前回はアリランさん、今回は大井商店さんの本店であります。
鈴木の御曹司とご一緒してから、山王店には足が向きません。
理由は、足腰が結構やばいのですorz
特に膝がとてもやばいです(苦笑)
五十肩の激痛がかなり緩和されたと思うと、また別の箇所に痛みが
移るみたいな感じですorz
そんな事で、外食する時は厳しい練習後がほとんどなので、
相当に酔っている訳でもありまして、階段を苦手意識しているのもありますorz
さて、普通のお店では真っ先にアルコールからオーダーするのですが、
こちらでは、その前に「ハラミ」があるかどうかを打診します(爆)
一組一皿までです!
それこそ絶対に外せない「上ミノ」です。
そして、お決まりのナムルです。
ナムルと言えばゼンマイです(爆)
ゼンマイで思い出した訳ではないですが、週初めにお客様の1人から
スタッフに「何で琴平荘になったのかブログで書いてくれ!」と
要望があったらしいです。
ナムルのゼンマイ=脱線確実ですから、嫌な方はここまでで退室して下さい(確信犯爆)
さて、一応由来等は下記の様な事は書いていましたので、ご覧になっていただければ幸いです。
因みに、2番目記事の中の「三瀬出張一式」(池田吉之助)は、
実際に図書館に足を運んで調査しました。
図書館二階に郷土史コーナーがあります。
調べたい内容を職員に説明すると、色々な文献等を次から次へと
出してくれる親切な方でありました。
その名は、明菜のシスターではありません!秋保さんと言う男性職員でありました(爆)
本当に良い方でした。ここに御礼申し上げる次第です。
これは最初の部分ですが、まだまだ…まだまだ…かなり続きます(爆)
もう、ぱっと見しただけで解読ゼロ(核掛自爆)
一応全てをコピーして貰い、狼狽する小生でありましたorz
幸いにも、知り合いに郷土史研究家がおりましたので、
解読を依頼致しました。
当たり前田の光彦先生であります。郷土史家としては大御所でもあります。
お忙しい中、出張一式を全て解読してくれたのです(嬉)
上と同じく、最初の一部に過ぎませんが全てを解読していただきました(凄;)
尊敬と言うか、崇拝する次元の前田先生でありました。
私も前田先生に少しでも近づける様にと、郷土史の道に
一時はどっぷり浸かりました。
しかし、古文書が読めない様じゃ、郷土史研究家などとは言語道断であるのは
自ずと認識していました。
古文書講座の大辞典を購入し、猛勉強していました。
しかし、サンが保育園の年長時、園でマラソン大会がありたまたま見に行く事ができたのです。
勿論42.195kではありません(核爆)
150m程の距離のマラソン大会でありました(笑)
な、何と、しんがり負けでした(オーマイガー;)
「おかん」も大声で応援しましたが、全くやる気が感じられませんでした。
まさに、最初からゴールするまでソラを使って走っている感じでした(馬爆)
負けて悔しい訳でも無く、闘争心は皆無だったと分析します。
因みに私は幼稚園時から闘争心をむき出しにして生活していましたよ!(爆)
合奏では、大太鼓以外絶対にやらない!とダダを捏ねた事を鮮明に
覚えています(爆)6歳での記憶ではありますがマジです。
他にも幼稚園では前代未聞の大事件も起こしていますが、
割愛します(核陳謝爆)
これでは、小学校に入っても更に進学しても
駄目人間になってしまう懸念を感じ、サンが小学校に入ると
走る練習をさせる事にしました。身体を鍛えると言う意味もかなりありました!
勿論、雨の日も風の日も続けました。強弱は付けましたが、ほぼ365日休む事はありませんでした。
3年生の冬にインフルエンザに掛かり、数日学校も練習も休み、回復し
学校に登校した初日にも練習をさせようとしましたが、
「おかん」が発狂して中止した事が一度(核爆)
あとは、暴風警報発令中で暴風に吹き飛ばされてしまった時に、
一度だけ中断した時があっただけです(核爆)
仕事一番は勿論の事でしたので、サンの練習を見るのと、
古文書の勉強は両立できず、その時点で断念したのでありました(苦笑)
やる限りは、中途半端は駄目な性質なのかもしれません。
そんな事ですが、小学1年時の春のマラソン大会は、しんがり負けをくらった保育園時よりも少し進歩し、
真ん中くらいまで上がる事ができましたが、私は馬場こういちから、星一徹と化すのでありました(爆)
それが上記した内容です。
何とかお陰で秋の大会で結果を出す事ができました。
1、2年生が一緒に走るのですが、上級生にも勝ち全体で1位、
記録も歴代1位になる事ができました。
そんな事を数年続け、山形県内から強豪が集まると言われているマラソン大会にも出場させて優勝した事もありました。
立派な賞状を頂きましたが、どこかにいってしまったか?(汗;)
記録証は残っています。
しかし、これもここで断念せざるを得ない事になって行きますorz
旅館の業績は平成一桁までは、最高に良かったのですが、
二桁台に入ってから、急激に悪化して行きました。
サンが5年生になる頃には、中華そば処を開業させる事を決心
します。
本当に色々迷い悩みました。冬場だけでも「おかん」をすぐそこに
パートで働かせる。
私は出稼ぎです。
真夜中の仕事です。お江戸管内で最終電車~始発電車までのほんの
4、5時間の仕事でした。線路の仕事でしたが、かなりの時給ですよ(驚;)
結局は親父に反対されNGになった経緯があります。
平成13年は、とにかく港町管内の繁盛店や評判のお店を
全て食べ歩きました。
スープの研究や自家製麺の段取で、サンの練習を見る余裕など全くありませんでした。
練習の貯金が少しずつ減って、記録も伸びなくなって行きました。
本人も走るよりも野球がしたいと言う事で、親子で目指した
箱根駅伝出場をここで断念した次第であります(核爆)
そこからが本当の星一徹になれば良かったかもしれませんが、
事ほど左様に、中華そば処の開業に命を懸けて取り組みました。
っうか、もしかしなくてもかなり脱線したなと感じます(核爆)
話は戻りますが、大筒場=琴平岩であります。
琴平岩の麓に建てたので「琴平荘」と言う、極々単純な由来であります。
昭和40年と思われますが、祖母が「簡易宿泊所」として
創業しています。
同48年に親父が有限会社にしています。
下の画像はまだ木造だけの旧館でありまして、この形で10年程商売をしました。
今の中華そば処(大広間)は昭和51年に竣工しています。
琴平荘は私が生まれた年に開業するとは、本当に覚え易いです(笑)
因みに、昭和40年の真夏時の小生であります。
ついでになりますが、それから24年後の初冬です。
チャイルドはサンではなく、エルディストドーターであります。
やはり、大昔とは違い男女関係無く「ういご」は特別なのでしょうね(笑)
再度の脱線になりそうなので、記事の内容を戻します。
〆のユッケジャンスープです。
油っこい焼肉を食べた後ですから、あっさりの辛いスープに仕上げていますが、
それでもコクのある味を望なら、余った付けダレを入れるとコクが増します。
そして、もっと辛く濃い味が希望なら、コチュジャンを入れると
最高ですよ!!!
我々はサシのあまり入らない赤身部分を好んで食べていますので、
〆は濃い口のコクのあるスープを好みますが、特上の霜降りの肉を
多く食べる方は、それこそ超あっさりのワカメスープ、或いは野菜スープが
お勧めになります。
この日は水曜日と言う事で、山王店が定休日。
誠社長が本店を切り盛りしていました。
えっ!?(汗;)この社長はもしかして休み無しだと分析します(大汗;)
本当に大した人です。
苦労したから頑張れるのです。
苦労と言う言葉だって簡単に使っちゃいけないと思いますが、
焼肉店はに関しては、大井商店のみならずBSE問題で相当の苦労をしたと思われます。
BSE問題でどれだけの焼肉店が倒産、或いは廃業に追い込まれたものか?
誠社長は本当に苦労したからこそ頑張り、ここまで来る事ができたのだと思います。
飲食店社長で、心底尊敬できる一人でもあります。
また、必ずお邪魔します。どうもご馳走様でした!
さて、本当の苦労をして、最後まで頑張る事ができなかったのは、
源義経くらいでしょうか?
源九郎判官義経(爆)
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