お客様の送迎

大石田町までお客様を迎えに行きました。

新庄市の入り口の「畑」と言うところから近道があります。
幸いにも道路標識がありますので迷う事もありません。

大蔵村を通り、舟形町、大石田町へ行く訳ですが、途中、
山の斜面に「マタタビ」の群生地がありました。

立ち消費税を払ったのではありませんよ(爆)

バスのトランクにちょいと拝借、失礼します(笑)

「空」&「海」のお土産です。
子猫にはあまり効果が無いとも云われていますし、経験上は雄の方が喜びます。
やはり、「空」はやや興味を示して舐めたり噛んだりしていましたが、
「海」はじゃれ物と勘違いしていた様です。

,5分程遊ばせました。

大体の猫は10分も遊べば厭きますが、厭きない猫に、あまり長時間
遊ばせるのは良くないと聞きます。

さて、元に戻りましょう。

舟形町から大石田町の大浦地区に入ると間もなく道路標識が見えて来ます。
ここはダンプも頻繁に行き来します。

道路に小石が落ちている時もありますから気を付けましょう。
その時「おお、石だ!」と言っては行けません(爆)

さて、このT字路を右折すると、蕎麦処「次年子集落」へと続きます。
全国的に有名な「七兵衛そば」さんがあります。

未食の方は是非一度!
出来れば日曜日に行った方が話のタネになると思います。

凄いというか、呆れて笑うしかないと思いますよ(笑)

比喩表現が思い付きませんが、「天下の仁三郎の副船長も吃驚!」と
言ったところでしょうか(爆)

まあ、今は億万長者かもしれませんが、先祖はさぞ苦労したのだと思いますよ。
銀シャリが食えなくて、蕎麦の塊りを食べていたのでしょう。

土壌も悪く、気候も今と違い厳しく、稲の品種も違いましたから
稲が育たない、米が取れないので自ずと食えない時代が続いた訳です。

それで荒地でも育つ蕎麦を植えたのがそもそもの始まり。
土壌が悪い土地にはドジョウも生息しませんorz

気を取り直して「次年子」を私なりに解く事にします。
冬になり、11月、或は12月生まれの子供は、雪が多く「役場」まで
届けに行けなかった為、「次」の「年」になってから、「子」供の
出生届を出しに行く羽目になった程の豪雪地帯でもあったと推測します。

今みたいな除雪対策も無かったでしょうから、融けるまで待つしかなかったでしょう。

自ずと、1年間の半分は豪雪の為、何も出来ずにいたか、雪と戦ってきたに違いありません。

ん?ちょいと脱線ですなぁ~(笑)

迎えの時間に遅れます!急ぎましょう(爆)

大浦集落を過ぎて、大浦橋の途中に車を止めて母なるリバーを撮りました。
橋から上流部です。

橋から下流部です。

若い頃、ここに住んでいれば、泳いで港町管内まで行こうと考えたかもしれません(爆)

さて、次の集落が迎えの場所です。

10時の約束でしたが、9時30分に到着です。

迎えの場所がこちらのエレメンタリースクールです。

駐車場には教師の車が一台も止まっていませんよ(謎)
運動会の代休なのかな?

車を降りて辺りを散歩してみたら、道路を挟んでプールがありました。
プールを見て、廃校だと気づきました。

やはり、どこもかしこも少子化問題は大変です。
地元の三瀬小も本当に寂しくなりました。

そう言えば、歴代の校長先生に駄洒落王がいました。

水沢出身の瀬尾校長でした。いつも私と駄洒落合戦をしたものです(笑)
瀬尾先生の駄洒落はいつも「絶好調」でした(爆)

しかし、我々が小学校時代は、校長先生とは会話すらした事がありません。
月曜日の朝に見る程度で、まともな挨拶をした事もありませんでした(笑)

マンモス校だったからか?今となっては不明です。

瀬尾校長は廊下に落ちている小さなゴミも
自ら拾っているものでした。感心です。

我々の時代は、用務員さんは拾いましたが、校長先生が
廊下に落ちているゴミを拾う事なんてなかったでしょう。

別に悪気があったのではなく、見えなかったのだと思います。
「老化」現象なのですから仕方ありません(爆)

校長先生ですから、当然定年が近い訳ですから仕方のない事です。

そう言えば、現在では「用務員」という言葉も使わなくなりました。
「技能主事」になるのでしょうが、昔は「小使いさん」と呼んで
いたとお袋から聞いた事があります。

現在、「技能主事」を「小使い」なんて呼んだら激怒されますよ。
用務員さんが「小使い」と呼ばれ怒った時代もあるのですから。

「小使い」とは「小間使い」の省略系なんじゃないかと思われます。
だと、やはり怒って当然です。

ではでは!