『黒猫…』

この日も「おかん」と宇宙戦艦さんにお邪魔して来ました。

毎回ですが、楽しみにしているお通し。

この日は「ゼンマイ」が提供されましたぞ!

ゼンマイだけは譲れません!いくら和食の料理では崇拝する店主と言えども
、譲れない自負があると言うか何と言えば良いのか?(爆)

確かにゼンマイ採りは引退しました。しましたが、全盛期はシーズンで乾し上がり30k、多い年は40k、
少ない年でも20k強にはなるものでした。

因みに、普通の人が、20kのゼンマイを採って来て、乾し上げすると
1k前後にしかなりません。

私の場合は、数本採った時点で頭の綿を取り、頭の下から二握り、物によっては二握り半のところで折って、
初めて「テゴ」に入れます。

持ち帰って来ても下処理ゼロ方法です。捨てるところが無く即座に煮立ち湯に入れられる状態です。

捨てる物をわざわざ重い目をして、背負いだすのは大変と言うか意味がないでしょ?orz 
それをゼンマイ場に捨てる事によって、腐葉土にもなるかもしれましね(爆)

そのやり方をすると、20k採ると1.5k前後に納まります。

それを約10分の1近い2kにするには、細いゼンマイには手を出さずに
太いゼンマイばかりを採れば可能な訳です。

極太ゼンマイばかりを採れば、20kが2k近くになります。

まあ、実際10分の1は中々厳しいものがありますが、最高の場所に当たって、
最高の採り方をして来れば可能です。

最低基準は「タバコ」より細いと見える物には手を出さないのが肝心です。

60k背負ってきたら、乾し上がり5k~5,5kにはなると言う事です。

まあ、そんな事を自負していると、上には上がありますから笑われるのも承知。

昔人は、信じられないかもしれませんが自分の体重分を背負い下したと言います(仰天;)

私のセンマイ採りの全盛期時代は、今よりも当然痩せていまして、
80kほどでした(笑)

じゃあ、80kのゼンマイを背負い下さなければいけない事になりますorz

その当時なら80kを背負うこと自体は容易です。平坦道をゆっくり1時間や2時間くらいならば歩くなら何とかなるとは思います。

しかし、山を2つも越えるのですよ。行きはほぼ空身の状態で40分~60分歩いてゼンマイ場に行きます。
採る時間は2時間~3時間程です。

80k採ってしまったら?(超核掛即死爆)

怪我をしたと嘘を付いて、119番し「がっさん」を呼ぶしか方法は無いと
分析します(核爆)

私の限界は、いくら背負っても60k程です。
ゼンマイ場から車に辿り着くまで2時間乙、場所によっては3時間掛かった事もありました(核掛自爆)

体重よりも20k減でありますから、昔人からすれば序の口ですorz

昔人は、それを朝仕事でこなすのですから驚きです。
私の場合はお昼近くにはなりましたからね(苦笑)

引退してから、ちょうど10年になります。
最後に採ったのは平成20年です。

夜明け前に山に行き、車内で夜明けを待っていました。

20代から山菜採りをしています。若かったあの頃、何も怖くなった。
ただY二先輩が恐かった(南こうせつ爆)

マジで熊も恐いとは思わなかったです。

ゼンマイ採りの前夜は、空手バカ一代「大山倍達」氏をイメージして寝ていました(核爆)
熊に遭ったら闘うアイテムも持参して行きました(爆)

種子島ではありません(爆)まあ、許可がでないですかね?(笑)

いやぁ~、今は恐い物ばかりです。熊も当たり前ですが恐いです。

もっと怖いものがたくさんあります。

地震、火事、食中毒、交通事故、倒産、大病等が挙げられると思います。
後はお客様にラーメンスープを掛け、火傷させてしまう事も相当恐いです。

まあ、味噌そばを食べて、口の中を火傷するのは、そりゃ知りませんよ(核爆)
本当に恐いものばかりです。

若いうちはやりたいこと何でもできるのさと
歌っている人もいますが、何でもできる訳ではありません(西城爆)

っうか、多少脱線した感が否めません(爆)

話を戻しますが、採る人は下処理も自ずと上手になります。
更には、私は板後時代がありましたから、ゼンマイ料理は相当に
やりました。

この日、宇宙戦艦さんのマスターに戻し方と煮方のやり方を打診したところ、
私のやり方とはかなり違いました(仰天;)

これが目から鱗が落ちる様な内容ではなかったのです。
マジで「馬場こういち」でありました(爆)

まあ、食べてみれば分かるだろうと、一本頂いてみました。

おっ!?これは?

これはブラボーであります(大汗;)

いやぁ~、最高に旨いです!

乾ゼンマイを水に浸して一晩置くだけだそうです。マジ驚きです。
それから、軟らかくなるまで味付けをして煮るのだそうです。

私の場合は急ぐ場合でも最初は80度の熱湯に浸します。
ゆっくり戻す時は、お湯を沸かし、手を入れていられないくらいの
温度になった鍋にゼンマイを浸します。

2日~3日掛けて戻します。

乾燥メンマもそうですが、急がず、ゆっくり戻した方が私は良いと信じて
疑いません。

しかし、この日のゼンマイにはやられました。

本当に素晴らしいと思いますが、私はモンキーにはなれません(爆)

凄いとは認めますが、自らはやらないと言うのは正直なところです。

さて、いつものタコ刺しです。こんなに安くてこんなに旨い物がこの世にあるのか?レベルです。
まあ、ただ単にタコが大好きだとも自己分析しています(爆)

「おかん」は毎度の刺身&弁慶飯をオーダーです。

刺身はマガレイ(ヒラメ)です。

弁慶飯の写真は取り忘れ(爆)っうのも、いつもの超常連夫妻と意気投合していたので、気づいたら「おかん」が一齧りしていたところでした(爆)

そして、「おかん」が孟宗汁もオーダーしていました。

私はこの時期、孟宗は食べないと言う信念があります。

八百屋からも仕入れしませんし、スーパーで見掛けても絶対に買いません。

まあ、理由は簡単です。価格に見合わない味だからです。

今の時期、九州産、鹿児島、熊本、福岡産が出回っているのでしょうかね?

価格が馬場こういちの物は買いません。食べません。

ノドグロは死ぬまで食べる事はありません。価格を考えると、旬のメバルを煮付けにして食べた方が断然美味しいと思います。

まあ、負け惜しみにも聞こえるかもしれませんが、頑なに馬場こういちを貫きます(爆)

ただ、「おかん」は食べたいと言うのですから、仕方ありません。
ここ近年までは反対してしました(爆)

その理由は、価格に見合わないと言うのもありますが、
皐月になれば、私にとって世界一旨い孟宗を貰って食べる事ができるからと言う理由もあるのです。

それは地物孟宗です。

地物は湯田川?谷定?違います。地物は地物、三瀬ですよ!

さて、三瀬孟宗を推す理由としては、庄内の孟宗の原点が三瀬であっただろうと言う事です。
まずは日本に初めて孟宗が移入されたのは、元文元年(1736)です。
薩摩の島津藩主によって、二株の孟宗竹が持ち込まれて、その後江戸の薩摩屋敷に株分けされて、
鹿児島と江戸の二箇所から全国に広まったとされているのはご存じだと思われます。

この後、まもなく三瀬にも孟宗があったのでは?という文献があるのですよ(←ここ大事)

天明年間(1780~)に杉山廉氏が書いた「おそさくらの記」の中にあります。

気比権現にお参りに行き、気比台の池を見に行く途中で、虎でも伏すような竹林があり珍しく見て、
周りが一尺(約30cm)もあり、その竹に名前を彫りつけている者もいたと言うのです。
周囲一尺ならば、他のカラダケ類ではなく、孟宗竹以外は考えられません。
杉山廉氏が見たと記しているのなら、必ず見たと思うのです。
杉山廉氏は歌人で、庄内藩主組頭の杉山宜葵(よしとし)氏のドーターさんで、
幼い頃はお江戸で生活をしながら、五、六歳で既に和歌を詠んだと云われています。
若いのにさすがです(爆)
そんな人が、カラダケ類と見間違いなんかは無いというのが私の
考え方です。少なくとも5寸そこらと1尺を見間違える事は無いと言う事なのです。
そして、更に講釈させて貰うと、一般的には海岸付近の集落には
孟宗林は極めて少ないのが常識。
それでも、三瀬地区にはいたるところに孟宗林があるのです(←ここは最重要)
歴史性を秘めていると思いませんか?そこのあーた?(爆)

さて、蛋白や脂肪は今でこそ多く摂れます。というか摂り過ぎて
私の様に病気になっている人も多くいますが、昔は中々摂れませんでした(爆)
そんな事から、孟宗汁にも菜種油や酒粕などを入れる様になったと
分析できます。
しかし、孟宗と酒粕は、上記の理由とは全く関係の無い
別の関係があったと昔人に聞きます。
昔の造り酒屋は、ほぼ財産家です。自ずと山を多く持っていました。
そんな事で、酒を造れば酒粕が出ます。孟宗林に酒粕を肥やしとして撒いたと聞きます(凄;)
そんな山の孟宗は、他の山の孟宗とは別次元に美味しかったと言うのです。
孟宗と酒粕は昔から切っても切れない関係でもあったのです。
地元三瀬での一例を挙げましょう。
石塚きよし商店さんの山の孟宗です。
現在は酒販売ですが、以前は造り酒屋でした。
鹿児島産、広島産、京都産と日本を代表する孟宗がありますが、
それらと比べても全く別次元です。
それもそう。鹿児島産とかが我々の口に入るのは掘ってから、どのくらいの
時間が経っているかです。
我々調理人、曲がりなりにも板前、というか板後と言ったところでしょうか
(爆)それらのみならず、一般の消費者も孟宗は魚と同じに考えなくてはいけません。
地元産の旨い孟宗の掘り立てを現地で食べるのが、その人に
とって日本一旨い孟宗という事になるのです。

石塚きよし商店さんの主は「宗一」氏です。「しゅういち」と読みます。
「しゅういち」で悪い人がいますか?(爆)皆良い人ばかりです。

先祖には「宗一」で「むねかず」なる人もいました。祖父が確かそうだったかな?
宗一(しゅういち)氏のサンさんは「宗」で「そう」と言う名前です。

この石塚家の先祖には「宗」の字が付けられて来ました。

昔から孟宗を採って来たので、「宗」の字を付けたのでしょうか?(嘘爆)

それは冗談ですが、この石塚家が三瀬の石塚一族の元祖なのです。

氣比大権現(氣比神社)を敦賀から持って来たのが石塚家の先祖なのです。

っうか、また脱線しましたよね?(爆)

話を戻しましょう。

宇宙戦艦さんの孟宗汁は「なまら」旨かったです(核爆)

やはり、お汁ですから、出汁が決め手です。
粕も良質の物を使用されていましたし、座布団も相当に拘ったお店から
購入して来たと言います。まあ、座布団は地元三瀬のシュガー豆富店さんのも「なまら」旨いですが、座布団の話も熱くなる懸念があるので、今日は割愛します(笑)

私は以前、孟宗汁はその時の旬の魚、金頭で出汁を取るのが一番旨いと
言いましたが、嘘ですね(爆)

やはり、高級鰹節で出汁を取った方が旨いです。

皐月時ですから、旬の木の芽や旬の若芽を添えるのが一番旨いと言いましたが嘘ですね(爆)

今ならアオサなのでしょうが、やはり雪海苔が一番旨いかもしれません。
勿論、旬はかなり過ぎてしまいましたが、冷凍物を使用しても
生のアオサや若芽よりも上と診ます。

海苔もマタリキからの貰い物があります。出汁は高級鰹節。中華そばには入れられませんが、在庫はあります(爆)
或いは、飛魚100%の出汁で孟宗汁を作っても美味しいかもしれません。

皐月に入り、石塚家から孟宗を貰う事があったら試してみたいと思います。
今年は貰えないかな?(爆)

あとはメニューに『牡蠣フライ』がありましたので、天婦羅に替えて貰いました。勿論、前段取りでパン粉を付けてしまえばアウトですが、こちらのお店は
そんな事はしませんし、冷凍物を揚げる様な事をしないのを分ってオーダー。

いやぁ~、フライよりも二倍旨い!

フライだと、ソースが好きなのか?パン粉が好きなのか?(爆)

牡蠣自体の風味も天婦羅の方が強いです。

勿論、塩で頂きます。

宇宙戦艦夫妻は、喜んでいました。

フライの方が面倒だから、天婦羅の方が有難いと言っていました(爆)
価格が同じですから、当然そうでしょう(笑)

さて、中々外食もできませんが、外食する時の2回に1回は宇宙戦艦にお邪魔していると分析します。月に一度訪店するかしないかですが、行く度に遇うのが近くの滝沢眼科の先生夫妻。

そんな偶然が何度も続く筈は無い筈なので、多分、ほとんど毎日晩酌と食事にやって来ているのかもしれません。
この日も私が大絶賛していると、「俺にもちょうだいよ!2個あると良いよ!」とわがままを言っていました(爆)

まあ、誰ではないですから、2個でも同じ値段で良いと私は思います(核爆)

いやぁ~、本当に羨ましいです。
歩いて来れるところに住んでいても、私なら週一も大変です。

でも、今から医者になれる訳でも無いので諦めます(爆)

そろそろサクラマスの3k超級が入荷して来ると思われます。

一切れ2000円もする切り身を平気で注文するのでしょうね(笑)

私はノドグロも喰いませんが、サクラマスも喰いませんよ(爆)
700円の秋味で十分です。天下の仁三郎の秋味は最高です。
三倍も高値のサクラマスはノドグロと同じ評価です。

サクラマスはマジで旨いですよ!旅館をやっていた時は喰いましたよ!
昔はどんな良質の定置網鱒でも、一切れ1000円は付きませんでしたからね。
安い時代に飽きる程食べているので悔いはありません(爆)

次の来店もタコは確実。あとはローストビーフと食べる物が決まっている様なものです(爆)