最近の出来事

この日の定休日も多忙でありました。

様々な用事を済ませて、10時の⑧さんでした。

その後も済ませなければいけない用事があり、シャッターラーメンは断念でしたorz

私の大好きな蕎麦屋『お江戸庵』さん。

三代目が隠居し、現在は私と同年の木村氏(四代目)が跡を継いでいます。

30年余りの親子出前暴走族にピリオドを打たれた様です(核爆)

現在は夕方のみの出前に対応しているそうですよ。

お母上が近年、癌で彼の岸に到着された様です。

山伏町、上野新田の出身で、大変よく働かれた方です。

あの方がいなかったら、お江戸庵さんはここまで来ていません!
それだけは断言しても良いです。偉大な店主内儀殿であった思います。

私もこちらのお店にお邪魔するようになってからは、
彼是30年以上になりましたからね!

今だから言えますが、親子で出前のピストン暴走バイクに負けじと、壊れた機械の様に作り続ける亡きお母上(爆)

或いはお母上が作り終えるのに合わせてバイクが飛んで戻って来ると比喩すれば良いのか?(爆)

催促の電話にも、「今、出ました!」と何百回、いえ、何千回嘘を言ったか?」(爆)

恐らく、城下町館内で一番多く嘘を付いた人と言っても過言では無いでしょう(核爆)

それにしてもあんなに稼いだ人がいたでしょうか?

時代と言えばそれまでかもしれませんが凄い方でしたよ。

三代目夫妻で、ひと財産残しましたよ(凄;)

仕事一筋で多忙で定期健診にも行かず、身体に違和感があった時には
余命宣告だったそうですから本当に気の毒な事をしたと思います(悲;)

開業は大正二年、初代が三階建てで開業をします。

1階が食堂、2階が座敷、3階がビアホール。
2階の座敷では、すき焼きを提供したと言いますから驚きです。

それこそ、私の両親は若い頃大阪で生活をしていました。

鶴橋でホルモン焼きを食べていて、タレの旨さもあったでしょうが、
その味に嵌ったそうです。郷里に帰って「焼肉店」をやろうと
していたそうです。

しかし、伯父に「鶴岡で焼肉(牛肉)を喰う奴なんていねぇ~!」と笑われたそうです。

結局は伯父の会社(まるい食品)で働く事になったらしいですが、
その50年も前に、すき焼きを提供して極々一部の金持ちではありましょうが食べていたのですから凄い事だと思います。提供した側もお客さん側も大したものだと思います。

その時代にマヨネーズですから、そりゃ驚かずにはいられませんよね。

残念ながらその建物は、建物疎開により取り壊されたそうです。

何と、取り壊されたのが昭和20年8月11日と言うのですから、
オーマイガ―なんて次元の話ではありませんよね?(大泣;)

戦争を知らない子供達でも、正に痛恨の極みであったのは想像できましょう。

あと4日ですから…。

終戦記念日を知らない子供達はいけませんが、
チェーンソーを知らなくてもノコギリが分れば良いのです(爆)

チェーンソーを知らない子供達なら、特に恥ではないでしょう!(爆)

さて、こちらの経営者は木村姓です。木村と言えば、恐れ超多い『木村九兵衛家』であります(大汗;)

元矢馳村の豪農でありますが、その「いもち」なのですよ(凄;)
『いもち』とはライスプラントの病気では無く、分家と言う意味なのです(爆)

お江戸庵さんは、商売をして「東京庵」と店名を付けましたが、もし農家を
やっていたら、「九兵衛いもち」となるのです。

荘内銀行の第2代頭取を務めた大地主でもありますよ!(仰天;)

港町の本間様には及びは無いかもしれませんが、庄内随一の大金持ちであったでしょう。

田畑の所有だけで、200町歩と言う話しを聞いた事があります。

1町は10反(タン)です。田んぼ一枚が1反で、換算では300坪なんですよ?(仰天;)

60万坪?(即死爆)それが東京銀座だったら?(誰がそこまで計算しろと言った?爆)東京ドーム何個分?いい加減に東京ドームと比較するのを止めましょうよ!(爆)

さて、オーダーは『大ざる』にしました。

ここの日本蕎麦は余りにも美味しくて、普通盛りダブルでも良いくらいです。

昔と比較して、ワサビもレベルアップしています。

蕎麦屋で難しいのは、本ワサビを使用できるかどうかもあるんですよね?

価格を50円改定できるなら、本ワサビでもいけると思うのですが中々そこまでは大変な様です。

価値観でもありますから一概には言えませんが『本ワサビ』と言うメニュー(トッピング)で50円~100円と言うのはどうでしょうかね? 私はこちらでなら間違い無くオーダーします。150円だと微妙か?(爆)

200円なら「木村君、ふざけるんじゃないぞ!」と言います(核爆)

唐辛子は一味と七味では掛け方を調整しています。

くれぐれも、タレに唐辛子を入れないで下さいね!(笑)

本ワサビなら尚更、タレに融かして食べるのは勿体ないですよ!
刺身も全く同じです。

握り寿司でも普段通り食べるのと、ワサビ抜き握りを醤油にワサビを融かして
食べたのでは味は歴然と違うと分析します。

お江戸庵さんの蕎麦、私は大好きです。

こんな事を申し上げると、お江戸庵さんには申し訳ない気持ちもありますが、
私は、10割蕎麦は苦手の様です。

まあ、木村君なら正々堂々、嘘を言う人では無いので、
自ら打つ蕎麦を10割蕎麦だとは間違っても謳う事は無いと思います。

まあ、私も蕎麦は何度も打っています。蕎麦粉8割~7割、小麦粉2割~3割の割合が一番美味しく感じて食べていました。

っうか、蕎麦粉10割だと繋がらず、私の腕では捥げました(核掛自爆)

小麦粉切り(うどん)も打ち、旅館を利用する老人会の皆様には好評であったと価値を付けておきますね(爆)

昔からのお江戸庵さんとの良いお付き合い、今後もちょくちょくお邪魔させていただきます。どうも御馳走様でした。

そんな事で、この日、⑧さんの医院長、三浦先生が「今度、福岡に行く前に吉住を連れて行きますね!」と仰ってくれました(仰天;)

柔か銀行鷹達のドラフト1位指名の吉住選手です(凄;)

いやぁ~、彼はガチのジモティーですから、岡山のロングバレイリバー選手共々、
最高に応援をしたいですね!これまでも当然、Pacific Leagueでは柔か銀行を応援はして来ましたが、これまで以上になる事必至です(笑)

今後は日本シリーズで相手が虎達であっても、鷹達を応援する事になりそうです!(爆)徒然人さん、何か異議申し立てでも?(爆)それとも普通に文句でもありますか?(核爆)

それにしても、凄い選手が地元城下町管内から出現したものです。
将来的には日本一になるどころか、世界一になれる可能性まであるのですから凄い事だとは思いませんか!?

まずは、幸太郎選手なんかとの対決は注目されます。
柔か銀行は、幸太郎選手を獲得できず、良い言い方では無いですが、
外れ、外れ、外れで吉住選手と相成った事は誰もが承知。

それは、本人も五百以上も承知しているのです(爆)

糞根性、闘志を燃やして幸太郎選手を一球で三振(そりゃ無茶だwww)に仕留めて欲しいですね(爆)

球団側からも「吉住選手を指名して最高に良かった!」と言って貰えるような
活躍を期待したいですね!

まずは両者、一軍で活躍してガチの対決を見てみたいです。

まあ、結果は鷹がハムを喰ったとなる事を憶測、期待するものです(爆)

後は、未来の最強時には翔平選手を三振、或いはその前に投げ合い、
勝利投手となる!これが私の願望でもあります。

まあ、その頃はこれから10年も未来の話になるでしょうから、
私が丈夫で生きているかも分かりませんが…(爆)

しかしながら、超あっぱれですね!

元経理高校、これで更に有名になります。

校長の哲君も史上最高のスクール宣伝になったと喜ばしい事だと思います。

哲君のお父上が開校されたのが始まりで、ソロバン学校から始まり、
経理高校。

その後、我々高校時代には鶴商学園高校になりましたが、
経理高校から鶴商学園になる前の時代の哲君の写真であります。

左は哲君、右は?…誰だって良いじゃないかですか!(爆)

現在は偉大な鶴東ハイスクールの理事長ですが、幼馴染みでありました。

事ほど左様に哲君呼称をした次第であります。

「哲」と書いて「アキラ」と読むのですよ!

マイサンは「瑛」と書いて「アキラ」と読ませるらしいのです(最悪苦笑)

まあ、正直、亡き親父の独断と偏見で付けられた名前であるのです。

「おかん」はこの件に付いてのコメントは一言も聞いた事は無いのですが、
私にしてみれば最悪の名前であったと思います。

まずは学校の先生が読めない名前は言語道断と個人的には考えます。

「アキラ」自体は良い呼称名だと思います。時代的にも外国人が発音し易いですしね!

しかし、私なら「えい」としか読めませんorz

こんな名前が、もし私達の時代にいたら、真っ先に苛められますよ。

体育の時間で水泳だったら、「魚のエイの様に泳いでみろ!」(爆)

ハローズのkuri社長あたりが言いそうです(核爆)

私なら、もっと気合を入れろ!「エイ!」と言う感じで親父ギャグを言うのは
火を見るよりも明らか(爆)

マイサンはそれこそ三瀬小出身で、由良&小堅からの児童が進学して、
豊浦中学で一緒になりましたが、誰も「エイ」だのと馬鹿にする生徒はいなかったと言います。それどころか、他の地区との争いがまるで無かったと言うのですから本当に素晴らしい事だと思います。

昔なら考えられない(苦笑)皆仲良く!それほど良い事は無いですよね!

そうなんですよ!アキラなら「明」で良いんですよ!

私の「淳」も親父が「大おかん」の猛反対を押し切って命名したそうです(苦笑)

親父の同級生で「淳」が、学校時代、断トツで優秀な人間がいたと言います。
大おかんの知り合いには、学校時代、箸にも棒にも掛からない落ちこぼれの鼻たらしの「淳」がいたと言います。

まあ結果、私は後者の方ではありますが、そんな事を言っているのでは無いのです。

アツシと言う名前に一ミリも違和感はありません。

ただ、「淳」がどうか?と言っているのです。

それこそ、天下の仁三郎のほぼ船長の「敦」では駄目だったのか?
篤でも良い訳じゃありませんか!(爆)

まあ、「淳」に優秀な同級生がいたからだとは思うのですが、それは何も考えない猿真似以下じゃないのですか?(爆)

それこそ鼻たらしの私は、小学二年時に蓄膿症と言う病気で、
耳鼻科に通い始めました。

祖母に連れられて行きましたが、呼び出しで「カケガミジュンさん」と呼ばれました。

祖母は診察室に一緒に入ろうとしましたが、私は当然ですが断固拒否です(爆)

祖母は「アツシの事を呼んだのだから…」と言いますが、聞く耳なし芳一、
マジ聞く耳は一ナノメートルもありませんでした(爆)

耳鼻科で聞く耳が無いのだからどうにもなりませんな!(核爆)まあ、その当時は、一ミリどころか、1cmか10cmくらいしか分からなかったと分析しますが…(爆)

「俺はジュンじゃない!」と叫び激怒しました。

祖母はすぐさま受付に事情を説明し、謝っている様子でした。

その後、「カケガミアツシさん」と呼ばれますが、むんつげでしまってどうにもなりませんでしたorz

掛「俺は女じゃない!馬鹿野郎!」と激怒度は最高潮。

まあ、その日は最初から「カケガミアツシ君」でなければ診察はできなかったのだと分析します(核掛自爆)

いくら怒り心頭でも、それこそ大した事では無いので一晩寝れば治まります(核爆)

数日後に改めて耳鼻科に連れて行かれます。

暫くは何の問題も無く、小学4年生くらいまで通いました。
この年齢になると、当然ですが独りチャリンコ通院していました。

ところがジョージ、受付の人が代わったのか?或いは辞めて新人になったかまでは覚えていません(爆)この時には数人を連続でマイクアナウンスして、診察室へと入室させるようにしたシステムになりました。

確かに「カケガミジュンさん!」と聞き取りました(大汗;)

私は待合室から移動しませんでした(爆)15分後くらいに、又「カケガミジュンさん!」とアナウンスされました。

それでも不動の小生(核爆)

そして、30分後に再々度「カケガミジュンさん」と呼ばれるのでありました。

これには便所の便器で有名な、とうとう、マジ切れするのでありました(核爆)

と言うのは嘘ですが、やはり、むんつげていたものか?超意地を張ったものと自己分析しています(苦笑)

私は待合室の椅子から立ち、診察室では無く、外に出てチャリンコに
乗り帰宅したのでありました(超核爆)

祖母から、「診察券とお釣りは?」と打診されますが、「ジュンと呼んだがら診で貰わねで帰ってきだ!」と言います(最悪核掛自爆)

祖母は「お婆ちゃん、情けなくなって来た」と、
泣き出します(超大汗;)

冷静で常識ある祖母は、医院に謝りに行くと私の手を引っ張りますが、
祖母の涙に、多いに反省しかけるのですが謝りに行くのは遊ぶ時間が減ると言う理由だけで猛烈に拒否した記憶が鮮明にありますorz

今だから言えますが、伊藤耳鼻科さんには数年ではありますが、
本当にお世話になりました。そして、最高にご迷惑をお掛けした次第であります。

当時の先生も優しく最高に良い先生でしたよ。

結局は、私の滅茶苦茶なわがままで伊藤耳鼻科さんには二年余り、
その後、石黒耳鼻科さんに二年近くお世話になりました。

小学校5,6年生になると、いくらかマシになったものか?
或いは、祖母が「くれぐれもアツシと呼んで下さい!」と念を押したと
分析します(核爆)

っうか、多少ですが脱線してしまいました(爆)

吉住選手は身長185cmと言っていました。
私は最高時177cmの記録がありますが、恐らくは175cmくらいと思っていました。

それでも10cm差に見えませんよね?(核掛自爆)

もしかしたら、吉住選手は190cmと5cm伸びたと憶測しますし、
私にしても5cm縮み170cmになったものだろうと確信していす次第です(爆)

吉「最高に美味しかったっす!」

ガッチリ握手をして、再度調理に入りました。

本来は手を洗ってから再調理をしなければいけないところですが、
マジ吉住選手に失礼と手を洗わずに、調理を続けました。

まあ、麺を掴んだだけなのですが、その掴んだ麺が真っ先に提供されたのが、
たいへん美味しい一杯氏卓にであったのです(偶然爆)

もう、野球をやらせるしかないでしょ!?ケソチャソに…(爆)

なにわともあれ、吉住選手には頑張って活躍して欲しいと切に願う次第であります!