蝦夷征伐体験記Ⅹ(最終)

よくこれだけの人が札幌に…というかよくこれだけの大都会に変身をとげたことに驚きました。
明治時代までは「蝦夷地」と呼ばれ、明治2年に「北海道」という名が初めて出てくる。それでもこの時はまだ、11の国に分かれていたと言います。
明治15年には、かなり開拓が進み、札幌県、函館県、根室県の3県であったという。それでも、あれだけ広大な地にしてみればわずかな人口ということで、4年後には3県を纏めて、北海道庁がつくられて、真の「北海道」が誕生しました。
これで他の県と同じ扱いの土俵に立ったのだと言いますね。
開拓が進み、開拓者が自分の故郷の県名地名に付けた例がとても多いようです。山形もあります。その他、宮城、岩手、秋田、福島など。福島町は、横綱千代の富士の出身地であることは有名ですよね。
岐阜とか山梨もあるのだとか…。
その他はアイヌ地名も極めて多い。稚内、岩内、木古内の「内」はアイヌ語で谷や沢を表すということでした。
紋別、登別などの「別」は、「ぺツ」が訛り「ベツ」になって当て字…。ぺツは「川」を意味するといいます。
アイヌ人でなくても、川のそばで暮らすのは鮭や鱒のみならず川魚類を捕ならくてはならないし、水を飲まなければ死すということで当たり前の事。
ぺツが川という意味で「別」の地名が多いのは当然頷けます。
現在は、先人の英知と努力で米どころ北海道ではあるが、寒冷地の北の地で、稲作は困難であろうとその当時はあまり考えもしなかったためか、酪農が盛んになったのも頷けます。
まだまだ北海道については勉強不足です。これを機に調査や研究をしていきたいものですね!