潮汲み場

琴平荘の南側の磯を潮汲み場と昔から云われています。
100571-0140_IMG.JPG
太平洋戦争の敗戦後、塩造りが盛んに行われた場所です。昭和20年終戦で30年代は    あまり造らなかったと聞きますので、盛んに造られたのは10年足らずということになりますね。
しかしながら、潮汲み場の呼称は昭和に入ってからのではなく、随分昔からあるようです。        ですから戦前からかなり製塩は行われていたんでしょう。
昨日の画像です。
10kk2-0211_IMG.JPG
そして、三瀬には釜谷トンネルがあります。この付近を「釜谷」と言います。因みに釜谷トンネルは1964年に誕生しました。私よりも一つ先輩ということになりますw
1hh02-0213_IMG.JPG
釜谷は、本来は「釜屋」と解けば妥当のように思えます。「谷」は「屋」の当て字で釜屋です。
釜屋さんは、海水を汲んで釜で炊いていたという解釈でよろしいのではないでしょうか。  
海岸付近の「釜谷」呼称は全て、塩造りをしていた名残ではないかなと睨んでいます。
近くですとA海地区に釜谷坂という地名もありますから、恐らく塩造りをしていた所と思われます。
約400年前は、庄内だけで4000軒以上の民家が塩造りをしていたという記録があるそうなので、県内の海岸ならどこでも塩を造っていたものと思われます。
S瀬での塩造りに関したことが古文書に載っていないのは残念なのですが…。        それでも恐らくは造っていたに違いないと思っています。