友人の一周忌

同級生ネタですので、一般の方はスルーして下さい!

さて、既出のたもちゃんが他界してから、一年になろうとしています。
本当に一年って早いもの、早く感じますね。

彼の母上に、メロン一箱を持ってお邪魔して来ました。

相変わらず、民芸品などの内職作業をしていました。
最初に見たのが、彼是35年前の大昔の事にはなると思います。

彼の父親は、若くから闘病生活をしていて入退院を繰り返していました。
彼が高校生時に、肝硬変で力尽きました。

不眠不休で作ったお土産品の収入を全て、医療費につぎ込んだと言います。

戦時中の貧困の時代でもないし「苦労」って言葉を簡単に使っては
いけないとの認識は承知していても、たもちゃんの母上は、
本当に苦労したと思います。

中学時代~高校時代に掛けて、他の同級生の多くの
親は私を外見で判断して、寄せてくれないどころか、
一緒に遊ぶなと言っていた親もいたのは事実です。

まあ、人は、大体は見掛けによりますから仕方無い事ではありますし、
中身もかなり悪いと判断されたのかもしれません(爆)

それでも、彼の母上は寄せてくれて、食事までご馳走してくれること
度々でした。
どう考えても生活に余裕など無いはずなのに、私以外の友達が遊びに
行っても「うどん」を煮たりしてご馳走してくれるものでした。

鶴の徽章学校、前代未聞の事件の主犯格とされていた私でしたが、
その時も、自分の親以上に「二度としては駄目だぞ!絶対に約束だぞ!」
と強く叱ってくれて、「いつでも家には遊びに来て良いぞ!」と
声を掛けてくれました。

あまりにも有難く、そして、情けなかったのを覚えています。
生涯忘れる事は無いでしょう。

 
そんな話をたもちゃんのご仏前で、母上にお話して来ました。
彼の親ですから、当然高齢です。父上とたもちゃんが納骨されている
墓を守って行く人がいません。

元気な内に永代供養をすると言っていました。
可愛そうですが、こればかりはどうにもなりません。

たもちゃんは、毎日、隅から隅まで新聞を見ていたそうです。
新聞を読めないと困るだろうと、毎日、その日の朝刊を上げているそうです。

そう言えば、普通の人が知らない事を何でも知っているものでした。
私のところの送迎バスの運転手をしている時も、お客様からよく褒められ
るものでした。

私は要所要所しか見ないので、今後はなるべく隅から隅まで
読む様に心掛けたいものです。他の人と会話をした時など、
必ず役に立つ何かを身につけられるでしょう。

とても大切な事だと思います。

もし、同級生がここを見てたら、たもちゃんの一周忌に
手だけでも合わせてあげて下さい!

急死したのが、昨年7月10日の事です。

さて、そんな事ですが、これから鶴の徽章学校の同窓会の
実行委員会へ出掛けて来ます。

高専花子氏の代理出席ですが、全て段取りも出来て
出欠を待つだけの状態で、私なんか邪魔しに行く様なものですが、
一応、委員長のkuri氏から再三のお誘いがありましたので
行って来ることにします。