大宮紀行記(続きその子w)

さて、探していました!こんなお店の焼とん屋さんを出てからの続きその子さんであります!当初の0次会の予定だった、駅から歩いて1分掛からない場所にあるこちらのお店です。

朝から吞めます!しかも付け出し(席料)無しと言う超良心的なお店。

大昔から繁盛して、経営にゆとりのあるお店は、お通しなどからなど儲けようとしない訳ですよ(流石)

大昔の焼き鳥屋(焼きとん)、屋台店では、焼き鳥が焼けるまで、空酒させないようにと店主が漬けた御新香などをサービスして出したくらいです。

もう、お通しの講釈も飽きたでしょうからしませんが、お金を取れるレベルの
物を提供して欲しいものです。それがガチの生き残りの第一歩だと痛感します。

一番低価格のメニューが170円。

私は未食で終わりましたが、リーチ一発モツの煮込みらしいのです。
恐らく、提供が激速なのだと思います。

それを酒のあて(肴)にする。

お通し170円と考えれば、激安です。

いやぁ~、凄いお店だと思いませんか?

大宮、お江戸からみればやや田舎ですが、我々の住んでいるところと比べれば大都会ですよ!そんな駅前で、この様な経営をできる、これまでして来たのですから凄い事だと崇拝した次第でした。

メニューです。

ウーロンハイですね!

つまみメニューです。

迷わず「タコブツ」いや、もつ煮にしておけば良かったか?

相当迷いましたが焼とん食べたばかりだし、タコが食べたかったので仕方なし。

っうか、タコブツの提供も激速(仰天)
1分と言う訳では無いか?2分は掛かっていませんよ!(多分)
いや、少し盛ったか?3分以内は確実(爆)

残り少ない時間なので、色々体験したく支店から本店へ移動(爆)

中で繋がっているのかと思いましたが違いました(爆)

対策もバッチリ!尾形対策(無錫旅情爆)

入店して行くと気さくなおばちゃんが「すみません…熱測らせてね!」

正直、私は検温自体が不快です。しかし、全てが対応なんですよね!

これまでの不快の体験では、飲食店での飲酒運転撲滅に協力の打診(確認)です。

まあ、ここでも何度も触れていますから、しつこくは書きませんが、
全て対応(接客)次第です。

大企業のマニュアルは凄いと思いますよ!思いますが、それをバイトスタッフが、やらされ棒読み状態だったら?

こちらのお店では、お店自体とスタッフの対応のバランスが非常に合っているなと感じました。フレンドリーで非常に好感が持てました。フレンドリーと馴れ馴れしいは紙一重。勿論、感じ方も人それぞれですけど私は感心しました。

このお店では、大企業のマニュアルなど一ミリも要りません。
少なくとも私はそう感じましたよ。

まあ、検温については個人的に不快だから、私のところでも実施しないかと言えばそうではありません!

ノベルコロナウイルスに感染すると、必ず高熱が出ると言うのならば、
絶対に検温の協力を一人一人して頂きます。

そして、協力してくれないお客さんは、入店を認めないでしょう!

しかし、感染しても無症状の人が多過ぎ漣なのですよ!(無意味人件費ダム爆)

だから実施はしません。今後もしないつもりです。パフォーマンスにもなりません。絶対と言う言葉は絶対に使ってはいけないと言う認識があっても「絶対」と言いたいくらいしないと思います。

さて、体温測定器を頭に近づけて来たと同時に、私も頭を突き出し軽く頭突きをした容になりました(ほろ酔い悪戯爆)

本当は大木金太郎さんばりの頭突きをしたかったのですが、止めておきました(核爆)そう言えばあの頃、皆、大木金玉と呼んでいましたよね(爆)

石頭として有名なプロレスラーでした。

そこにボボブラジルさんもいましたよね?
金玉とボボって?(爆)

ボボって古語分かりますか?(核爆)因みに、ポルトガル語では「馬鹿な」と言いう意味ですので、最悪のレスラー名を付けられたものだと可哀想に思います。

黒人で人種差別の無いブラジルに強く憧れた(生まれたかった?住みたいと思った?)らしいのでアメリカ人ではありますけど、ほぼブラジルにしてあげたら良かったのになと今更ながら思います(爆)

石頭対決にも興奮した少年時代、タイガーマスクもアニメで観ていただけに多少ですが応援した記憶があります。一番好きなレスラーは「肉屋」です(核爆)

ところで、アニメのタイガーマスクは偽りだと思って観ていた人がどれだけいたか?

控室でマスクを外したシーンで、テーブルに置いた時、「ゴトン」と音をしたのを見逃した人は?(爆)

あれは、間違い無くマスクでは無く、ヘルメットですよ!(絶対爆)

本来は『タイガーヘルメット』でなければならないのですよ!(爆)

アニメだと言ってしまえばそれまでですが、ジャイアンツのスターの準主人公みたいな花形満君がジュニアハイスクール時代からスポーツカーを乗り回しています(爆)

中学生が車の運転ですからね!

まあ、できない事は無いですが間違い無く無免許であった事は確かだと思います。

そして、速度超過も半端無いと思います。

標識の無いロードは60k、あの加速での運転ならば60kどころでは無い筈です!(爆)

そもそも野球をする資格があったのかを問われるところですよね(爆)

アニメの突っ込み話になると、相当の脱線話になる懸念があるので今日は続けず割愛します(爆)

話を戻しましますが、おばちゃん「あら~、6度しかないわ~」(核爆)

私の後ろから続いて入店して来て、見ていた若者等が「6度だったら死んでる」と爆笑しています(爆)おばちゃんも笑っています。皆が笑っています。お日様も笑っています!(サザエ爆)

今度はまともに測らせてあげて、確か36度2分だったか???

6度はガチ覚えていましたけど、本来の温度は記憶ありません!(爆)

即座に、その若者に「プットユアハンズアップ!」と言うと、1人が両手を上げながら検温をしていました(核爆)

それこそ意気投合しそうな雰囲気でしたが、それがやばい、禁物です。

生憎、2人は四人掛け席に案内され、私はカウンター席でしたので、広い店内、離れてもいるし意気投合できる筈も無く(爆)

いえ、してはいけません!油断大敵!

コロナ鍋、もとい、コロナ禍でなかったら、どれだけ意気投合して盛り上がっていた事か?(極遺憾)

コロナウイルスを鍋で煮て殺してしまえ!と言う気持は分からなくもないですが、コロナ鍋ではありませんからね!(爆)

コレラウイルス感染拡大…云々も誤りですよ(爆)

さて、私が次に頼んだものは?

サニーサイドアップです。

ツインチキンズエッグか?(笑)

実は私の玉子料理で一番好きな物であります。

一度に食べたのは余り記憶には無いですが、ハムエッグを10個です(爆)

これは「おかん」の実家での出来事で確かな数は判りませんが、恐らくは10皿と義理大おかんが当時話していたのですから、大体は当たっているでしょう(泥酔掛自爆)11皿は無いとは思いますが、9皿は間違いなく食べたでしょう(確信爆)

まあ、かなりの偏食である小生。それを義理大おかんが承知で、「おかん」の実家に行くと、自ずと気を遣ってくれるのでありました(気の毒;)

義理大おかんの得意料理、それは豚肉の生姜焼きでした。

マジで激旨と感じて食べましたよ!軽く30年以上は経ちましたね。

当時、義理大おかんは、尾浦のシックライスフィールド産商に勤めていたのです。

シックライスフィールド産商の肉、間違いはありませんからね!

肩ロースでも頭から尻尾では大差が生じます。

極上の部分をスライスして用意してくれていたのでしょう!(感謝)

極上の肩ロースの薄切りで生姜焼きをしてくれました。
3、4mmくらいだったのか?

マジ、馬鹿旨でしたよ!

産まれて初めて、こんな旨い豚焼肉があるのかと感動した覚えがあります。

生姜焼きと言っても、隠し味にニンニクを少量ですが入れていたと分析します。

甘味を付け加える為に、微量のシュガーor味醂を入れていたとも分析します。

甘さのある薄味だと、自ずと違和感。しかし、義理大おかんの味付けは半端無い醤油屋の回し者みたいな使用(核爆)

かなり濃い味の生姜焼きが激旨でした!

多くのコールスローやレタスを食べさせるには、最高の味付けだと思います。

当然ですが今は、私の方が美味しい生姜焼きを作れます(インスパイア爆)

一度に1kの生姜焼きを私が食べた事があると、義理大おかんが証言しています(核爆)

まあ、冷静に考えれば600g~700gは間違い無いですが、
やや盛った話と言うのが正しいのかもしれません(爆)

だって、兄貴もいたし、その当時は故父上もいましたからね!

兄貴が200g弱かな?故父上は100gが精々。

「おかん」実家の親子は、驚くほどに食べないで驚くほど呑む超左党でありましたからね(核爆)

「おかん」の実家に行けば、概ね明るくなるまで呑まされていました(爆)

〆なのか朝食なのか分からないレベルでした(爆)

〆は大体が「うどん」でした。

頭脳も全て馬鹿になっているので、いくら食べても満腹の指令が来ません(爆)

茹でた「大山うどん」では足りません。

更に茹でるのが面倒か?茹でている内に私が潰れるかの次元です。

義大おかんにとっては、乾麺してくれよ!と思っていたに違いないと思います(爆)

何かごそごそ打診されましたが、よく分かりませんでした「うん、うん」と返事をしたらしいです。

更に一袋追加で茹でてくれるのかと思うでしょうが、出て来たのはハムエッグでした(核爆)朝飯とすれば、超ショック(爆)これが10個目のハムエッグだったのかもしれません。「やっぱり、うめ!」とか何とかブツブツ言いながら潰れたそうです(核掛自爆)

そんな事で、話は少しそれましたが、16時30分には会計を済ませて、大宮ステーションに移動する訳です。

しかしながら思い出しても、何とも言えぬ昭和感がたまらないお店でした。
近くに住んでいたら、毎日でも行きたい様な雰囲気のお店でした。

今シーズンオフは是非ともお江戸行きを実現したいのは当然ですが、
大宮も素晴らしい街で住んでみたいと思えるくらいのところでした。

ただ駅東口付近だけでもこれだけ良いところなのですから、きっと良い街だと言う事は間違い無いでしょう!再訪感ありあり、モハメド・アリです(笑)

「いづみや」さん、最高に良かったです。「たまり」さんに代理でリベンジすると言った、そこのあーたさん、是非とも「いづみや」さんで私の忘れ物の名物『もつ煮』のリベンジもお願いしたいところです(核爆)

いやぁ~それにしても本来、電車移動中の肴は非常に重要なのですが、ちょいとやり過ぎました(爆)

大宮駅構内で、大好物の二品を少量購入して乗車します。

ここで油断したら、真の新感染になってしまいます(爆)

復路は消費税支払い所(レストルーム)が一番近い座席に乗らないと論外です(爆)

車両のミスターシービー(最後方待機爆)

そして、常温と言うか、すっかり冷め切った鶏唐揚げ。

それでも、かなり美味しく頂きました。

理由は、基本大好物であるからです!

とにかく、幼い頃からの記憶で一番の大好物は「鶏の唐揚げ」でした。

祖母が作る唐揚げは、ブツ切りの鶏肉に味付けして、馬鈴薯デンプン粉を付ける「竜田揚げ風?」だったと思います。

旨かったですよ!

でも、お店で食べる「若鶏の唐揚げ」は別次元で美味しかった。

最初の記憶が山王閣のレストランの「唐揚げ」でした。

親父と「大おかん」に連れられて行きました。

親父は、その当時牛ステーキの事をビフテキ呼称していました。

親父と「大おかん」は、いつもレアー、しかし、私のは、多分ウエルダンだった思うのです。

そりゃ、家の祖母の料理に比べたら美味しいに決まっていますが、同じ肉を食べるならば、若鶏の唐揚げの方が好きでした。

なぜ、私にも大人が旨いと思って食べているレアーを食べさせなかったのか?(爆)

私は「おかん」から苦言を呈されながらも、三人のチュルドレンには、
幼い頃から、ラーメンの麺は硬め、ステーキはウエルダンにせずにミディアムレアーで食べさせましたよ(爆)

さて、朱鷺号から越後駅で稲穂号に乗り換え。

自由席にも指定席にも乗客が数人ですがいます(汗;)

これは想定外です。すぐに売り子さんが来たので、車掌を呼んで来て欲しいと伝えました。

間もなく、来てくれまして、乗客が一番少ない車両は?と打診します。

案の定、一輌だけありました。緑カーが空いているとの事で移動をお願いしました。
乗客ゼロです!空気を運ぶ車両か?(爆)
往路&復路で、最後に緑カーです!

相当に酔っていたので、詳しくは覚えていませんが、
豊栄~温海温泉までの追加料金が、1000円台でした。

2000円渡し、お釣りを貰いましたが、当然覚えている次元ではありませんでした(爆)

緑カー料金って、思いの他高くは無いと思いました。

誰も乗車していないし、安心料と考えれば格安料金と言えます(爆)
飛行機と比べても全て緑カーを利用しても安く上がると分析しました。

悔いの無い様に、しっかりと大好物を肴に購入した二品目です。

紅鮭のカマ焼きです。甘口だと良かったのですが、中辛しかなく、
爽が進み過ぎます(爆)ご飯には断然中辛が合います。

以前は辛口ばかり食べましたが、塩分控えめにして気を付けています。

お茶漬けにするならば、激辛も良いですが、あまり目にする事が無くなりましたね!一部のスーパーには置いてあるようですけど(カナダ産)

そう言えば、駅弁の鮭が懐かしいです。

祖母と幼稚園時代に、一度だけ蒸気機関車に乗った記憶がります。

エレメンタリーになってからは皆無ですので、間違い無く、
5歳~6歳児の記憶である事は間違い無いです。

鮮明に覚えていますので、幼稚園児の年長(6歳)だったと思います。
5歳はかなり曖昧ミーですから(爆)

祖母の生家は越後関川ビレッジの高瀬なのです。

2歳時に最初に訪れたと言う話を聞いています。
昭和42年8月28日の荒川氾濫。

その2日前に帰鶴したそうです。二日前の26日から雨が激しく降り出したので、本来はもう一両日の滞在を予定していたと言いますが、急遽変更したと言います!いやぁ~、持っているじゃないですか!(危険逃爆)

米坂線しかり、羽越本線もそうですが、この豪雨災害前にも、39年越後地震、
その一年前のサンパチ豪雪も酷かったと言う歴史が残っています。

そんな記憶は全くある筈が無い訳ですが、二度目の高瀬行きの時の
弁当が忘れられません。

鶴岡駅から鈍行の蒸気機関車に乗ります。下りは秋田行き、上りは新津行きでした。

「秋田―新津」間が羽越本線です(大正13年全通)

っうか、鈍行なんて言っていましたが、鈍い?様な感じとポンコツ感がしますよね?(爆)

汽車からも国鉄からしても心外ではないでしょうかね?(笑)

今は「普通列車」呼称が一般的ですね!せめて、各駅停車と呼んであげたかったと反省しています(爆)

そんな事はともかくも、鶴岡駅、何時頃発の汽車だったかは全く覚えていませんが、お昼前であった事は確かです。

鶴岡駅から乗車する時は、何も買った記憶がありません。

どこかの駅に停車した時です。間違い無く、ホームで弁当を売りに来たと思います。
「弁当~お弁当~!」だったかな?(笑)

売り手がホームを歩いて来て、声を掛けて来るのでした。

弁当を1つ買います。あと、お茶です。

祖母がお金を支払い、お釣りを貰うと、すぐに出発した様なギリギリのタイミングだったと記憶しています。

祖母と二人で一つの弁当を食べます。

また、ホームに水飲み場がある駅もありました。さすがにどこの駅か記憶は無いですが、停車すると乗客が降りてホームの水飲み場で水を飲むのでした。

汽車が発車仕掛けても飲んでいる馬鹿も見ましたよ(マジ大汗;)

飛び乗りです。昔の蒸気機関車ですから自動ドア―なんてありませんでしたからね!

そう言えば、汽車から慌てて降りて来て、ホームで蕎麦?orうどん?を食べているのを見た記憶がうっすらあります。

間違い無く、城下町駅のホームです。

あたかも早食い大会でもしているかの様に、蕎麦だかうどんかは分かりませんが、啜っている人を数人見ました。

「新津行き発車です!」のアナウンスが流れ、汽車が動き出すまで麺を啜り、汁を飲んでいたのだと思います。

それからでも楽勝に乗車できていたのです。

私のハイスクール時代の通学で利用したのも蒸気機関車ではありませんでしたが、自動ドア―ではなく手動ドアーでした。

飛び乗りする馬鹿はいませんでしたが、飛び下りする馬鹿は何度か見た事があります。

皆、こけていましたね!格好つけて恥をかき、なおかつ駅員から注意されていました(苦笑)

さて、城下町駅から汽車に乗り、越後の坂町まで鈍行で行きます。
だから各駅停車だって!(爆)

そこから乗り換えで坂町―米沢間の米坂線です。

夏休みの暑い時期だと思いますので、汽車の窓は全開までは行きませんでしたが、羽越本線では少し上げて乗車していたと思います。

最初は羽前水沢―三瀬間のトンネルです。突入する少し前に、汽笛が鳴ります。

祖母は、慌てて窓を下げようとします。その後もトンネルは続きますので、上げたり下げたり、非常に忙しない(笑)

蒸気機関車の煙浸入防止の為です。

ハイスクール時代は、『城下町―港町』間の通学だったので、トンネルはありませんでしたが、もしもですが蒸気機関車通学でトンネルがあったのならば?

ましてや清水トンネルを往復していたとしたら半端ではなかったんじゃないかと懸念します。

既出ですが、私のハイスクール時代は、城下町―港町間に「頑張れ元気」と言う苛めに近いものがありました。

暴風雪の日に、窓を開けてギロチン寸前状態にされます。
顔半分は、半冷凍状態になります。
ほぼ霜焼け状態ですなぁ~orz

私が入学して知りましたから、2つ上と1つ上の先輩達の更に上の人達が考え出した苛めだと憶測します。

長い歴史はなかったと分析しますが、プチ伝統の苛めだったのかもしれません。

もしもの話ですが、仮に蒸気機関車が高校時代まで走っていて、あの当時の1つ、2つ上の先輩が、清水トンネル往復の通学の汽車にいたら、春夏秋冬関係なく、頑張れ元気をさせていたと分析します(爆)

トンネルを抜けたら、恐らくは、シャネルズ状態になったでしょう(核爆)

そして、更に追い打ちが掛かり、「街角トワイライト」を歌えと命令されたと分析します(爆)

「トワイライトエクスプレス」だったらともかくも、通学の鈍行ではね?(爆)
当時は8時ちょうどのあずさ2号ならぬ、鶴岡駅7時ちょうどの秋田行きの列車に乗って酒田駅まで乗車しました。

5両編成だったか?6両だったかまでは記憶にありませんが、
今の様な1両とか2両じゃありませんよ!

それでも相席しないと立つレベルまでの状態でした。

私が乗り込んでしまったのが、しんがりから2両目です。

地獄、恐怖のしんがりから2両目。

なぜかと言うと、しんがり車輛のすぐ後ろには車掌が構えていたからです(爆)

それにしても、どうして、あんなに後輩いびりが盛んだったのか?

列車内で、大声で歌わせたり、座席の上の荷物置きを這わせ、競争をさせられるのです

負けると、アヒルだったか?ガチョウだったか分かりませんが、
通路を真似させ歩かされる羽目orz

タバコを取られるのも大変という噂を聞いていたので、自分が吸う用はブンタ、
先輩用はハイライト、エコー等の高校生には人気の無いタバコを持参します(核爆)

先輩から「掛神、もぐくれっちゃ!」と言われると、「オッス、ハイライトですが良いですか?」

大体の先輩は「ちぇっ、要らね!」(爆)
要領が悪い奴等は先輩の餌食になり、自分が吸うよりも多くのタバコを取られるのでありました(苦笑)先輩の前で、人気タバコのブンタ&マイブンを見せるのは禁物でした(爆)

あと、私は餌食にならなくて済みましたが、一円玉2枚を見せられ「何ぼさ見える?」と凄まれて、2円と答えたら即殴られます。

200円と言わない限りは殴られますorz

選択が無い訳ですから「200円です」と答えると、「それでもぐ買って来い!」と言われます。翌日持って行くと、「お釣りは?」と凄まれます。

180円のタバコだと、20円のお釣りも渡さないといけないのですよ。
情け容赦無しでしたね(悲;)

他でもこの様な無謀な行為が流行っていたと憶測していますが、私が三年時になってからは、列車通の後輩苛めは全て無し。頑張れ元気も網棚レースを一度もしていません。

私個人は、タバコを後輩から取った事も一度もありません。

高校時代は、正々堂々とタバコはパチンコで取りました(爆)
ほとんど買った記憶がありません。

ハネモノだとほんの5分~10分勝負です。

ミニドル箱に一つ出せば、タバコワンカートンゲットできました。

両替すると大した事なくても、タバコと交換するとかなりのお得感がありました(賢明笑)

当然、長居は無用。長く遊技すれば必ず呑まれます。まあ、運良ければ打ち止めまでいけますけど、大体は呑まれると分析していました!

ハネモノを一度フィーバーさせたら、即座に換タバコです。

500円以上使ったら駄目です。いくら勝負しても1000円までです。

1000円で出なければ、素直に諦めて家にオタマジャクシです(爆)
まあ、500円~1000円で出せないのは、釘を読む力が無いのと打ち方と、
その当時は分析していました。

高校時代、背広を来てサングラスを掛けて、パチンコ店に出入りしていましたが、サングラスが板に付いていなかった(核掛自爆)

ニキビ面で、どう見てもセイガクですなorz

↑の写真がシニアハイスクール1年時16歳の秋です。

自分では最高に格好を付けていたと錯覚していました。マジ笑えます(核掛自恥自爆)

斜めになったサングラスを掛ける、うんこ座りをする、自らのサイズよりも小さめな婦人物のサンダルを履く、剃りを入れる、眉毛剃る(大馬鹿者爆)

画像では分かりませんが、無理にでも他人の前で「唾を吐く」
誰もいないところでは唾などわざわざ吐きませんからね(核爆)

寒さを捕まえてしまった訳でも無く、インフルどころかノベルコロナウイルス感染防止の為でも無く「マスク」?
ただの阿呆でしたorz

安いカーデガンを着て、蟹股歩きをすると箔が付くと思っていた、頭にお湯が入っていたあの頃(核掛自爆)

最高の格好と言動と思っていた事が、今思えば、最悪であったと気付きますね(核掛自爆)

これが正真正銘の猿真似です(爆)先輩達の不良姿を格好良いと思うから真似する訳です。
当然ですが、様になる香具師とならない香具師がいる訳です。

私は様にならない香具師の方ですorz

いやぁ~、それにしても穴があったら入りたいくらいです(核爆)

人生は絶対にリセットできません!リセットできたら、誰も困る人がいなくなります。

困る人がいないと世は成り立っていきません。

もし生まれ変わったら…。残念ながら生まれ変わる事などありません。

反省して、残り少ない人生を精一杯生きて行くしか道はありません(肝心)

そんな事ですが、大学時代の一年半もタバコは全てパチンコで取りました(シツコイ爆)

行きつけの飲み屋で、パチンコ店の店長と社員と意気投合して情報を
教えて貰いました。

っうか、「明日は何番の台が出るかもしれないと予想しますか?」とか「明日は何番台に座ったら良いと思いますか?」の意味深で白々しい質問をする訳です(爆)

間違い無く出るものでしたね。この時も長居は無用。ほんの10分程度の勝負です。

地元に帰り、デジタルになりブラボーって言う機種だったかな?

あまり気は進みませんでしたが、一応遊技。最初で大敗してパチンコからは完全に足を洗いました。

勝てないと言うか、絶対に勝ち続ける事はできないだろうと判断したからです。

今でも思いますが、最初に大勝ちしなくて本当に良かったと思います。

まあ、ギャンブルは熱くなったら絶対にNG.

記してはいませんが、高校時代と大学時代の4年ちょいで、20万はプラスしたと自己分析しています。まあ、最後の遊技はマジで厩の王子一人を失いましたorz

肖像画が真ん中ではなく、右手ですからね(核掛自爆)

既出?しかも大きな脱線!?

電車で脱線は最悪の事態、話を戻しましょう!

戻ると鮭の話をしておりましたな(核爆)

私の購入したのは紅鮭。

ただ、祖母と食べたお弁当の魚は?

シロ鮭だったのか?恐らくは鱒だった可能性が強いと思います。

鮭弁ではなく、幕の内弁当呼称なら何も問題は無いでしょ?(笑)

まずは、塩引きである事は間違いありません。
鮭でも鱒でも全て塩引き呼称です!庄内では「しょうびき」or「しょびぎ」呼称です。

ハラス部分からは、塩が噴き出ていました。

他の具材には、玉子焼き(蒸しかな?)赤いウインナーが入っていました。
あの赤ウインナーが馬鹿旨でしたね!

今の子供達は贅沢になって、あの赤ウインナーなど見向きもしないかも
しれませんが、私は懐かしさが勝って、たまに購入して食べていますよ(笑)

今でもスーパーで売っています。東北ハムさんの赤ウインナーは懐かしさを抜いても旨いと思いますよ。

昆布と漬物は一ナノメートルも興味無し(子供嫌爆)

祖母から食べさせて貰いました。ご飯の半分と塩引き半分、ウインナーをたいらげギブアップ。

どう考えても祖母は足りなかったと思いますよ!(当然orz)

二つ購入すると、食べ切れないのを承知していたのでしょう。

米一粒でも捨てると、目が見えなくなると教えられましたからね!

二言目には「不経済」これも祖母十八番の言葉でした。

祖母にも色々教えられましたね(感謝)

さて、この日は私の大好物ばかりを頂きました。ラーメンから始まり全て美味しかったです。

ストレス解消になったものかな?まあ、息抜き出来た事は確かです。

復路の電車で昔の事を思い出し、多少の脱線をしながらも簡単ではありましたが書かせて貰いました。

ただ、往路はやはり商売の事が頭から離れる事は一瞬たりともありませんでした。

アイテム第六弾まで揃ったのは良いのですが、どの様に活用すれば良いか?

或いは、アイテムと関係なく、対応策を熟考しながら向かいました。

津々浦々の繁盛店の感染対策の調査をしに行きたかったのですが、やはり、動く事が恐いのと、他店の猿真似もしたくなかったので、あえて動かないでいたと言うのも正直なところです。

そのお店によってスタイルが違うのですから、対策も自ずと違って来ます。

良いと思って猿真似しても両刃の剣なんて事もありますからね。

復路は事ほど左様の様で駄目人間。一瞬だけ商売の事が頭から離れました(爆)

まずは、その為に強行軍日帰り独り旅を計画した訳でもありますからね!

そして、19期目があっと言う間に過ぎて、ひと月ちょい経ちました。

今期の形がベストとは言えないかもしれませんが、私と「おかん」そして、サンと相談しながらの今日です。まずは今後もこれまで通り様子を見ながらやって行こうと思っています。

コロナ前の比較とか前年比云々ではありません。営業(商売)させて貰っているだけで有難い事なのです。

勿論、サドンデスの懸念とも隣り合わせ。翌日から営業できない事態だって当然起こりうるのです。

一日、一日です。