前日に「おかん」は半兵衛出身と言いましたが、本当に
そうなのです。
昔の上清水で、現在は「ミドル清水」になっています。
江戸時代は、上下清水で2つに分かれていましたが、時代が進み
真ん中の部落を中清水として、3つに分かれたのです。
因みに、文久年間文献を参考にされて下さい。
旧豊浦村にも「小波渡」と「大波渡」がありますが、真ん中の集落を
「中波渡」と呼称していますが、中波渡集落は存在しません。
堅苔沢集落です。通称「中波渡」です。
現在は堅苔沢と大波渡と一緒に「堅苔沢」と呼ばれ、通称「波渡(はと)」
と呼ばれ、小波渡地区と合わせて、両集落の字を取り「小堅」地区になっています。
文献を参考にされて下さい!
そして、現在の豊浦地区が全て違う組になっています。
大動脈が全通するまでは、難所の山越えをしないと、小波渡まで行けなかったのです。小波渡は温海組でした。
印を確認して貰うと分かると思います。
昔からの旧道である、中山や現在の上郷地区の一部も三瀬組になっていました。
現在では1番近い由良も組が違いました。
昔は、三瀬と仲が悪かったのがお解かりいただけるでしょう(笑)
まあ、地元の人は知らない人はいませんので、そんな話はどっちでも良いのですが、「おかん」は、ミドル清水集落の「半兵衛」という屋号なのです。
因みに、三瀬にも「半兵衛」なる屋号の家が存在します。
大滝鮮魚店さんがそうです。
さて、「おかん」の実家苗字は「白幡」です。家の隣に由緒ある「月山神社」があります。
白い旗を立てて神社を起こした人たちなのでしょうか?
「旗」が当て字で「幡」に変化したのでしょうか?
調査した訳でも無いので、全く分かりません(爆)
「おかん」の実家は「旦那小路」という小路の突き当たりにある家です。
旦那衆が住んでいたところなのでしょうか?
実家の前に空き地があります。
以前から、吉田屋敷址と呼ばれていたそうです。
昔は、この辺りも全て淀川組でした。小淀川、大淀川はそこから来た地名です。
淀川組の大庄屋「吉田家」があったところなのです。
吉田屋敷、或は旦那屋敷と呼ばれているとこなのです。
まあ、詳細はいつか時間があったら触れたいと思います。
さて、お邪魔してみましょう(笑)
玄関に入ると、右の壁自体が魚拓になっています。
そして、実際に「おかん」のエルダーブラザーが釣り上げた物です(汗;)
さすが内装屋の職人です。
もしかして、船釣りか?いや、「そんな事はないそうや」と言う事でした(爆)
兄貴はまず船釣りはしません。川釣りもしません。だから、鮒釣りもしません(爆)
今は亡き「おかん」の父上が釣った真鯛の魚拓です。
チヌは頻繁に釣っている為、最初の内だけであまり魚拓は
取らなかったみたいです。
兄貴もチヌは数百匹と釣り上げているでしょうが、
真鯛のビッグサイズが長年の夢だったそうです。
親父超えの為にも!
数年前に見事、ビッグサイズを仕留めました。
とても小生にはできる芸当ではありません(苦笑)
厳冬の中、不眠不休で夜通し岩場に立ち続けるのですよ(汗;)
最近、孫が出来てあまり佐渡へと渡る事も少なくなった様ですが、
以前はまさに狂った様に渡っていたそうです。
因みに、上記のチヌとは、コウダイや2歳も含むので悪しからず。
食べてはお世辞にも旨い魚とは言えないですが、寒の時期は、まるで別の魚の味に感じる程旨いです。
黒鯛は寒クロに限ります。何とか「ろくまる」を釣らせてあげたいです。
そんな事で、「おかん」の実家の紹介でした。
ではでは!
※ 「ろくまる」 2尺以上のチヌ
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