2.26事件とは、我が掛神家のエルディストサンとセカンドドーターの
誕生日が同じだと言う事をご存知でしょうか?(爆)
では、なぜ事件なのか?
早く生まれたのはエルディストサンですが、出産予定日は何と4月3日だったのですorz
結論を急ぎますと早産と相成った訳でありますが、24年前の2月26日の
朝から「おかん」は、お腹が痛いと申しておりました。
お昼を過ぎた時点で激痛と言います(汗;)
私はひたすら「こんなに早く生まれる筈がないから我慢!」と激励するしかありませんでした(核爆)
この日は奇しくも兄貴夫婦とのすき焼きパーテーで「朝まで呑もう!」の予定でありました(爆)勿論「おかん」も実の兄貴夫婦と4人での大宴会の予定でありましたから楽しみにしていたのは当然の事で相当の我慢をしていたと思います。
しかし、準備が整った午後3時を過ぎた頃に「おかん」は我慢できないので、
ハイヤーで病院に行くと言います。
いくら大事な約束、酒呑み大臣と言えども、ハイヤーを頼む訳にも行かずに
私がハイヤーよりも、救急車よりも早い速度で病院へと急ぎました(爆)
本当に呑んでいなくて良かった。
病院に着いて診察して貰うと、何といつのまにか逆子になっていたのです(爆)
そして、足の先が出て来ていると言います(大汗;)
何とか薬で止められないのか?戻せないのかを打診しても山本リンダでありました(爆)まあ、どうにも止まらないって事です(核爆)
そして、緊急手術(帝王切開)となったのでありました。
サン、痛恨予定外の早生まれorz
予定日よりも少し早い4月1日生まれよりはましか?(笑)
そして、7年後はセカンドドーターが誕生する訳ですが、
サンとは逆にほぼ予定日通りでした。
医師のアドバイスにより、帝王切開を勧められたそうです。
私は将来的に一緒に誕生日もできるし、ブログの(この頃ブログと言う言葉さえも知らない)ネタになるとは夢にも思いませんでしたが、2.26と強く推しました(核爆)
それこそ、私のところの超常連さんでもあるダンデライオンクリニックの医院長に無理言いまして2.26にして貰ったのであります(爆)
さて、前置きというかのっけから脱線か?(核爆)
そんな事ではありますが、誕生会を外食でやろうと久しぶりの伊勢原さんにお邪魔する事にしました。先週の木曜日の出来事であります。
付け出しです。ホタルイカと栽培のオオバギボウシの酢味噌和えです。
いつもサービスで手始めを提供してくれるのは非常に有り難く嬉しい事です。
この日の小鉢の手始めも最高の酒のアテになりました。
最初のつまみが旨ければ「よし!今日は呑むぞ!」と気合が入るのは
私だけではないと思います。まあ正直、つまみが不味くても私は気合を入れて呑む派ではありますが(核爆)
さて、付け出しについて一言。
曲がりなりにも私は居酒屋(炉端焼き)勤務(修業)をしていた訳です。
30年近く前で、付け出しは300円をいただいておりました(汗;)
これには賛否両論あるでしょうが私はその当時から、やや馬場こういちさんなのでありました(爆)
そもそも付け出しはお金を取らずに、サービスであったとも云われているようです。
根本的には酒を頼んで、肴(逸品料理)ができるまでの「アテ」なのです。
昔ながらの屋台の焼き鳥屋さんであれば、お通しなどありません。
御新香は出て来る事はありましたが、料金は取らないところがほとんどでした。
しかし、我が炉端焼きは頂戴しておりました。経営者が親父だったので、ある時までどんなお客様が来店されても300円をいただいていました。
お酒の呑まないお客様にも勿論でしたが、家族連れのお子さんの分までも(大汗;)
しかし、ある日を境に子供に付け出しを出すのを、
親父に断りもなく止めました。
その境になった日なのですが、父母、その長男と長女の4人の家族連れの入店でした。父母は常連さんとまでは行かなかったですが、年に数度程は来店してくれるお客様でありました。
さて、私の記憶から長男は8歳前後、長女は6歳前後のお子様であったと思われます。
オーダーをお伺いしたら、父は生ビール、母は酎ライムでした。
母「生ビールと酎ライムお願いします。あとお冷二つ!」
私「はい、有難う御座います」と応対すると、長男の子がマッドになりそうな勢いで「ジュース呑みたい!」を連呼します(爆)
ここで母の「喝!!!」が入ります!(核爆)
「今日は駄目ぇ~!」gakubu(www)
私もガクブルでしたが、引き続き「何かお焼きしますか?」と尋ねると、
母「ホタテのバター焼き2つにジャガバター二つ」
長男「僕もホタテ食べたいよぉ~!」
母「駄目!あんた達はジャガイモ!」(核orz)
可哀想な子供達でしたorz
因みに、あの当事は貝付きの生ホタテ(中型)仕入れ額(90円~110円)を
二枚付けで670円と言う何と言う良心的なお店&訳の分からぬ価格(爆)
普通なら680円でしょ?(笑)700円でも良いくらいです(爆)
そして、ジャガバターは何と260円ですよ(驚;)
まあ、バターではなくマーガリンを使用していましたが(核爆)
これも伯爵だったか?(核爆)そんな様な品種のジャガイモ(中)を一個と半分でその価格と言う超良心的なお店であった訳です(爆)
ことほど左様の理由もあり、この日は子供達に付け出しを出しませんでした。
いえ、お母様に圧倒されて出せませんでした(核爆)
その結果、そんな事が理由かどうかは分析できませんが、次回訪店時にも子供達にジュースをオーダーしてくれたのです。
その後もずっとですよ!たまたま給料が上がったのでしょうか?(爆)
私が分析するには、お通し分の料金をお母様は計算していたのではないかと思うのです。
結論でありますがお酒の呑まないお客さんには微妙ですが、せめても酒類の呑まない(呑んではいけない)子供には有料のお通しは出さない方が良いのではないかと言う事です。
いかにも子供が食べない様なお通しを出せれ、300円とか400円も取られたら、読売巨人の監督と感じる人もいるでしょうし、或いは今は亡きドリフの3代目リーダーの長さんを覚えるんじゃないでしょうか?(核爆)
因みに、居酒屋(割烹)で酒を呑む人にしか出さないところは、
私がたまに利用させていただいている「やまと」さんであります。
ここでは酒を呑まない「おかん」には、お通しが出てこないですが、
「おかん」はいつも食べたそうな顔をしています。
私は今もそんな大したお通しは作れませんが、当事はもう少しレベルが低かったと思います。
しかし、滅多になかったですが作ったお通しを「おかわり」と言われると
どんなに嬉しかった事か!
それこそ、豚モツの煮込みをお通しにして、やまとの店主から「おかわり」と
言われた事があります。あの感動は今でも忘れません。
そして、その数日後に「やまと」さんにお邪魔すると、
奇しくも「お通し」は豚モツの煮込みでした。
何と、私が作る煮込みよりもはるかに美味しかったのですorz
あの悔しさは今でも忘れません(核爆)
それから、モツの煮込みは研究を重ねました。
どんな料理も「やまと」の店主には足元にも及びませんが、
現在であれば、モツの煮込みだけは負けない自信があります。
いや、多分負けないと思います(笑)
いえ、もしかしたら負けるかもしれません(爆)
やはり、負けるんでしょう(核爆)
そんな事で、炉端焼き勤務の22歳の時の写真が見付かりました。
ん?もしかして脱線なのか?(核爆)二度目の脱線となると、いわばこれは
千葉県の大部分を占める半島ではないのか?(超核爆)
誰が撮ったか銭形平次、誰も撮らない水戸黄門(爆)
ちょっと違う気もします。
誰が呼んだか平次親分、誰も呼ばない水戸中納言だったかな?(笑)
この頃は、まだカメラを睨む癖が抜けていなかった頃です(爆)
カメラは睨みましたが、お客様には笑顔で接しましたよ。
たったの15坪、座席はカウンター18席のみのお店でしたが、月の売り上げは良い時で400万前後と年間5000万近くを売り上げた年もありました。
家賃は12万円です。
成長経済、そして、バルブだったか?バビルだったか?の最高の時代でありましたからね(核爆)
今、カウンターのみで当事の味で再開したら、全く通用しないと分析しています。
良い時代でありました。運が良かったのでありましょう。
今考えてみると、月に休みは二回です。
第一第三日曜日定休でありました。
日頃のストレス発散で、その日には飲みに必ず出掛けました。
ビール大瓶4、5本にウヰスキー一本を呑めば泥酔でしたので、
勿論酒豪とまでは行きませんが、普通以上である事は確かです。
最高記録がビアガーデンで大生10杯呑んで、二次会のスナックでVSOPを
一本半と言うのが最高と言う噂です(爆)
因みに「VSOP」とは、ブス俺パスの略ではありません(核爆)
当然覚えていませんが、夕方5時~翌3時の10時間掛けて呑んだと伝えられています(爆)その日の13時に10時間と言う長い睡眠時間を取ったのですが、まだまだ完全に酔っていました(核爆)
本当に強い人は、それだけ呑んでも崩れない、翌日も早く醒める人なのです。
やはり、池田達人が指摘するように、私は昔から真の酒呑みではないのかもしれません(爆)
さて、よく行ったのが『アンバサダー』と言う現在の絹出屋さんの上階のスナックです。大体がキープ7000円のVSOPでしたが、ここのスナックだけは例外で、店名のお酒が6000円でキープできましたので、それを呑んでおりました。
因みに更に上階の『天守閣』さんには入店した事はありません(核爆)
まだまだこの関連のお話は山程ありますが、検問で検挙されたので
暴走半島はこれで終わりです(爆)
さて、その後焼き野菜をオーダーしました。
何と馬鹿芋焼きも付いていました。
馬鹿芋と言うと、イメージ的には普通は「トロロ」でしょう?
そうです「隣のトロロ」です(爆)
焼いて食べても旨い、天麩羅にして食べても旨い馬鹿芋なのです。
なぜ馬鹿芋と言うかは知りませんが、西郷輝彦管内の生産者がそう呼称していましたので癖が付きました。
そして、ローストビーフ。
モモやランプでは無く、テンダーロインのお尻の部分でありました。
当然ですが、それらの部位と比較してもブラボーですな!
あとは、桜美豚のスペアリブです。
森ジュニアが焼き方を習得しつつあり、大将の位置で仕事しておりました。
後継者がいると言う事は本当に安堵の気持ちも多いでしょうが、
不安も少なからずあると思います。
頑張って欲しいものです。
ケーキはシンプルですが極旨でありました。
同じ誕生日ではありますが、名前も同じにした覚えはありません(爆)
まあ、サンは親父が命名した「瑛(アキラ)」です。多くある名前ですが
学校の先生もあまり読めない名前ですorz
セカンドドーターは「里英」と私が考慮した命名でありますが、
「里瑛」と付けた覚えはありません(爆)
これは太田屋の社長が犯人ですが、私が頼む時にサンは瀬川瑛子の「瑛」と言いました。
親父が生まれる前から決めていた名前なのです(爆)
セカンドドーターは里に英語の英と言った筈ですが、やはり酔って電話していたと分析します(爆)やはり、村田英雄の「英」と言った方が分かり易かったか?(爆)
来年頼む時は、麺絆「英」の「英」と説明します(核爆)
因みに、セカンドドーターの命名は生まれる前から「リエ」と決めていました。
親戚にも字は違いますが、「里恵」と言う優秀な子もいましたし、
中学の同級生にも2人の「理恵」がいました。
どちらの子も性格も良く責任感が強く、男女関係無く好かれる生徒でもあったのです。
奇しくも生まれた年は長野冬季オリンピックがあり、モーグルで
ゴールドを取った選手の頭とお尻の足し字なのです(笑)
「おかん」の父上も「英夫」で「英」の字で付けた当初は会心の命名と思っていました!
私はセカンドドーターに好きな事をやりなさいとは言いませんよ(爆)
メダルなんか取れなくても「愛子」と付けるべきだったか?(核爆)
その後、皇太子と雅子様の第一女子にも命名された訳でもありますしね。
そんな事ではありますが、太田屋のシフォンケーキも残りひと月を切ったんじゃないでしょうか?また暫く食べられなくなりますので、お早めにご利用してみては如何でしょうか?
そして、こちらの伊勢原さんも女子会等、全てでお勧めです。
予約で行くことをお勧めします!
何か今日のブログは疲れました(爆)
わずか5人くらいの人を笑わせる為に、正味2時間も掛かった様です(核爆)
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