試作麺持参で港町へ

今月上旬の試食会の時の麺は自信のあると言う粉を業者に勧められ
自信の製麺をしたつもりでしたが、自分ではやや不本意な麺の出来で
狼狽していましたorz

あれから毎日粉を替えて製麺し続けました。
自分なりに昨年以上の麺になったかな?と思ったのは1度だけでした。

その試作麺を持参して、ハーフムーンの池田店主に行くことになりました。
地元駅から14時59分発の電車で終点の港町駅
(16時55分)まで検品して貰いに乗って行きました。

小1時間も掛かりますので、軽く一杯やりながら向う事にしました。

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城下町駅より北に乗るのは、31年以上も大昔まで遡るものと思われます。

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それこそH八乙女の社長の通う高校と抗争事件を起こしたのが33年前の今頃の時期であったと記憶しています。彼等が通う港町テクニカルハイスクール
連中がここ藤島駅から多く乗り込んで来て毎日が予断を許さない状況で一日とも緊張から解放される事はありませんでした(爆)

そして、一番恐かったのが余目駅でした(大汗;)

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長南肉屋の社長肉彦氏はここで降りて行くので少しほっとはするのですが、
列車通の番長から命令が下ります。

反対ホームにやってくるサイセン(陸羽西線)の列車に
喧嘩を売って来いと言うものです(大汗;)

ヤンキー連中の乗っている車輌に行き、「文句ある奴は掛かって来い!」
とか「タイマンだ!びびってんじゃねぇ~ぞ!」と列車番長の先輩から言われた通りにしなければいけませんでしたorz

言わないと即ボコボコの焼きを入れられますorz

小便のちびる思いで、言われた通りの事を叫びます(大汗;)
しかし、相手の反応がありません(驚;)

その後知ったのですが、私が1年に入学した時のその列車番長は
テクニカルの番長でもあったのです(恐;)港町サウスハイスクールの
裏番長も乗っていたのです(怖;)

後から分かりましたが度胸試しをさせれらただけだった気もしますorz

そのせいで私は虎の威を借る狐病に掛かってしまったのでありました(爆)
列車や港町管内ではそれらの先輩の威を借り、城下町管内に降り立てば
天下のY二先輩の威を借りれば良かったのでありました(核爆)

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さて砂越駅と言えば、飛鳥の友達を思い出します。
途中下車して遊びに行ったものです。

入学当事は飛鳥と飛島を間違えて、飛島から来たのか?と友達に
言うと「飛鳥」も読めないのか?と言われたものです(核自爆)

彼の家は確か神主をしている家で、普段あまり乗っていないバイクがありました。

何度か乗って遊んでいましたが、結末は調子こいて事故って転倒し
風防を破壊してしまったのです(爆)これが同級生内では有名な飛鳥事件です。
今は昔ですが、勿論飛鳥時代までは遡りません(爆)

因みに、そこに千石やの五十嵐君がいたのは言うまでもありません(核爆)

そしてあの当時イースト港町駅を発車すると、憂鬱さが増して行きました。
憂鬱を漢字で書けないよりも気持ちが晴れませんでした(爆)

小学生がサザエさんのエンディング曲を聞き終わった様な気持ちと
同じ次元と思われます(核爆)

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そして、とうとう港町駅です。駅に着いたらとっぽい兄ちゃんとガンのくれあい飛ばしあいなんかしている暇はありませんでした(爆)

昇降口のところで生活指導の先生が待ち構える前に登校しなければいけませんから(爆)多少列車が遅れると、多少面倒ではありましたが裏口登校しなければ行けませんでした(笑)

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そして、港町駅には0番線があるのを知っていましたか?
あの当時サタデーは半ドンでありました。

土曜日の午後は大体がマージャンをしていましたので、早くショバ(城下町管内千石や店主の当時の自宅)に行きたい訳です。
授業が終了するのが12時35分。0番線からの発車は12時37分であったと思います。3番線からの13時50分発だと城下町駅着は14時30分にもなるので遊技時間が減ります。
何としてもこの0番線からの列車に乗らなければ行けませんでした(爆)

1年時の土曜日の三時間目は化学の授業で年寄りの先生(講師)で
、先生が黒板を向いている隙の12時20分頃に抜け出す時しばしば、
腹が痛くなる事しばしばでした(核爆)

千石やの五十嵐君が気になりますか?これは一緒ではありません。
2時間目の授業が終ると、学校を去る事がほとんどでした(核爆)
0番線の列車で待ち合わせでした(笑)

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まあ、そんな事がいつまでも続く筈も無く2年時の土曜日の三時間目は
担任の日本史の授業に換えられてしまいましたorz
私にとってはこの世の終わりでした(核爆)

それでもたまに途中で帰る五十嵐君でありました(核爆)

さて、少々脱線してしまいましたが改札を抜けると
ハーフムーンの池田店主が待っててくれました。

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池田店主は本当に面白い人です。

出発した時、「今無事乗りました!」とメールを送ると、
「何時で着くの?」と返信が来ました。前日に3時55分着ですとメールして「オーライ!」と返信が来ているのにも関わらず(笑)

一応は「3時55分です!」と返信すると、「電車の旅は楽しいの?」と返信が来ました(爆)一応は「最高に楽しいです!」と返信すると、暫く返信が来なかったのですが、15時45分に「あとどのくらいで着くの?」と返信が来ました(核爆)悔しいので列車が酒田駅のホームに入った時に「まだ砂越です」と返信しました(爆)

これからがこの日の最重要、私の麺の調査をして貰うために
定休日のハーフムーン店舗に向うのでありました。

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ここからはあまりにも真剣に取り組み、画像を撮ると言う事さえもマジで
失念orz

本当はここの部分を一番紹介したかったのですが画像が無い為に
詳細は割愛します(爆)

池田店主のこれまでの職業柄、そして一番は経験と技術により、
多くの小麦粉の銘柄を知りその特長をも全て頭に中に入れているのです。

それらを惜し気もなく教えていただいたり忠告もたくさん頂きました。
本当に感謝以外の言葉が出てきませんでした。

目から鱗…じゃなく目から涙…です。

そして、この日はハーフムーン店舗で『焼き鳥池田』を当日のみの開業を
するとお聞きしてお邪魔した訳です(爆)

しかし「よし、そろそろ行こう!」と言うのです(???)

ガチの焼き鳥の焼き台も見せて貰って期待し、楽しみにしていたのですが
池田店主は「肉買うの忘れた!」(核爆)

そんな事で港町一拘りがあり旨いと評判の高い、焼き鳥店に向うのでありました。

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記事があちこちになりましたが、私にとって知見氏は天才、
池田店主は名人です。

どちらも仲良く付き合わせて貰っていますが、正直師と仰ぐお二方である事は間違い無いです。

製麺は10年経って一人前と云われている様ですが、13年経っても
まだまだ一人前なんかほど遠いですよorz

ラーメンは難しい、もといラーメンも難しい。
製麺は難しい、もとい製麺も難しい。