M戸黄門

親父はM戸黄門のドラマが大好きであるようだ。
葵の紋所の入った印籠持って、全国を旅して歩いて事件に遭遇して必ずや悪事を受けた  庶民達を助けるというストーリーもお年寄り達にとっても人気になっている理由の一つでしょうけど…。
それでも作り話ですから、水戸の藩主が全国を旅して歩いたという事実はないのです。
徳川家康の孫にあたるお方なのですが。助さん、格さんという腕っ節の強い人物ではなかったそうです
佐々十作が通称「介三郎」で、安積澹泊が通称「覚兵衛」であるが、頭の切れる人物ではあったらしいですが、悪人とバトルを繰り広げるほどの腕力は無かったと云われているようですね。
紋所を見せる時に「さきの副将軍」と紹介していますが、その役職も当時はなかったようです。
将軍の補佐的人物であったことから、イメージ作りになって副将軍となったのだと思いますね。
将軍を補佐する役職は、「大老」と「老中」あたりでしょうか?
黄門も役職名で、中納言だということです。中国の唐では中納言のポジションを「黄門」と   呼ばれていたので「M戸黄門」呼称が生まれたのではと思われます。
はやり悪人を懲らしめ、最後に紋所を見せ付ける場面になると、皆正義感が働いてくるという事なのでしょう。
逆にお袋は馬鹿くさいと言っています(笑)まだ若いという事なのか…(爆)
最初から紋所を出して見せれば、争そわなくても良いのだとか…。それじゃドラマにならないじゃない(笑)
全く身も蓋も無い話だこと…orz