孟宗Ⅱ

庄内の孟宗の産地、T定孟宗とY田川孟宗があるが、現在では朝市のあるY田川孟宗の方が知名度ははるかに高い。
しかしながら、Y田川孟宗と言っても昭和時代に入ってのことだから歴史的にはあまりにも浅過ぎる。
Y田川孟宗よりはT定孟宗が歴史的には古い。庄内孟宗の発祥の地はT定か?ちょっと待った!
孟宗といえば中国だが、中国から日本に渡ってきたのは元文元年(1736年)に薩摩に2株の孟宗が渡った。そこから、江戸の薩摩屋敷と同時に全国に広まったものとされている。
庄内での孟宗についての一番古い文献は、1780年代の杉山廉の「おそさくらの記」である。
K比大権現(現気比神社)にお参りに言った際に、K比台の池(御池様)を見に行った。その途中に、廻りが一尺もあり、虎でも出てきそうな竹林があって珍しく見たということである。
30cm周囲の竹となれば、孟宗以外には考えられないし、杉山廉なる人が見間違ったとも考えにくいので、S瀬の気比神社が庄内の孟宗の発祥の地ということになる。
自ずとS瀬、T定、Y田川の順となると考えられる。
確かな証拠は、S瀬は海岸付近である。普通は海岸付近は風が強いので孟宗の産地はまずない。しかし、S瀬は相当の孟宗の産地である。
そして、軟らかく、いがらさもなく、他の孟宗に優るとも劣らない一級品の孟宗であることは言うまでもない。
S瀬孟宗食べたら、他の孟宗は…と言っても決して過言ではない。孟宗祭り、孟宗堀体験等、もっともっとPRして、これだけ美味しいS瀬を多くの人にわかって貰いたいものだ。
因みに、この孟宗という語源は、中国で初めて竹の子を掘って病気の親に食べさせた人の名前が「孟宗」であると云われているそうだ。