この日はこちらのお店にシャッター。
10時45分、シャッター長です。
PPを決めようと、下車すると、駐車場にまで醤油の良い香りがして来ます。
もう、この香りが更に食欲を湧かせてくれます。
そして、驚いた事に5分前に暖簾が掛かり、入店出来ました(激感謝)
しかし、もう、常連はそれを分かっているかの様に11時少し前目掛けて殺到(凄;)
11時には一気に10名が店内になだれ込み(笑)
いやぁ~、このほんの数分が紙一重なのですよね(結果正解)
さて、この日も迷わずに裏メニュー「チャーシューメン」の麺硬め!
因みにチャーシュープラスは150円の様です。
さて、シャッター長は新聞を読んだり、携帯電話をいじっている暇など無いのです(爆)
着丼(早っ)
スープは相変わらず旨い!間違いの無い旨さです。
一時、店主が退き、その旦那さんに店主が代わられた直後は、少し異なる味に変わってしまった感は否めませんでしたが、元の味に戻ったと言うか、それよりも美味しくなったかの気がしましたよ!(嬉)
麺も良いですねぇ~。
中華そばを喰ったな!って感じがする力強い中華麺です。
ボーメも低過ぎずに風味抜群の麺です。
中華麺はこうでなければ!
そして、ザ鶴岡の中華そばはこうでなければいけません!
そして、チャーシューは間違いの無い旨さ。
余計な事をしないシンプルのチャーシューは最高です。
美味しくて、もっと食べられるくらいですよ!!
いやぁ~、マジ美味しかった!!!
しかし、こちらの集落名が「文下(ほうだし)」
我々は地元ですから、余目でも無音でも普通に読めて覚えていますが、こちらの集落名は一番読むのが難しいのでは?
そして、地名の由来が一番気にもなります。
「文を下す」が語源であるとの事でした。
戦国時代に余目の武将が大浦(大山)武藤義氏に、花見に招待されて、帰り道の途中で、家来が次々に倒れ、毒を入れられたと、疑惑の経緯を文に書いて、赤川に流したという説があるそうです。
しかし、なぜ赤川に流さなければいけなかったのか?
そして、肝心なのは「文下」で「ホウダシ」呼称なのだから、
それをどう解くのかって事です。
さて、信憑性は極薄ですが、私が解いた別の説(フィクション)をご紹介したいと思います(爆)
大昔、ここの集落に「敏正」なる箪笥職人がいたそうです(爆)
集落付近のケヤキを次から次へと切り倒して、箪笥を作り続けたと言います。
ある日、敏正は村の北の川岸に行き、対岸の横山集落の方を見ていました。
そこに、女性が近づいて来ました。
彼女の名前は、「おみき」なる女性でした。あだ名は「みっちゃん」(核爆)
みっちゃんは、遠目ではありましたが敏正に一目惚れしたと言います(ホントカよ~?爆)
みっちゃんは、翌日も同じ時間に来て欲しいと敏正に伝えたそうです。
その日も何も会話することの無い二人でしたが、みっちゃんから翌日の朝に
もう一度だけ来て欲しいと敏正に伝えたそうです(嘘だろ?爆)
三回目の再会には、みっちゃんが敏正に恋文を書いて対岸まで持参しようとしたそうです。
恋文を渡そうと、渡し舟に乗りましたが、誤って途中で恋文を川に落としてしまったそうです。
そこに、上流から米を積んだ舟が通り掛かりました。
にっちゃんは「どうか拾って下さい!」と叫びました。
そのままでは追い付かないと思った船頭は、帆を出して推進力を上げて、みっちゃんの落とした恋文を拾ったと言います。
恋文(ラブレター)の内容は「私はあなたの事を想っています…」云々書いてあったそうです。
まとめてみると、川に恋文を下してしまい、それを拾うために帆を出した場所と言う事で「帆出し」(爆)
手紙は文(ふみ)であります。
帆出しが訛り「ほうだし」に変化して適当な字(文下)を宛がい集落名となったというのはどうでしょうか?(爆)
蛇足になりますが、敏正は最後に残った村で一番大きいケヤキも切り倒して箪笥を作ろうとしました。しかし、大木には神が宿ると信じ続けて来た村人に反対されて、切り倒す事を断念しました。
これが、後に国指定の天然記念物「文下の大ケヤキ」になるのです。
敏正の子孫は多数いましたが、暴れ川「赤川」の氾濫に家を失い、備中街道を西に進んだ大浦(尾浦)(現大山)に移り箪笥職人を引き継ぐ者、製材業をする者、自ら作るよりも他人に作らせて売った方が得と考え、家具商に転じる者、更には、頭の良い家系故、医者になる者もいたと言います。
製材業が大和木材(現株式会社大和)、家具商は大和家具で現ハローズだと睨んでおります(爆)
あれっ?ここの社長も「敏正」ですよ(核爆) どちらも栗本姓でありますから、欅よりも主に栗材で箪笥を作っていたのかもしれません。
それこそ敏正に恋文を送った「みっちゃん」に付いては、子孫にも恵まれず天涯孤独の筈ですが、なぜかハローズ社長の内儀殿になっています(核爆)
以上が私の解いた「文下」の説の戯言ですが、本当にこちらの地名の由来がお手上げなのです。誰か分る方がいれば教えて欲しいものです。
さて、そんな事よりも、この日に暖簾を出した若者とは?
某ラーメン店で何度も見た職人です。
きっちりとした仕事をして、店主同様のものを作れる程の腕を持った職人だと思います。
こちらの店主が高齢の為、もしかしたら後継人かもしれませんよ!暖簾を出しただけでその様に決めつけるのは独り合点かもしれませんが、私はそうだと切に望みたいものです。
こちらのお店はいつまでもいつまでも続けて欲しいです。多くの常連さんも付いている訳でもありますし、無くなってはいけません。
正直な話ですが、以前の味に戻ったと言うよりも、更に美味しくなっている気がしましたよ!(マジ)
また、必ず伺います!!どうもご馳走様でした。
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