弁慶坂Ⅱ

さて、続きですが義経主従が本当にこの場所を訪れたかどううかは非常に疑問です。
文献に無い限りは、伝説以上のことは言えません。
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弁慶がここを通り、義経はS瀬から中山を越えて矢引に下りたと言う伝承もあります。
弁慶と義経が別ルートを通り待ち合わせしたとかです。因みに矢引は以前は「片貝」と呼ばれていました。
待ち合わせは、ホラ貝での合図だったそうですが、義経のホラ貝が壊れて鳴らず、弁慶のほら貝だけが鳴り響いたので片貝になったとか…。
誠によく考えられていますが、ここではふれませんが別の説が有力ですので、信憑性には乏しいかもしれないです。
それでも、昔人は荷物を担ぎこの峠を越えてT岡の町へと行商に歩きました。
行き帰りにこの水で一服付けた大変あり難い水だったことには違いはありません。
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夢とロマンを大切に守っていきたいものですね。
そのようなことで、県内のマスコミ各社にも伝承に基いた峠名ということで御指摘させて頂きましたが、その後は、弁慶峠とはあまりにも聞きなれない事でもあるし、Y良峠、坂呼称があまりにも浸透し過ぎたことから受け入れては貰えませんでしたが、その周辺での交通事故等の報道の際には「国道7号西目地内」とか「通称由良峠」「通称由良坂」と改正して頂いたようであります。
この峠、坂を越えると海だ!由良だ!ということから、通行人が勝手に付けた呼称が一人歩きしたものと思われますが、地元呼称は重要な文化財だと言っても過言ではありません。
大切に守っていかなければならないと思う今日この頃です。
弁慶自体が架空の人物だなんて身も蓋もないことは言わないで下さいね(笑)
続く…。