小野寺商店さんにシャッター!
この日もあわよくばシャッター長を狙えればと伺いましたが、都合で10時45分、セカンドでした(上等博覧会)
ただ、その時点でセカンドが確定していた訳では無く、車内待機。
理由としては、先着氏が下車しないと言う事もありましたが、この時は、かなりのレイニーであったのです。
そして、サード車が駐車場に突入して来ましたが、何れも降りない(苦笑)
私も降りない(爆)私は子供の頃から傘はほとんど差した事がないのです(爆)
ただ、刺した事は数知れず(武器&悪戯核爆)
なぜかとの詳細説明をすると小一時間掛かるかもしれないので、簡単に説明すると、
雨カッパならば両手が自由、傘だと片手が不自由と言う事になりますよね?(爆)
山菜採りや登山で傘を差す人いませんよね?(核爆)
小学校時は大雨ならば、カッパ、小雨ならば、傘どころかカッパも着た事がありません!
特に下は穿いた事もありません!穿くのがやや面倒で、脱ぐのが超面倒であった理由だけです(爆)
まあ、その数十秒~1分の時間が痛ましいのです。帰宅後は一秒でも早く遊ばなければいけないからです(マジ爆)
登校時は集団登校なので、仕方の無い時はありましたが、下校時は、傘を差すどころかカッパも着た事も一度もありませんよ!
大人になってからも傘は差した事は数える程度しかありません!「おかん」と大阪に行った時に、差した気がしますけど(爆)そんな事なので、晴れだろうが雨だろうが、常に車内に傘はありません!脱線の懸念ありなので、話を元に戻しますが、4台目が来ても誰も降りない、5台夏子が来ても誰も降りない(爆)
いやぁ~、たまたま皆さん、私と同じで傘を差さない主義なのか、持参していなかったのかもしれませんね!(爆)
6台目が来た時に、前倒しで店主の「小野寺」氏が暖簾を掛ける為に外に出て来ます。
それと同時に、シャッター車からもお客さんが降り、私も結構慌てて降り、セカンドで並び入店して行きました(慌爆)
もう、こちらのお店では細麺しか食べないと思います。
一応、絶対は付けない事にします(爆)
いやぁ~、完全にここの細麺に嵌まってしまいましたよ!
それにメンマも超お気に入りで、トッピングを押します。
この日は「おかん」の同級生はいませんでしたが、恐る恐る細麺の茹で時間を打診すると、
内儀殿と思しき美人さんが「40秒です!」と教えてくれました(感謝)
「20秒でお願いします!」と伝えて席に着きます。
その後、親切にも「メンマ別皿できますけど?」と打診してくれましたので、
わざわざの打診なので、素直にそれでお願いしました!(笑)
セカンドと言う事もあり、勿論の事、あっと言う間の着丼です!(早っ!)
まずは直丼でスープを!
いやぁ~、旨い!この味です!もう講釈は既出すが、それ以前に私の超好みの味ですから細かなそれは要りません(爆)
総入れ歯安定剤(爆)もとい、そう言えば、ラーメンウオーカー山形版2023が献本されました。
いつもは自店の掲載を確認して、あとは、さっと目を通し五十嵐歯科医院さんに持参、他の本においても、私のところが紹介された記事の物は、⑧さんとか取引の荘銀支店に持参していました。
それでも、コロナ感染防止対策としてなのでしょうけど、雑誌等を置かなくなっているようです。
久しぶりのウオーカーにゆっくりと目を通したところ、こちらのお店が堂々と紹介されておりました(凄)
その中で、醤油が鷲田民蔵商店さんの物を使用している事を確認しました(驚)
使用した経緯の詳細は勿論分かりませんが、そこに辿り着いたと言う事に感服です。
「鷲田民蔵商店」は、明治元年創業の老舗と言われていますが、醤油を販売したのは明治2年に入ってからと、個人的には認識しています。まあ、そもそもそれ以前の江戸時代後期から、味噌造りをしていましたので、味噌屋の方が先であったのは確かでしょう!
鷲田民蔵なる人は、鷲田長兵衛のセカンドサンで、勉学の方も非常に優秀な方であったと言われています。それこそ今の社長も頭の良い方で、自ずと鶴岡高校卒、後継ぎは、それこそセカンドサン(専務)である様です。
そんな事ですが、学校給食発祥の地、城下町では余りにも有名な話ではありますが、明治20年代に学校給食が始まりました。
当初は醤油を使用する献立は無く、塩おにぎり、塩引き(イオ)、菜っ葉漬け等だったそうですが、その後は、煮付け等の献立が加えられたと言います。
もう、現在100歳を超えた長老でも、地元の給食では、鷲田民蔵商店の醤油で味付けされた献立を食べていたことになります。
勿論我々年代も然り、現在でも城下町管内の小、中生は、この醤油で味付けされた献立を食べているのです。
城下町管内のみならず、港町管内の小、中生も、給食センターはありませんが、各々の学校の給食室で、この醤油を使用して調理しているのです。皆が、この醤油で味付けされた物を食べて大きくなっているのですよ!
一応、纏めての庄内全域と言いたいところですが、余目、現在の庄内町においては、
地元『ハナブサ醤油』があるので、その限りではありません!
それでも鶴岡酒田の学校給食を食べた児童、或いは生徒の多くが、この醤油になれ親しんで来たのは間違いの無いところです。
小野寺店主、そこに目を付けたのでしょうかね?もし、そうだとしたら本当に凄い事だと思います(仰天末恐)
因みに、私のところは煮返しには使用していませんが、煮豚を浸ける醤油、メンマ&味玉の味付けに使用しています。
それこそ味噌そばのベースは、鷲田民蔵商店の白と赤を混ぜて使っています。
もう、旅館時代からの長い付き合いになっていますからね!
あれっ?余談と言うか、プチ脱線したかもしれませんが、KKです(爆)
いやぁ~、しみじみ旨いですね!
っうか、完全に嵌まったのも否めませんと言うよりも、完全に虜状態であります。
次は、見ていろ!!!セカンドに影を踏ませぬシャッター長でPPを決めてやりますぜ!(爆)
まずは時間に少し余裕があった時ではありますが、必ず狙いに行きますよ!(笑)
しかし、まだまだ一年生から二年生になったばかりの小野寺店主ですが、末恐ろしいと脅威を感じます。
まだ、30代前半と思われますが、私が開業したのが36歳です。
最初は全く駄目でしたからね!閑散期対策どころか赤字に拍車を掛けて、骨折り損の草臥れ大儲けでしたからね(オーマイガ―orz)何度投げ出そうかと悩んだ事もありましたし、繁盛し出したのは10年近くも経ってからですからね!
苦労と言う言葉は、簡単に使ってはいけないとの認識でしたが、苦労したと思いますよ。
まあ、そんな事はともかくも、小野寺店主は一際眼光が違って私には見えます。異彩を放っていると思います。
ただでさえ美味しいのに、店主の人柄と言うガラも隠し味になっているのは言うまでも無いでしょう!
また、必ず伺わせて頂きますよ!
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