城下町管内、旧三日町にあるこちらのお店にお邪魔しました。
大昔の山伏街道でもあります。付近に魚屋が多い街でも有名であったところです。
下肴町には7軒の魚屋があり、主に加茂や由良で水揚げされた魚を仕入れて商売をしていました。
因みに上肴町(現本町三丁目~陽光町付近)には10軒程の魚屋があった時代がありましたが、
詳しく調査した事がないので確かな事は言えません。
三日町とは、今の本町一丁目が主で「三」の付く日(3日、13日、23日)と市が行われていた事から付いた町名であります。
あとは一日市町(現本町二丁目付近)が「一」と「七」の日(1日、7日、11日、17日、21日、27日)です。
荒町(現山王通り)は「九」の付く日(9日、19日、29日)の3日間だけです。
南町(現三和町付近)は「四」と「八」の付く日(4日、8日、14日、18日、24日、28日)です。
そして、五日町は他の町に市の無い日全て市を行っていました。
上記は全て基本的には、卯月~師走です。
五日町は他の町が市をしない「正月~弥生」までは、
毎日「市」をしていたとも聞きます。
私のところで経営していた「ろばた焼き大漁」があったのは、
七日町であります。ここも恐らくは「七」の付く日(7日、17日、27日)
に市があったと思いますが記録を探せません。
それらしき事をやっていたのかなと憶測するところです。
そして、この街は『観音堂だるま市』が大昔から有名でありました。
豪商が売られている一番大きなダルマよりも更に大きなダルマを欲しいと
特注し、納品まで一週間を要したのではないでしょうかね?(笑)
『七日町』は『七日待ち』から出来た町名であると分析します(嘘爆)
さて、そんな事はどっちでも良いのですが、旧三日町には三日町橋があります。
鶴ケ岡城の外堀としての役割も担った内川でありますが、当然の事ですが多くの橋が架けられました。
内川とは外川に対してでしょう。内川の外を流れているのが赤川です。赤川は「外川」と解釈しましょう!
その中で、最初に架けられたものが三日町橋です。明治に入り橋名が三雪橋に変わりました。
金峰山、月山、鳥海山の三つの山の雪が望める事から付けられたと言います。
この通りには山林本店もありましたが、既にやや脱線の感があり、大脱線話になる懸念がありますので止めておきます(爆)
本当に懐かしい食品サンプルです。
デパートでは結構目にしますが、一般の食堂ではあまり目にしなくなりました。
メニューです。
チャシューメンになっていますが、気にする事はありません。
はっきり言って、分かれば良いのです。
「チャーシュメン」のところだってあります。
老舗のお店に多い気がします。
私のところも「チャーシューメン」とメニューに謳っていますが、
本来は、ただの煮豚の醤油浸けと言う調理に過ぎません。
皆に分かり易い様にチャーシューメンとしているだけで、わざわざ煮豚とする事もないのではと思っています。
確かに「チャーシューメン」と「煮豚麺」だと、チャーシューメンの方が美味しそうな気がしますね(笑)
ワンタンメンが750円でワンタンが700円ってどうなのでしょうか?(笑)
「玉子うどん」と「月見そば」の価格はともかくも、
卵の使い方の違いとか?(笑)
まあ、デフォ以外食べない者は、そんな余計な事を考えない方が
賢明でありましょう。夜も眠れなくなりますからね(爆)
勿論、デフォの中華そばをオーダーです。
麺硬めでお願いしました。
ナルトが二枚も載っていますよ!
いえ、実は三枚載っていました(爆)
「中華そば」のトッピングでナルトは決して邪魔にはなりません。
酒の肴としてはNGで食べる気もしませんが、
なぜか中華そばのトッピングだと邪魔ではないのですよ。
チャーハンにもOKですし、茶碗蒸しにも有りだと思います。
本当に昔ながらの中華そばと言う物が好きで、見慣れているのもあり、
チャーシュー、メンマ、ネギ、海苔は勿論ですがナルト、ほうれん草は
懐かしいですし個人的には有り、いえ、大有りです。
茹で玉子のスライスだって懐かしいですよね!
その他のトッピングはやはり慣れていないのもあり、違和感が生じてしまいます。
半田屋主も変わり者でありまして、それ以外のトッピングを聞いただけで
「食べたくない!」「行かない!」が始まる偏屈者でもあります(核爆)
さて、久しぶりの対面であります。
前回と変わらぬ良い香りがします。
スープは?
旨い!かなり旨いと思います。
麺は?
以前は、もっと白い色をしていた記憶があります。
恐らくは廃業された「キラク製麺所」さんの麺だと分析していましたが、
事ほど左様に変えられたみたいです。
この麺を食べるのは本当に久振りの感じがします。
恐らくは、パインライスフィールド製麺所さんの麺と分析します。
多分18番、ボーメ6度くらいかなと分析します。
チャーシューは?
それこそ懐かしい部位です。大昔からの定番モモチャーシューであります。
内モモを使用するお店や外モモ、或いはランプを使用するお店が
ほとんどでした。
今は全く逆になってしまって来ているようです。
私は、このタイプのモモ肉チャーシューは大好きです。
麺量は180gくらいでしょうか?
いやぁ~、前回訪店よりも美味しくいただきました。
大盛りチャーシューメンにしておけばと後悔する程でした。
次ぎは、超硬でオーダーしてみます!
いやぁ~旨い!
さて「大おかん」が現在80歳です。生まれは山伏管内広瀬地域であります。
JK時代、普段は山伏管内から裁縫学校までバスで通い、冬場は下宿。
冒頭の能書きの中で、山伏街道であると書きましたが、
64年前には既にあったと言うお店です。
以前からの調査だと、今のご主人が二代目でありまして、
先代が戦争に行き、その間、先代の内儀殿が切り盛りしていたとの話も
ありますが食堂であったかは不明です。終戦を迎え先代が復帰したとも言われていますから、それこそその頃から食堂をされたのかもしれません(謎)
少なくとも70年から先にはなると分析します。
これは凄い事だと思います。
現在はどのような状況になっているか、全く把握していませんが、
少し前はラーメン店を開業して8割が3年以内に閉店すると云われている中、
70年も商売を継続できているとは誠に凄い事だと思います。
歴史に「たら・れば」はナンセンスであるのは誰もが承知ですが
昭和53年に駅前に『中内商店』と言う一流企業のスーパーマーケットが開店しました。
荒町、山王町商店街、そして、特に銀座通り商店街には大きな影響を与えたのは言うまでもない事でした。
この時でも、駐車場を多く確保した郊外進出をしていれば、天下を取れたでしょうと言っても過言ではないたいへん美味しい一杯でした(爆&ナベ爆)
更に最後になりますが、ブルードラゴンさん、本当に有難う御座いました。
ブルードラゴンさんからのメッセで、どんどん新しいラーメン店ができますが、
老舗も忘れてはいけない、美味しいお店を忘れないで欲しいと言う内容でした。
今回は、その中のお勧めの一軒にお邪魔した次第です。
退職後は、私とサシ呑みをしてくれるとも約束してくれました(爆)
本当に期待して良いのでしょうかね?(核爆)
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