麦の風味を味合う、喉越しを楽しむ、皆好みは違いますし、茹で加減でも全く違う麺に感じると言うか、そうなってしまうのです。
それにはスープとのバランスが最重要になってくるのですから麺料理は非常に難しいです。もとい、麺料理も難しいですね(苦笑)
麺ソムリエ、舞妓氏が選んでくれた極太麺は一日寝かせたものだと言います(嬉)
整理券も紙と言う事で、より安全な容で工夫しています(感服)
川井社長に打診してひっくり返りそうになりました。
紙は使い捨てで、毎日手書きしているそうです(仰天;)
まあ、10枚や20枚なら面倒くさがりの私でも書くかもしれませんが、桁が違います。
元の番号札を営業終了着に消毒するのとどちらが手間なのですかね?
どちらも大変ではあると思いますが、苦肉の策の感は否めないですね(気の毒)
油抜き、極太、小盛り。外内島、硬めです!そして、いつもの海苔とメンマのTです。
余目ですが、いつも素晴らしい麺です(笑)
いやぁ~、もう中森氏が配膳しようが他のバイトさんが配膳しようが、
麺を啜った瞬間に舞妓氏の顔が頭に浮かびます。
それでこそ本物です。キッチンタイマーの音の後の川井社長の渾身の湯切りの音が聞こえた時は川井社長の顔が浮かびますが、啜った瞬間にどこかに消えて行きます(爆)
この日は中森さんの配膳でしたが、本当は舞妓氏の配膳の方が一ナノメートルだけ美味しく、そして、2倍くらい嬉しく感じるかもしれません(冗談爆)
食べていると、川井社長の威勢の良い「どうぞ、いらっしゃいませ~」の声が連呼。
食べ終わり、振り返ると、既に満席になっていました(凄;)
会計を済ませて退店する時には、待ち合い長椅子にも待機するお客さん。
激込みワロタwww前に逃げ出して来る事ができませんでした(笑)
11時30分前には、溢れて外待ちになる事必至と見て来ました。
やはり、多くのファンがいますので、お盆休み期間中に食べられなかったお客様が殺到したのでしょう。
いやぁ~、実に素晴らしく感動的でありました!ファンタステックでありますなぁ~。
店名からも太麺が一番多く出るでしょうが、いつも太麺を食べている人には極太麺を是非ともお勧めします。
限定なので、必ず開店時間には並んだ方が良いですよ!
11時~11時30分が勝負時間です。
次は細ストレート麺をオーダーすると思います(多分爆)
あとは自分ばかり旨いラーメンを食べて満足するだけでなく、お持ち帰りラーメンをお土産で購入するとお家の方にも喜ばれますよ!
できれば、購入するだけでなく、作って食べさせてあげましょう。
説明書きを良く読んで!不安ならば、会計の時に特に注意する点、或いは、更に美味しく食べられる調理法を聞いて来ましょう!
さて、話は全く変わりますが、第一弾の対策アイテムが届きました。
アルコール消毒液は、既に1斗缶入荷待ち。マスクは腐らないと思いますが、腐るか心配な程確保できそうです。
アルコール消毒&マスクは営業を自粛する前からありましたが、
その後に段取りして届いた最初のアイテムです。
早速自らで体温を測ってみました。
一度目35度9分、二度目36度4分、三度目、35度8分、四度目35度8分。
何とか同じ数字が出て、一ミリだけ納得(爆)
35度8分なんですが、地元呼称は8分(ふん)って言うの知っていますか?(不思議爆)
今の若者や子供達は知りませんが、我々年代、勿論、その上の年代は分(ふん)って言います。確かな事は分かりませんが、城下町管内の人間だけが緯度経度と混同したのかでしょうか?(核爆)正に、とんでもはっぷん(爆)
恐らく港町管内では、普通に分(ぶ)と言うと思います。
少なくとも徒然人さんの住む、更に北の由利本荘市は分(ぶ)でありましょう。
いやぁ~、本当に徒然人さんが私等と同年で、45年前に本荘から転校して城北小学校に来ていたらどうなっていたかと?(爆)
私と同じクラスならば、転校生に優しい小生がいるので安心ですが、
先だっても挙げたマタリキなどがいるクラスに転向して来たら大変だったと思います(爆)
体温を測って、徒然人さんだけが、35度8分(ぶ)と発言しただけで、
即座にマタリキの苛めの餌食になったでありましょう。
正にその日から村八分です(爆)
まあ、少なくとも徒然人さんが体温を測っている最中に、
マタリキは「どうだ?熱あるが?」と急かし、徒然人さんは「熱はねぇだす」と答えた瞬間、「熱なかったら死んでっろや~」と地獄へ突き落す様な勢いで責め立てたと予想されます(核爆)
その前に方言でやられる懸念があると分析します(爆)
エレメンタリー時代、マタリキは小さな事にも、すぐムキになります。
二言目には「命懸けるか?」と凄んで来ます(爆)
自らの失言を指摘されると逆切れして、その児童に襲い掛かります。
誰が言った?いづ言った?何時、何分、何秒、何月何日何曜日、温度は天気は気温は水温は風の向きは?などと捲し立てます(爆)
温度と気温の違いはとか、どこの水温などと揚げ足を取ろうものなら、
まさに最悪、蛇に睨まれたカエル以下になります(爆)
更に立て板に水で凄んで来ます。近くに正敏君などいれば、王貞治の父ちゃんの友達の名前は?とか全く訳の分からぬ事を言って追い打ちを掛けて来ますよ(爆)
あれっ!?また、余計な事を書いてしまうと言うか脱線の兆候と自ら気付きました(核掛自爆)
先日もスーパーで知り合いから、ブログ長過ぎて休憩時間に読めなかったと言われました(爆)
極力脱線はしない様に注意しますが、ご本人がこちらを読んでおられるのならば、ここで止めて仕事に戻って下さい(爆)
さて、話は戻りますが価格は驚きの福沢諭吉氏前後。
高いのか?安いのか?
全てにおいて、一言で表現すると、最近多くの人間が使っていると思われる「微妙」ってところでしょうか?(笑)確かに…(爆)ですよね?(爆)
前回も書きましたが、お客様への検温の協力は今のところ一ナノメートルも考えてはおりません。
これだけ無症状の感染者の発表が多いと、無意味と判断せざるを得ません。
スタッフを一人付けておけば、それこそ人件費のダムって言ったところか?(爆)
ただ、スタッフ等と我々家族は朝一で体温を測ってから従事しようと考えています。
気休めに過ぎないかもしれないけど、その気休めが2つ、3つ、4つと増える事が、ノベルコロナウイルス感染予防に多少でもなるのではと言う思いであります。
些細な事でも注意して仕事に従事する事はノベルコロナウイルス感染拡大以前にとても大切な事だと思います。
検温はともかくも、他の気休めが重なりインフルやノロ等の予防にもなるものならば、やって損はありません。
まあ、飲食店を経営していなくても、他の全ての人が色々な面で気を付けていたので、インフルに掛かったとか(ノロも含めて)寒さを捕まえてしまったと言う話を個人的にはほとんど聞かない冬であったと思います。
やはり、マスクは重要なのだと思います。後は手の消毒と言うよりも手洗いはかなり重要だと素人ながら思っています。
因みに私の幼い頃(4歳~6歳時)に、具合が悪くなると100%往診して貰っていました。
往診依頼の電話を祖母がすると、必ず用意していたものが洗面器に入れた水?とタオルだった記憶があります。
具合は悪いですが、注射は絶対に嫌だと先生の動きも常に注意して見ていましたから!
それでも往診に来ると、痛恨で100%注射でしたorz
やられる前は、恐怖感ですが終われば即座に安堵に切り替わります。
その後、すぐに先生は洗面器に入った水か?ぬるま湯か?熱湯では無いだろ?(絶対爆)で手を洗っていたのを覚えています。
とにかく、小さい頃注射は大嫌でした(苦笑)まあ、好きな人はまずいませんね(爆)大人になると注射が止められなく大馬鹿者が後を絶たないのは本当に大問題ですけどorz
っうか、今思えば交通量が今と異なるとは言え、その当時の自宅前の道路は駐車禁止では無かったのか?(爆)
冗談はさておき、それから小学校低学年になると、余程でないと往診では無く
通院した訳です。
まあ、そこでも絶望的で、必ず注射でしたよorz
昔は注射です。今は、飲み薬に注射する成分が入っているものと分析、寒さを捕まえたくらいでは注射はしなくなったのでは無いですかね?(素人憶測)
注射すれば診察は糸偏に冬。先生は即座に手を洗っていたのを私は見逃しませんでした。
その前に、ミミズが這った様な字を先生は書いているのが実は非常に気になっていました。
あの字が日本語では無い様な感覚はエレメンタリー低学年の私にもありましたが、日本語かもしれないと言う疑いの目もありました。
ジャイヤンツとタイガースの違いは判っていましたが、この件においては半信半疑でした(爆)後に少しだけ触れたいと思います。
とにかく、私は幼稚園、エレメンタリー低学年までは決してひ弱では無いと言う認識はありましたが、とにかく寒さを捕まえてばかりでしたorz
特に冬期間は何度も寒さを捕まえてしまい、幼稚園時とエレメンタリー時は、往診、そして医者通いの連続でしたorz
それがひ弱なのか?(核掛自爆)
理由は明白との自己分析。
親父と「大おかん」は旅館業が激忙。成長経済でもありましたから、子育ての両立はできませんでした。
私は祖母と二人で暮らしていたのです。祖母にしてみれば、孫の私に寒さを捕まえさせてしまったりしては、両親に申し訳ないと思ったのでありましょう。
まあ、その気持ちは当然で、有難く感謝しなければならない気持ちではあるのですが、育て方が最悪だったのです(結果掛爆)
冬はとにかく厚着をさせられました。一番の原因でありましょう。
そして、掛布団が半端無い(核掛自爆)
寝る前まで室内の温度も半端無く、そして、極めつけは電気毛布と極冷えの日には湯たんぽ(言語道断爆)
寒い日であればあるほど厚着と事ほど左様な事をして就寝させる訳です。
外内島、余目でいつのまにか全て蹴飛ばして寝ている訳です。
夜中寒いと感じて目が覚めた時には、ほとんど寒さを捕まえていると
言う訳であります。
頻繁に寒さを捕まえて医者通いしている事は、両親にも報告はし難かったのでありましょう。気持ちは十分に解りますよ。
このひ弱対策を自らで直したのですから凄いでしょ?(爆)
直った発端は、痩せ我慢、最後は意地の張り合いです。
城北小学校時代の三年~四年時の二年間の担任『マウンテンライスフィールド・スノー』先生でした。
いやぁ~、こんな良い先生いるか?って言う程最高の先生でした。
四年時、私は前代未聞の大事件を起こし大目玉を喰らいましたが、それは私が悪い訳ですから当然で例外話です。怒らない先生は逆に良い先生では無い訳です。
そんな先生は、冬の体育の授業の運動着が自由だったのです。
まあ、二学期からそうではありました。
8月末の晩夏ですから、半袖半ズボンが当然の出発点。
秋になり、通学は下着代わりに半袖の運動着、その上に長袖の運動着。
下は下着代わりに半ズボン(嘘爆)パンツを穿いて短パン運動着を穿いて通学。
冬には短パンの上から長ズボンの運動着を穿いて通学。
そして、体育の時間は、半袖長ズボン、或いは、長袖半ズボンで授業を受ける児童はいました。大体が動いて暑くなると、長袖の運動着を脱いでの半袖長ズボンの容が多かったのです。
師走にもなれば、ほとんど長袖長ズボンで教室から体育館へ移動し授業を受ける訳です。
既出のマタリキもこの2年間はクラスメイト。
彼は日頃、調子をこき過ぎていたのは承知の通りです。
さすがのマタリキも、そこそこ調子こいていたと思うのですが、真冬の体育館での体操の授業では断念。
徐々に脱落して行き、最後に残ったのは、私と「ただし君」でした。
教室から体育館へ行く時から半袖半ズボンでした。
その「ただし君」の姓が確かシュガーだったと思います。名前は禎史君だったか?禎君だったかな?
ただのやせ我慢、意地の張り合い大会であったと分析します。
マタリキは「馬鹿二人、早く風邪引げ!」
しかし、いくら寒くても寒さを捕まえる事はありませんでした(不思議)
寒いので常にちゃかちゃか走り回っていました。
寒い理由で走り回っていたのに、2月期の通信簿にいは、「落ち着きが無い、もう少し落ち着きが欲しい」と書かれました(核掛自爆)
また、エレメンタリーのマタリキ関連の話になると大きく脱線するといけませんので話を少し元に戻します。
エレメンタリーの低学年時、内科医院の帰り道で祖母に恐ろしい質問をしました(爆)
掛「お婆ちゃん、お医者さんって馬鹿でもなれるの?」(核爆)
祖母「馬鹿じゃなれないどころか難しい大学を出ないとなれないよ」
掛「だって、字が俺よりも下手だったよ」(爆)
祖母「あれば英語で書いているだよ!英語はとても難しい外国語なんだよ」
何でも知っている祖母、その時はそう思い感心しましたし、
医者になるには勉強が大変なんだと子供心に思っていました。
しかし、ジュニアハイスクール時代に再び、その内科医院に行き、
カルテに書いた字が英語では無い事が分かります(笑)
いやぁ~、祖母は知ったか振りをしたのか?マジ適当な事を孫に教えてしまったのでした(爆)
そして、カルテの字がどこの外国語か全く分かりませんでしたし、
興味も無かったので調べようともしませんでした。
そして、判ったのが大学1年時の入学直後の4月です。
大学では英語の外にドイツ語を専攻しました。
ただ、ドイツ語の授業は一度しか受けていません(核爆)
大学で覚えて来たドイツ語の文章はたったの2つです(爆)
私はあなたを愛しています(イッヒ リーベ ディッヒ)
私はビールを吞むのが好きです(イッヒ トリンケ ゲルン ビアー)
そんな馬鹿大学生の話はともかくも、ジュニア&ハイスクールでは必ず英語を習います。ドイツ語はまず習いません。
英語は分かるけど、ドイツ語は分らない人の方が多いのは明らかです。
そんな事からもカルテはドイツ語になったのだと分析しています。
今は患者本人に隠さず告知される時代になりましたが、昔は本人には隠して、
本当の事は告知される事はなかった時代。
カルテに癌(末期)とか日本語で書かれていたら、すぐに気づかれますからね!(爆)
癌は英語でキャンサーです。
colorectal cancer 大腸がん
Stomach cancer 胃がん
Lung cancer 肺がん
英語でも癌と書かれたら分かる人は分かります。
しかし、ドイツ語ならばほとんどの人が分かりません。
患者を英語で?と打診すると、英語の分からない人は苦し紛れで「クランケ」と答える人が多いと分析しますが、英語ではPatient(ペーシェント)です。
クランケは、それこそドイツ語なのです。
そんな事ですが、カルテは患者に分られない様に、ドイツ語で書き、
ドイツ語を少し分る患者にも、解かられない様にわざとミミズが這った様な筆記体字で書いているのだとの見解です(憶測爆)
そんな事ではありますが、往診でも医院での診察後に、先生がうがいをしたのを見た事は一度もありませんでした。
そんな事からも、うがいはさほど重要では無く、手洗いが最重要との認識が今でもあります。
手洗い、勿論、手の消毒も含めて、マスク着用は必要不可欠の予防対策でありましょう(月並み苦笑)
第二のアイテムも重要かどうか判りませんが、今週中には届く予定となっています。
あと、ひと月になりましたよ(大汗;)
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