本当に久しぶりの更新になります。
11月3日(木)が文化の日で営業をし、これまでのスタンスで代休なしで営業しました。
ブログの更新が無かったので、心配して営業しているものかと確認に来てくれた、ここの常連(笑)で
中華そば処の隠れ常連!?(爆)のブルードラゴン氏であったと言います(核爆)
さて、こちらも久振りの「アリラン」さんです。
この日は城下町管内に緊急の用事があり、用を済ませ自らの運転で訪れました。
故に苦手なビールから入ります(爆)
ビールは500ccの缶を呑むのは至難の業レベルですorz
350cc缶で十分です。
ビールはグラスが冷えていて、全て一気吞みしないと美味しく吞めません。
事ほど左様に、大人数での宴会のビールの注ぎ合いは最悪です。まずはグラスが冷えていませんし、宴会中盤辺りからは大体の人が泡の無いビールを呑んでいると分析されます。
そんな事もあり宴会でビールを呑まなくなってからビール嫌いが始まったみたいですorz
大昔は一晩でビール一ケースを呑んだ事もあります(爆)
生大ジョッキ15杯を呑んだ事もありますよ(爆)
泡の無いビールは本当に美味しくないですよ!
ネギの無い「うどん」と同じ次元です(核爆)
店長にわがままを言い、グラス生ビールをお願いしました。
さて、まずはナムルです。
何度も言っていますが、野菜から食べると肉から食べるよりも、
同じ割合で食べた時は太り難いらしいです。
気休めでも信じてそうしています。
ナムルと言えばゼンマイです!(爆)
そう言えば、私のところの常連「yuten」さんに乾しゼンマイを頂戴しました。
ゼンマイの旬は?と聞かれると、中々答弁に困る感じがします。
勿論、収穫期は春です。4月中旬~6月中旬の約二ヶ月間くらいです。
ではこの時期のゼンマイを食べるか?と言ったら、そんなには食べないでしょう。
勿論ゼンマイはワラビと同じくアクを抜けば、乾さなくても食べる事ができます。
しかし、ゼンマイをワラビと同じ下処理をする人は99%いないと思います。
逆にワラビをゼンマイ同様に乾してから戻して食べる人は多くいると
分析します。
ゼンマイは越冬保存食でありますから、食べる時期は冬期間が主でしょう。
そうです。ゼンマイは冬に食べるものなのです。
事ほど左様に折角頂戴したもので、こんな時期まで引っ張って来ました(爆)
まあ、ゼンマイを冬に食べるのは、大昔の話でありまして今は通年食べているのでしょうね。
一級品のゼンマイですよ!
これっぽっち?と思う人は、山菜に関して勉強不足です(苦笑)
このゼンマイが生の状態だったら、どのくらいの量なのか?
そして、どんなに危険なところに自生しているのかと考えたら、
超貴重な代物と言う事なのです。
まあ、それよりも一番は「気持ち」が有り難いなんですけどね!!!
私も実際にゼンマイ採りをしました。だから分かるんです。
余り採り過ぎて知り合いに配った時代もあります。
中には大喜びして、それ以上価値のある代物をお返しで頂いた事も
ありますし、その後お金を出しても良いから分けて貰いたいと言う人も数名いた程です。
でも、大体の人はその価値が分からない様な顔をしているものでした(核爆)
猫に小判までは行かないですが、近いものがあるかもしれませんなぁ~orz
ゼンマイ採りは、まさに男の夢とロマンは勿論ですが命を懸けた真剣勝負の場でもあるのです(爆)
採りに行く前日は、あまりの緊張でほとんど眠れない程です(マジ!)
比喩するなら、岸和田だんじり祭りであれば、大工方の前日の気分と同じ様な気持ちになるのかなと憶測してしまいます(爆)
冗談抜きで、命懸けで採りに行くのです。飯もあまり喉を通らない事がほとんどです。
あまりに緊張すると飯なんか受け付けないのは当然ですからね。
毎年同じ場所で採れば、いくら常識の採り方をしてもゼンマイ株は痩せてしまいます。
どれだけ多くのゼンマイ場を把握している事が超一級品のゼンマイを採り続けられるかなのです。
他人が足を踏み込まない、踏み込めない様な場所に行けば
吃驚する程の極太ゼンマイを採る事ができるのです。
その現状には絶対に満足する事無く、どんどん無理をして深山の奥へと足を
踏み入れます。素人なら即座に諦める大滝や断崖絶壁にも山を一つ越えて挑みます。
あの滝の上はどうなっているのだろう?断崖絶壁の極太ゼンマイを何とかして採れないものか?
と帰宅して、爽をして寝てからも夢に出て来るものでした(核爆)
そうなると、そこに辿り着かないと気が済まなくなります。
マジでそればかりを考えて病気になります。行きたいのに行けずにいると、
ストレスで熱を出してしまう事もしばしばでした。
貴重なゼンマイ場は家族の誰にも教えないと言う人もいます(爆)
まあ、キノコの松茸や舞茸なんかはその様に云われているみたいですが…(笑)
私は逆に家族の助けを求め、最初に「おかん」を連れて一度だけ行った事があります。
結果「おかん」は、その翌日から相当の筋肉痛で難儀し、二度と行かない宣言をした経緯があります(爆)
あの盛りのゼンマイ場を見た時、そして親指レベルの超極太ゼンマイを折った時の音を体験すると、
全てのストレスがぶっ飛びます。ここで死んでも良いとまでは思いませんが、
ある意味我が人生に悔い無しと思える程ですよ(核爆)
そんな経験をサンにもさせようと、一度だけ連れて行きました。
私はいくらでもサンに背負わせようと企んで連れて行く段取をしました(爆)
私60kでサンに80k(核爆)80kが入るリュックも特注で
馬具屋に作って貰いあったのでありました(爆)
リュックの肩紐は、車のシートベルトを三重にしたものでした。
出来て来た日は、サンとエルディストドーターが小学校二年と三年の時でしたが
2人を入れて背負い歩いた記憶があります(核爆)50k~60k程の
重さではありましたが、酔っていた為ふらふらでした(核爆)
そのリュックをサンに背負わせる段取でした。
何も知らない、そして、山菜採り自体にサンは全く興味が無く、2時30分起床にびびっていた様です(爆)
「おかん」は、山菜採りは旅館の大事な仕入れでもあるのでと真面目に
サンを説得させているものでした(今昔爆)
2時30分起床、2時45分出発です。
「おかん」は夜なべで「おにぎり」を作ります。
サン宛に「いっぺ採って来いよ!」と激励の一言のメッセを添えて…(笑)
事ほど左様に、私は山ではあまり「おにぎり」を食べる事はないのですが、
非常食として、そして、下山してからの昼飯、余れば夜に食べる事が多かったです。
さて、向かうは朝日管内の大鳥地区です。
多少の速度超過をしても、到着までびっちり1時間です(爆)
到着後、身支度を済ませ、薄明るくなるのを待ち入山します。
気温は5月中旬~6月上旬でも10度以下の事もしばしばです(寒;)
こんな寒い中、朝日の写真を撮りに来る者、そして、我々では魚に非ずと思っている
「岩魚」釣りをする人達と一緒になります(核爆)
写真家は渓流釣り、山菜採りには一ミリも興味がありません(爆)
渓流釣りをする者は、朝日の写真等一ミリも興味が無く、
山菜を「草」呼称するのです(核爆)
私は渓流釣りどころか海釣りにも0.001ミリも興味はありません。
価値観はまるで違っても同じ時間帯に同じ場所に集結すると言うのも面白いものですね(爆)
あとは、朝日を撮る写真かとは別に、山野草を撮りに来る写真家?みたいな
人達とも何度か遇い会話をした事があります。
話した内容は、カタクリの白花、白根アオイの白花を見掛けなかったか?みたいな話です。
カタクリの白花は2、3度しか見た事がありませんが、
私は見ると、花だけを折ります(核爆)
まあ、根こそぎを狙っている人間から保護したとの認識です。
白根アオイの白花は、カタクリの白花よりも珍しくはなく、
あちこちの山で見掛けます。里山にも結構あります。
でも、その写真家?みたいな人には、一応の自然保護の為に「知らね!」と言いました(爆)
あとは、トガクシショウマと言う山野草が、人気があると言うことなのですが
これは私の行くゼンマイ場の滝の下付近に大きな群生地があります。
かなりの群生地でありますが、その写真家にも自然保護の為教えませんでした。
唯一教えたのが、加茂水族館前館長「村上氏」です。
信じられる人なので、彼を一度現地に案内したら相当に喜んで
いたのが昨日の事の様です(笑)
さて、一歩山に踏み込めば敵も多く出現します(爆)
『大なめくじ』『ひとくい蛾』『痺れアゲハ』『デンデンガエル』『大烏』『お化けキノコ』
『いたずらもぐら』『いっかくうさぎ』等は頻繁に出ます(DQ爆)
行きには滅多に遭いませんが、帰り道は『とさかヘビ』にも遭遇する時があり、
『あばれ猿』にも何度か遭った事があります(DQ爆)
もう、『ごうけつ熊』なんかに遭ったら命はありません(DQ掛自爆)
持参しているのは、「やくそう」とトルネコの内儀から貰った「お弁当」のみなのです(爆)
キアリーもキアリクも使えない。「どくけし草」とフルムーン社長から貰った「まんげつ草」だけなのです(DQ爆)
あとは、アムールの水はどこでも呑めますけど…(DQ爆)
秋なら「力のタネ」もありますが、春にはありません(DQ爆)
唯一、ウドだけは生食もできますから、力のタネにはなるかもしれませんね!(笑)
藪も歩くのを邪魔します。持っているのは、うど採り様の寂れた剣です。
まさか、山小屋でゼンマイを処理している「サリィ」にも遇える事もないでありましょう(核DQ爆)
それでも、私パパスは「ぬぉ~」と気合を入れて
行く手を阻む枝等を切りつけ前に進みます(爆)
ただ、崖から滑落する事だけは気を付けなければなりません。
パパス「ぬぉ~」なら良いのですが、「ぬわーーっっ!」では終わってしまいます(DQ核爆)
そんな事はともかくも、車から降りて獣道を歩きゼンマイ場までは約40分~50分です。
絶好の場所から取り出す時間帯は午前5時頃です。
普段は約2時間採ると一背負い(60k)になります。
サンと2人なので、二背負いするには場所移動しなければいけませんので、
120kの背負い出しする分を採るには3時間程掛かります。
8時頃に大体は決まり下山準備です。
この8時が『とさかヘビ』の概ねの出現時間帯なのであります(DQ大汗;)
40分~50分で歩いて来た道は、それこそ、「行きは良い良い帰りは恐い」
であります。
大体が二倍の90分~120分程も歩かなければいけませんorz
そんな事はどっとでも良い話なのですが、ゼンマイの歩留まりは僅か1割程度です(爆)
生の状態で60kを背負い下ろしたとします。
素人の人は乾し上がり3k~4k程度でしょう。まあ、素人の人は一度で60kのゼンマイは採って来れないでしょうが…(核爆)
私の場合は60kを背負い下ろすと、5k強には留まります。
ゼンマイは余計な部分は全て山に置いて来るのがプロのゼンマイ採りなのです。
自宅に来て、捨てる分部をわざわざ背負って来る人はプロとは言えないでしょう?(苦笑)
採った(折った)寸時に、綿(頭の部分)を手ではらいて、頭の部分から二握り~握り半(自然に折れる箇所)
のところで折り、初めて「はけご」に入れるのです。
極太ゼンマイだけなら、それこそ1割近くは留まりますよ。
っうかやや脱線しましたか?(爆)
話を元に戻しましょう。
ゼンマイを頂戴したyutenさんから、こんな画像が送られて来ました。
United States of America、アロハ州から画像が送られて来たと分析します。
オアフ島でハワイ諸島では三番目に大きいアイランドである様です。
それでも人口は、規模では一番大きいハワイアイランドよりも多いと言う事です。
プロヴィンシャルキャピタルの所在地『ホノルル』があるので自ずと
理解はできると思います。
因みに2位は「マウイアイランド」で、大相撲で大昔に活躍した高見山大五郎氏の出身地でもあるのです。
ジャパンでの苦労は計り知れないものがあったと分析します。
丸八真綿のコマーシャルも本当に懐かしいです。
ただ、現役時代は嫌な力士でした。なぜならば、超ウルトラスーパー「輪アイランド大士」の熱烈ファンであった為、
キラーの高見山関との取り組みを観るのは嫌なものでした。
ワイキキでも琴平Tシャツです(核爆)
もう有り難いとか嬉しいのを通り越して、笑うしか私にはできない感じになっています(核爆)
そして、この画像を見て一言付け加えさせて頂ければ、羽後塾長と週一氏の琴平Tシャツを全て没収しようかなと一瞬思いました(核爆)
羽後塾長、いくら安いツアーがあれども海外旅行は止めてけろだす!(超核爆)
週一氏、海外研修旅行には若手の部下にお譲り下さい!(超核爆)
まあ、これがyutenさんでなく私ならウーロンハイ片手に余裕をぶっこいている画像を撮りたいところですが、マジで逮捕される懸念があります。
ジャパンと外国の法律の違いです。
これが本当の「わい、危機や!」になるであろうと懸念します(爆)
そして、熟成肉で有名な「ウルフギャング」も食べて来られた様です。
国内でも食べられるお店があるそうですが、かなりの価格がすると言う事を聞いた事があります。
日本での和牛A5と同じく、こちらでの国産牛A5レベルでありましょう。
サシに拘る事無く、赤身の旨味に拘った肉と言えると思います。
これは間違いなく美味しいと思われますよ!
仮にランクが下がる肉に対しても、地元では懸念する事など無いと
思います。
ハワイの人、歯はいいからです!(嘘爆)
本当はハワイアンヌードル「サイミン」を食べたかったそうですが、
未食で帰国と相成ってしまったそうです。
サイミンは郷土料理と言う事で、観光客のほとんどが訪れるワイキキでは
提供するお店がほぼ皆無だと言う話しでした。
食べた方に聞くと、魚介出汁で特に海老風味が強く最高に
旨いと言っていました。
あまりの旨さで、あたかも催眠術に掛けられたかの様に気を失ってしまうかもしれませんね(爆)
羽後塾長は、気絶している時は「サイミン」を食べていたものと分析します(嘘核爆)
そして、ホノルルの画像です。
勿論観光での話で、夜警をしながらは写せない画像と思います(爆)
そして、お土産まで頂戴し恐悦至極でありました。
ハワイ土産としては定番中の定番で、自ずと外れる事は無い代物です。
本当にいつも有難う御座います。
今回のハワイ土産のみならず、本当にちょこちょこお土産をいただいており
恐縮しているのであります(爆)
もしかしなくとも、かなり脱線してしまった感は否めません(爆)
話を完全に元に戻しますよ。
そんな事ですが、この日は「おかん」とサンが後から来ました。
確信犯でありながらも、代行代3000円也が浮きました(爆)
セカンドドーターは杜の都管内在住、エルディストドーターも仕事が多忙で、
我々の飯の時間に合流はほとんど無理に近いので家族揃っての外食は全く無くなりましたorz
サンの大好物「タン」です。
こちらはスライスです。
サンの御飯です(爆)
これはライス大盛りの上の更に又上です。
上が特盛りで、その上が「ケンタ盛り」と言う隠れライスメニューがあるのです(爆)
特盛りの上と言っても、量的には3合程ですので驚く事は無いと思います。
サンは朝昼晩で9合の飯までは喰いません。私が高校生~サンの年(25)歳くらいまでは、
麺類を食べる時は別ですが、ご飯だけの場合は1升飯をまくらったものです(爆)
因みに高校生の時は、1日5食で多い時は6食でありました(爆)
朝は8時ちょうどの「あずさ2号」、もとい、7時ちょうどの羽後行きに乗って
から朝食です。持参する「おにぎり」は鮭入り、銘柄はササニシキ100%の
銀シャリでした。
大きさと言えば、現在のコンビニ「おにぎり」の約2倍の大きさで、
数は8個(核爆)これが朝&昼の分でありましたが、それでは足りずに
中間休みに学食に行き、うどん(天カス入り)を食べたものです(笑)
下校時も港町駅側の通称「ゴキブリ屋」で「うどん」を食べる事が多かったです(核爆)
先輩達から聞いた店舗の呼称「ゴキブリ屋」(爆)
うどん、蕎麦にゴキブリが載っていた事は100%考えられません。
店内or店舗前にゴキブリがいたか?或いは死骸でも見つけた人がいたかと
思われえますが、真偽の程は当然分かっていません。
お店側に取っては、本当に心外な話ではありますよねorz
あとは麻雀で儲けた時は、アルバさんで極上のカレーです。
アルバさんは、大昔駅前にあったのです。今はケソチャソ総本山の前、ゆたかタウンにアルバです(爆)
ラーメン店も結構回りました。大来軒本店さんとか来々軒中町店さんにも行きました。
ワンタンには一ミリも興味が無かったハイスクール時代でしたが、
ジモティー同級生に「ワンタンメン」が一推しと力説されて、
来々軒さんのワンタンメンをオーダーしました。
確か価格は400円台後半だった記憶があります。勿論500円に釣り銭時代でありました。
いやぁ~、生まれて初めて食べたワンタンメンでもあり、ワンタン自体でありました。
高校生まで餃子やシュウマイは食べた事はありましたが、ワンタンは初めてだったのです。
大きな弾力のあるモモチャーシューが二枚もかなり食べ応えがありました。
訪れたのは放課後ですので、4時前後だったと思います。
帰宅してからの食事がありますから、普通盛りを注文したと思います。
麺もツルツルシコシコで、喉越し抜群のやや熟成気味麺だったでしょうかね?
メンマもふっくら戻されて、優しい味付けのスープを邪魔しない素晴らしい脇役であったと思います。
スープは、魚出汁がよく効いていたのを覚えています。
やや薄味に感じるそれですが、もう一口、もう一口と呑んで行くうちに
結局は、丼はエンプティーになるのでありました。
もう少し、濃い口でも良いかなと思っていましたが、全て食べ終わると
ちょうど良い感じがする魔法のラーメン?と感じた程です。
絶妙の塩分濃度だったのだと思います。いやぁ~「これは最高に旨い!!!」と思いましたよ!
当時の城下町管内では絶対に食べる事のできないラーメンの味でしたからね!
そして、肝心なワンタンは?
全然大した事が無いと感じました(核爆)
連れのジモティー同級生に、「ワンタンなんかあんまりうめぐねっちゃや?餃子やシュマイの方がずっとうめぜ!」
と言ってしました私でありました(爆)
分析すると、ワンタンは食べなれない物であり、
餃子、シュマイの方が私には慣れ親しんだ物であったと思います(超核掛自爆)
しかし、それからワンタン、或いはワンタンメンを頻繁に食べる様になり、
大学を中退後の平成一桁台に再訪して、ワンタンメンを食べて
衝撃を受けました。その時は500円ちょうどであったと記憶しています。
こんな旨いワンタンがこの世にあるものなのか?とさえ思った程です(驚;)
後のフルムーンの故斎藤省吾達人のワンタンを食べた時の衝撃、
その後のハーフムーン池田名人のワンタンを食べた時の衝撃があります。
まあ、双葉山、大鵬、千代の富士を戦わせる事は不可能なので、
話はこれで終わりです(爆)あっ?ニューンムーン加賀屋社長のワンタンも
北の湖ですよ!(爆)
そして、私こそが白鵬ワンタンを作るのであります(超ウルトラ核爆)
ん!?話を完全に戻したのもつかの間、また脱線してしまった感がします(爆)
そんな事でサン25歳と同じ歳の時の写真を探してみましたが、
一枚しか探す事ができませんでした。
左が天下の鶴の徽章ジュニアハイスクールの番長「Y二先輩」です(恐;)
事ほど左様にY二先輩は26歳の時です。
Y二先輩と言えば、泣く子も黙る「鶴の徽章ジュニアハイスクール歴代ナンバーワン番長」
Y二先輩です。その後、経理高校を中退する頃は、泣く子も即死する
極●のY二先輩でありましたgakugakuburubur
しかし、現在では良いお爺ちゃんになって、泣く子(孫)も笑うY二先輩になっています(爆)
この時代は「山形チョイす!」もありませんでしたので、Vサインです(爆)
しかし、大昔は笑顔の写真がほとんどありません。
高校時代なんかは笑っている写真が全くありませんorz
何でカメラを睨むのでしょうかね?(核爆)
おっと危ない、また脱線するところでしたので、さすがに結びに持って行きます(爆)
いきなりですが、〆の辛いスープです。
「おかん」とブンハンです。
呑み過ぎで焼肉もほとんど食べずにいましたので、
帰り際になって腹が空きます(核爆)
更に〆の冷麺であります。
二度の脱線をしてしまいましたが、終りよければ全て良しの
大変おいしい一杯でした(ナベ爆)
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