旧温海街道の古跡等

上郷地区の中山、或は矢引に用事が無ければまず通ることは
無いのですが、城下町管内に向う時、大動脈が工事とかでかなりの
時間を待たせられると苛々します。

そんな時は中山矢引峠を越えて行き来します。

中山集落に入る前に、俗称地名で降矢というところが
三瀬地区内にあります。

ここに「三瀬一里塚」の標柱が立っています。

一里塚と言うのは昔の道標で、江戸時代に入ると徳川家康の命令によって、  今の約4kごとに作られたものです。

三瀬にも一里塚がありました。

ご存知無い方もいらっしゃると思いますのでご案内致しましょう!

興味の無い方はご遠慮下さい(笑)今日は真面目で長いだけで
、かなりつまらないですから(爆)

携帯から読むと死んでしまいます(爆)

さて、三瀬集落から中山集落へ向って行くと、降矢橋があります。

その手前50mの左手に標柱は立っています。
ここが、三瀬一里塚があった場所とされています。

しかしながら、非常に残念な事に、現在ではその面影が皆無です。
乱開発のせいでしょうか(苦笑)

一里塚の模範的なものは、榎や松などの樹木が植えられ休石が
置かれていたものです。以前ですが、休石を必死に探しましたが
見つける事はできませんでした。

辺りには休石も見当たらないどころか、木の切り株さえも無くなっていました。

庄内にだけで80箇所近くの一里塚があったとされていますが、
その面影を残した一里塚はほとんど無くなってしまった様です。

近くで一里塚が確認されるのは、大山地区の栃屋にあります。
ここが栃屋一里塚です。

江戸の一里塚の基点は皆さんご存知の様に「日本橋」です。

ここ庄内の一里塚の基点は一体どこなのでしょうか?
日本橋なんでしょうか?(核爆)

鶴ヶ岡城(大宝寺城)があった、今の鶴岡公園が基点かとも
睨んでいましたが、調査の結果、確かな事は言えませんが、
どうやら越後との県境が基点の様です。

栃屋一里塚には休石(やすみいし)が2つあります。
昔はもっとたくさんあったに違いないです。

榎や松は切り倒されてありませんが、それらの木々で日陰を作り、
休石に座り旅人は一服していたのでしょう。

三瀬一里塚には清水も湧いていました。
現在もあります。

一里塚標柱のすぐ近くにあります。標柱の斜向かいのパイプから出ています。
夏場の水量は、極々少ないですが涸れる事はありません。

この水を飲んで、旅で歩いた疲れを癒していた事でしょう。
まことにあり難い清水です。

折角ここまでご案内しましたので、降矢の「ほそじん様址」を紹介しましょう。
清水の少し先から山手に10m程上がったところにあります。

ほそじん様とは「疱瘡神」の事です。疱瘡(ほうそう)とはご存知伝染病。
昔は治療法も無かったのでしょう。せめても神頼みという事だったのかもしれません。

当然、参拝人や旅人も多く通ったところですから、
茶屋もあり栄えた処でもありました。

栄えただけでなく、歴史的に色々あった所です。

降矢と地名にもあるように、降矢橋の下を流れる川は「降矢川」です。
矢が、降るが如く流れた川ゆえ、降矢川の名前もあるのでしょう。

戦場でもあったのです。近くに「館(楯)の山」もありました。
館とは小さな城を意味して、戦がある度に戦士が集まったところです。
よって城主とかはいなかったと思います。

記録(古文書)には無く残念ですが、大浦城の武藤氏と戦ったとも
云われています。大浦城は尾浦城の前の城名です。

大浦(おおら)城から(おうら)城呼称になり、「お」に適当な漢字の
「尾」を付けたと分析します。

まずは、現在の「大山」と言えば分かりますね。

さて、郷土史家によれば、水無集落の「斎藤」「加藤」「鈴木」姓は武藤氏の
重家臣であったのではないかとも云われています。

もしそうであれば、当然ながら、身分の高い家柄なのです。
今だから水無集落の住民とも話は出来ますが、
昔は話などするなど、とんでもない事でした。

武藤氏が滅びた時に、同じ苗字を名乗れば身の危険の懸念がある為に、
「武」の字を無くして、「藤」の字は残し、「斎」や「加」を加えたと
分析できます。

鈴木姓に関しては不明ですが、昔から高い家柄であった事を考えると
重家臣の流れであったと分析できるんじゃないでしょうか。

もう、ここまで来れば誰も読んでくれないと分析しますが、
疱瘡神社付近を調査した際に拾ったものがあります。

天保通貨(てんぽうつうか)と寛永通宝(かんえいつうほう)です。

寛永通宝の方は、それこそ銭形平次が投げていた銭です(笑)

誰が呼んだか銭形平次、誰も呼ばない水戸黄門(爆)

しかし、誰も呼ばない水戸光圀公は実際の人物ですが、誰かが呼んだであろう銭形平次は実際にはいませんでした。(笑)
いわば架空の人物だったのです。そんなのどちらでも良い話です(爆)

遅れましたが、拾った全てです。

これを警察に届けなかったのですから、猫糞(ネコババ)になります(笑)

猫は糞をすると、砂を掛けて隠します。必ず隠します。
拾ったものを隠す事を猫糞と言います(笑)

猫糞は犯罪です。

遺失物横領罪で1年以下の懲役又は10万円以下の
罰金、若しくは科料に処されます(汗;)

このブログをここまで見た方は数人でしょうから、
絶対に他言無用でお願いします(爆)

まあ、ばれたらこの銭を売って罰金を払います(笑)
実際は売っても1000円~1500円程度でしょう(核爆)

最後になりますが、何を言いたかったかと言うと、
一里塚は先人の重要な文化財です。

個人的には微力ですが、乱開発から守っていく努力
をしていきたいと思います。

全てが開発から守れるものでもありません。

せめても、先人達が残した文化財は、どんな小さな物でも、
親から子、そして、子から孫へと伝承し、守って
いかなければいけないと、強く思う今日この頃です。

三瀬は歴史の宝庫、そして、海、山、川の自然もあります。
こんな良い土地で生活できることを誇りに思います。

郷土を愛することは、とても大切な事です。
それが人間の成長にも繋がると思っています。

先人のやってきた事を知ることは大きな財産です。

三瀬は本当に素晴らしいところです。

皆さんも琴平荘の中華そばを食べながら立ち寄ってみては
如何ですか?(爆)

明日から再営業します。

先着、アバウト200名のお客様に「豪華粗品」を
ご用意しています(爆)

豪華粗品ですから、月並みの代物と認識して下さい(爆)
200名様がいらっしゃるかは、かなり疑問ですが(苦笑)

来ない様な時は、閉店まじかのお客様には、「豪華粗品」を
2点、3点とお持ち帰り頂く事になりますので宜しく
お願いします(爆)

では、中華そばのシーズンに入りますので、
残念ですがブログの更新ができなくなります。

中華そばのシーズンに入ると、人間が変わります(爆)
「爽」の務めは全く同じですが(核爆)

まずは、定休日にでも時間があれば更新したいと思います。

では、明日ですぞ!11時に待っています(笑)