サンデーイブニングの食事

日曜日の夕方です。
Y-Y君のいる、太郎さんへ行こうか?と自宅を出ました。

メンバーは「おかん」とセカンドドーター抜きで、
サンとエルディストドーターでした(笑)

城下町管内サウスバイパスを走っていると、エルディストドーターが
あそこを曲がると、千山閣だっけ?との話になり、急遽予定変更(爆)

まあ、何れに行っても「爽」が無い事には変わりはないので…(苦笑)

今後は、「爽」が無くても、甲類焼酎があるお店には行こうかなと
自らを改善しようかなと考えています(爆)

、5時少し前で、ほぼ満席orz 一般の飲食店が夜の部開店の5時には、
既に満席、待ち客が発生(凄;)

寿司店で行列を作らせる、金太郎さんも凄いですが、焼肉店で行列とは?(驚;)

普通は混んでいるからとか、満席だからとか、別の焼肉店へ、或いは別の
類いの物を食べようとなるのが、自然の流れの筈。

しかし、皆、「ここの焼肉しか食べないぞ!喰ったら、早く席を立てよ!」と
言わんばかりの、やや険しい表情をして、入り口付近に並んでいました(爆)

段取り八分なのでしょう。提供は馬鹿早いです。

皿を触りましたが、盛り付けして冷蔵庫保管して置いたものでもありません。

仕事が早いのと既出の段取りが全てです。

一組一人前のみの和牛ハラミも既に売り切れ。和牛特上牛タンも売り切れorz
山形牛のA5ランクの牛肉を使用しているのは、周知の通りでしょうが、
その内臓も一式買いしている為、数に限りのあるのは当然の事なのです。

まあ、間違いなく食べれるのは、平日にシャッターor予約すれば
ありつけるのではと分析します。

それでも裏メニューのタンがあるとかで、オーダーしてみました。

サンが、かなり旨いと唸っていました(笑)

次に、上ミノです。ん~む。画像からは、「スタッフのお尻」になるのか?(核爆)

というか、お隣が「まるい食品」の社長の加藤氏ご家族だったのです。
加藤氏から声を掛けられ「声ですぐわがった」

というか、今は会長に就任したそうです。

社長は、何と「いとこ」の久美氏がなったそうです(爆)
久美からみれば、現状では一番近い親戚なのに知りませんでした(核爆)

まあ、「いとこ」ですから、当然、ハナをたらしていた頃から分かるのですから、何か可笑しいです(爆)

まあ、久美からみれば、「アツシ」が社長?ちゃんちゃら可笑しいと言ったところでしょうか(爆)
というか「琴平荘」って会社だったの?と言ったところでしょうか?(核爆)

並みカルビでご覧の通り!
ブラボーです!

ここに最後にお邪魔したのは、先だっての旅館組合の会合前になりますが、
家族で来たのは、エルディストドーターが高校時代以来なので、
7年~8年振りくらいになるでしょうか。

その当時は、私もまだバリバリ。喰うというか肉を呑んでいた時代です。
こんな喰い方でした(爆)

懐かしくて、やってみました(爆)で、半生の状態で呑んでいました(爆)
この日は、ある程度は焼いて食べましたよ(笑)

お尻スタッフさんが、「豪快だの?」と声を掛けてくれましたが、
「いや、ただの馬鹿だなだ!」と言いました(爆)

〆の辛いスープ(ユッケジャンスープ)も非常に美味。

知らない人も多いでしょうが、ここのお店、移転前は旧消防署付近の
内川端にあったのです。

旧店舗には、小学生の時に一度お邪魔した記憶があります。

小学生の時は、大体は金浦(キンポ)さんという焼肉屋に
行っていました。現、丸東さんの斜向かいにありました。

廃業されてからは、金剛山(クンガンサン)の前店舗の
金剛(コンゴウ)飯店さんに連れられて行っていました。

既出ですが、私の両親は伯父の会社(まるい食品)で働いていました。
その以前は、関西にいましたので「ホルモン焼き」をしょっちゅう
食べていたそうです。

鶴岡で「焼肉店」を開業しようとしたそうですが、伯父に反対(その当時、
鶴岡で牛肉なんか誰も喰わない)されて、伯父の会社に入れられた
そうです(笑)

歴史に「もし、たら」はNGとしても、もし焼肉店を開業していたら、
何とか頑張って、狂牛病事件くらいまでは継続できた可能性は
あるでしょうが、ユッケ問題、レバ刺し問題等があり、耐え切れた
とは思えません。

苦肉の策で「ラーメン」をやったかもしれませんね(爆)

そんな事ですが、長く継続されて商売をできいる、千山閣さんは
本当に素晴らしいと思います。

二代目店主(社長)誠氏は相撲じゃなく柔道経験者ですが、不動の横綱です(笑)