この日は朝8時30分に自宅を出発して、松田バンク(ノースブランチ)にシャッター!(2分前)
そう言えば以前やらかした事なのですが、それこそ開店5分前に到着したのでシャッターが開く前にATMを利用。
別にどうしても引き出さなければいけない現金ではなかったのですが、通帳に記載してあれば税理士により分かりやすいだろうと、今となっては大して(全く)意味のない気を使ってしまってのもの(苦笑)
監査の時に不明だと色々と聞かれるので、それが面倒と思う部分がかなりあり、結果凡ミスをやらかしてしまったのでした(大泣;)
3,4万某か程度の金額でしたが、引き出したところ110円の手数料(オーマイガー)
マジで記載された通帳を見て、悔しくて仕方ありませんでした(核掛自爆)
まずは、軽軽は否めないですねorz
以前からの土日祝は合点承知である事は言うまでも無いのでしたが、平日の18時以降が、手数料110円発生するものだと早合点していたのです(大汗;)
平日9時前にも110円の手数料が発生する様になっていたようです(猛省)
無知程怖いものは無い、そのいい悪い例でした(痛恨)
ただ今回は110円で猛勉強させられたのですから、非常に悔しいのは言うまでもありませんが致し方ありますまいと言う事にしておきます。絶対に、二度と「ヘマ」はしませんよ!!こんな無駄な事は無いですからな!
何か、のっけから自身の抜かり話で脱線気味ついでに、折角ですので更に申し上げますと、荘銀の「松田プレジデント」と「おかん」はジュニアハイスクール時(一年生)の同級生なんだそうです。
プレジデントは「ホットウオーターライスフィールドリバー」ビレッジ(湯田川集落)、「おかん」は、「ミドルクリアーウオーター」ビレッジ(中清水集落)でしたので、エレメンタリースクールは別々でも、ジュニアハイスクールは自ずと「ビッグスプリング」になります。
それでも「ビッグスプリングジュニアハイスクール」は、その年度でクロージング(糸偏に冬)プレジデントは第四、「おかん」は第一へと進んだと言う経緯。
僅か一年間だけの同級生であったそうですが「おかん」曰く、とても頭の良い(成績優秀)生徒であったと記憶しているそうです。
まあ、そりゃそうでしょう!(爆)その後は生徒会長を務め、鶴岡高校(難高w)に進み福澤諭吉(大学)ボーイになっているのですからね!(流石)
バンクとしては比較的若いプレジデントでもあるし、生え抜きが最高に良いなと個人的には期待しない訳にはいきません(信者)
「おかん」の同級生が、荘銀のプレジデントとは凄いじゃないですか!
因みにですがノースブランチ「ブランチマネージャー」は、いつの間にか交代しましたが、現在は藤原牧氏。奇しくも松田プレジデントと同期の桜だそうですよ!
ただ、年齢は少し違います。プレジデントは大学卒、藤原氏は高卒の入社であったと言いますから普通ならば4歳差になりますね(順調)
高卒でブランチマネージャーになれるものなのか!?
なれると言うか実際になっていますから(失礼爆)
しかも藤原氏は斎藤哲学園卒で、在学中は卓球部に所属して大活躍されたそうです!
斎藤哲学園の卓球部は、東北レベルどころか正に全国区ですから!それこそ天下のヤマト運輸「黒猫ヤマトの卓球部員」レベルと言って良いと思いますよ(訳分らぬ爆)
学歴なんぞは『柴田恭平』では古いか?(爆)ならば『小島よしお』ならば分かるでしょうか?(爆)
ただそれだけで驚いてはいけません!藤原氏の初ブランチマネージャー昇格が、
何と38歳であったと言います(仰天;)
因みに私が同年の時は、中華そば処を開業させて二年目の年ですから、親父のマリオネットレベルだったに過ぎませんorz
そんな事ではありますが、私も別に羨ましいとか悔しいと言う訳では無いですが、超ウルトラスーパー凄い同級生を紹介します(超自負爆)
まずはお昼を頂いてから改めますよ(続きその子期待爆)
さて、この日はノーズブランチ~ツルハD~ジェイマルエー~ヤマリョー(給油)~ホールセールマーケット(業スー鶴岡店)を出たのが10時50分でした。
いつものお気に入りラーメン店のシャッターは断念、松屋さんにしようと思い車を走らせたところに「野菜」らーめんの看板が目に入り、俄かに気が変わり予定変更。
「いくらかでも多く野菜摂らなきゃ!」と言う事で、久しぶりの「幸楽苑」城下町店に伺う事に相成ったのでありました。
メニューを見るまでも無く、オーダーは「野菜」です。
塩野菜たんめんor味噌野菜たんめんの何れかと言う事で決めて下車、そして入店。
結局は、塩野菜たんめんにしました。
ただ、こちらのシステムは口頭でオーダーを伝えるのではなく、タッチパネルでの操作になっていますよ!(二度目冷や汗;)
「野菜たんめん」を押して、それから久しぶりに餃子も食べてみたいと思い、そちらにもタッチしました。
前回訪店では、近くにいたスタッフに直接「麺硬めでお願いします!」と言って対応して貰った記憶があります。この日はタイミングが悪く近くにいません。仕方なく、「スタッフを呼ぶ」をタッチ(汗;)
すると、すぐに対応してくれましたが、タッチパネルで「硬め」「軟らかめ」がチョイスできる事を教えて貰いました(大汗:orz)
更には、秒でスタッフが戻って来まして、セットメニューなるものがあり、そちらの方がお得と言う事でキャンセルしてやり直してくれました(気の毒掛自爆)
何か申し訳ないと言うか、余りにも気の毒で再訪を躊躇う気持ちになりましたよ(情け無し)
11時前にも関わらず、既に数組のお客さんがいて、ほぼ70代?或いは80代のカップル。
既食している方達は当然判りませんが私が着席して、食べ終わるまで3組の高齢のカップルが入店して来ましたが、別に何ら問題なくスムーズにオーダーをしていた様です。
松屋システムを攻略できて、なぜこちらでできないのか?(核掛自爆)
次回は何とかなるだろうか?(自信無し爆)
さて、4分程して着丼&着皿(同時)
当然、餃子には手を付けません(マイルール)
麺がのびる前に、一秒でも早く啜るのが一番旨い食べ方だと思うからです!
餃子は激熱でなくても、普通程度で冷めていない温かいレベルであれば良い訳ですから!
勿論、逆の人もいて当然、餃子は激熱の内に食べなければと言う人もいるでしょう!
私は麺を全て啜り終ったら、すぐに餃子を食べながら残スープを呑むようにしています。
以前は、KKしてから餃子に箸を付けていた時もありましたけど!
これが私のより美味しく食べられると思うバランス喰いです(笑)
さて、この塩スープは、ほんの一瞬ですがあたかも味噌ラーメンを頼んだかの様な錯覚でした!
にんにく風味が最初に来て、スープにパンチ感がありましたよ!
麺はこちらの特徴であります多加水熟成麺のお手本物。
ボーメも低く、かん水もほぼ飛んでいる感じで小麦粉風味重視よりも、喉越し重視の麺に仕上げられているのが判りますよ!(流石)
そんな麺を硬めですから、正に丸呑みが一番美味しい食べ方でしょう(個人的爆)
完食は当然ですが、スープも最後まで飲み干しましたよ(KK満足)
どうもご馳走様でした!!
親切に対応してくれた、この日のスタッフには心からお礼を申し上げる次第です(感謝)
さて、駐車場を出発したのは、11時15分。⑧さんには自ずと安牌時間でありました(安堵)
平日開店が10時と言うのも非常に有難いですね!!
又伺います!!
では、昼食を頂きましたので改めで自慢の同級生を紹介する事にします。
自慢の同級生は、な、な、何と、コスモ石油(コスモエネルギーホールディングス)の社長、『マウンテンライスフィールド』氏です。
「山田茂」氏。
茂君とは城北エレメンタリースクールの5,6年時の同級生でありました。
家も近所で、たまにですが遊んだものです。
彼の家にはお邪魔した事はありませんが、私の家に遊びに来た事は何度かありましたよ!
主によく遊んだのが学校での休み時間、「ろぐもん」と言う遊びです(松鶴家千とせ爆)
通称コンニャクボール(ゴムボール)が1個あればできる遊びです。
野球感覚なのですが、バットは要りません!腕がバット代わりです。
ルールは、マジで説明させますか?(核爆)口頭ならば1分、2分で説明できますが、ここに書くとなると15分近く掛かると思いますよ(割愛爆)
それに「サンカク」と言う遊びもありました。二塁ベースが無く、ホームと一、三塁なので▽野球です。
これも訳の分からぬルール。ルールはあって無い様なもので、理不尽な展開になるのが常。その訳の分からぬルールの『透明ランナー』は、松鶴家千とせでしょ?(爆too)
少人数(一チーム2人)でもすぐに始められて、いつでも止められる遊び感覚である筈なのに、熱くなり仕舞には喧嘩と言う結末も何度かありました。
茂君は、常に冷静沈着。私は常に興奮者(爆)
勉強以外は相当な程の負けず嫌いの小生ではありましたが、勉強もそのくらいの負けず嫌いの精神(根性)があれば、彼の様にコスモ石油の社長には絶対になれなかったですが、もしかしたら入社試験には合格できるレベルにはなっていたかもしれませんよ(核爆)
話を少し戻しますと、それこそ彼の家は昔の高畑で私の家は高町。
高畑とは、現在の上畑町になります。
昔は、中高畑、外高畑と区分されていましたが、恐らくは「中高畑」の辺りであっただろうと思われます。それこそ高畑とは、酒井のお殿様(忠勝公)が最初に入って来た時に、『高畑御殿』と言う仮の御殿を建てさせたところなのです。
私の家は昔の高町で、現在の山王町です。
ただ、山王町と言うと『木村屋』メインストアーさんの場所のイメージが強いですが、あそこは昔の荒町で山王町東部(山王通り)に位置します。私が住んでいたところは、山王町西部でしたので向いが泉町、斜向かいが上畑町でありました。
自ずと茂君の家も近所でした(徒歩5分程度)
事ほど左様で上畑町は昔の高畑ですが、外高畑、中高畑よりも北方に「最上町」なるものもありました。『最上義光』が亡び、浪人となった人々を召し抱えておいたところと言われています。
旧大動脈(元R7)よりも南に位置します。因みに北は現在の錦町になります。
最上の「上」と高畑の「畑」を取り、上畑町と言う町が誕生したのではと考えられますが、それならば、逆に「最高町」で誕生しても良かったのでは!(笑)
「山田茂氏が社長に就任すると、生家のある町の人達の興奮は最高潮に達しました!」とか新聞記事にはならんよな!(爆)
知っている人は多いと思いますが、上畑町に住んでいる皆様で、もし知らない方がいればご承知おき下さい!
ただ、上畑町の方達がコスモ石油で給油しても特別な割引が無いのは当然の事ですのでご理解の程宜しくお願いします(核爆)
そして、茂君とのエピソードがあるのでご紹介しておきます。
5年生に進級して暫くしてからのある日~(塩崎、桜井、高見沢爆)
確か学級会の時間だったと思います。
翌年の最終学年(6年時)に『仙台松島』修学旅行を控えていて、担任のシュガー茂男先生が「一年掛けて仙台までの距離を走ろう!」と持ち出します。
「ほんとは、150km以上はあるがちょうど100kmで、まげでやる」みたいな事を言いました!(爆)
それでもクラスの多くが「えっ~!」と言うと、先生は「グランドたったの500周だ!」
すると、更に「えっ~!!」のボイスが拡大した記憶があります。
これよりも相当に難しい算数を勉強していたにも関わらず本当に不思議ですよね?(核爆)
私は正直、楽勝だと思いました。一日1周しても365周と計算しました(誰でもできる爆)
そこから2倍の一日2週したら500周を超える事は、算数の通信簿「アヒル」を貰っていた私でさえ分かりましたからね(爆)
そして、すかさず私は挙手もせずに、「先生、走れねがったら?」と質問すると、先生は「あづし、どうすればいいど思う?」と返されます。
私は「走れなかった人は修学旅行に連れで行がない事にすればいい!!」と答えます(顰蹙核掛自爆)
クラス内は、先程の「えっ~!」どころか「しーん」と…orz
すると、すかさず茂君は、「はい!」と、発声と同時に挙手をします。
そして「掛神君の意見に付け足しと言いますか、皆がとても楽しみにしている修学旅行だし…もし走れなかった時は、帰って来てからでも必ず走ると言う約束をして、まずは楽しい修学旅行にする事が大事ではないでしょうか!」
一言一句同じではなかったかもしれませんが、間違いなく、この類の主旨の発言をしたのは間違いありません。
もう、それこそ歴然な差をご承知頂けたかと思います!
茂君の株は更に急上昇、現在のコスモ石油の株よりも上であったでしょう(意味不明爆)私の株は何も心配いりません!もう落ち様の無いところまで落ちていた状態でしたから!(意味不明暴落爆)
普通だったら、「掛神君の意見に反対(意見)ですが…」と言いますよね?
ただ、間違いなく茂君(山田氏)は、私に配慮したと言う事だけではなく、発狂(ブチ切れ)させない為の方策だったと思われます(流石爆)
私はいつも、千葉県の大部分を占める半島(行為)を常々していましたから、それを茂君(山田氏)は判っての事だと思います(核掛自爆)
今思えばですが、とにかく沈着冷静もそうですが、ある意味クレバーだったと記憶しています。
そんな彼を、唯一やや揶揄する様な呼称をしていたのが、私と比較しても別の意味で大問題児だった「ビッグリーバー」君でした(爆)
「ドカベン」故水島新司氏の野球漫画の中に、『花は桜木、男は岩鬼』で知られる御曹司「岩鬼正美君」が主人公の「山田太郎」君の事を「やぁ~まだ」呼称していましたよね!正にその影響でありましょう!
用も無いのに茂君に対して、「やぁ~まだ」を連呼するビッグリーバー君にも怒る事なく、うまく対応していましたよ!(流石)
もう、事ほど左様で確信犯の脱線記事にはなってしまいましたが、その茂君が私のところに訪れていると言う事実も凄いでしょ?(自慢爆)
ただ、これが何年前か全く忘れてしまっています。10年は経っていないと思いますし、コロナ禍前の間であったことは間違いないと思います。
それこそコロナ禍前の正月営業は忙しかったですからね。
そんな中でのたった一言。「カッケ、頑張ってるな!山田だよ!また来るよ!」
私は、ほぼ40年振り(前後)の再会にも、即座に本人だと分かりましたが、激忙だったので「おっ、ありがどの!」と返すのが精一杯でした(苦笑)
厨房の裏口から顔を出して、一声掛けて足早に帰って行きましたので恐らくは混んでいたので未食で帰られた気がしてなりません!
そうでなければ、口に合わなかったとしても「美味しかった!」と言って帰る筈ですから!(推察爆)
こんな凄い同級生、もとい、同級生が大企業の頂点に上り詰めたのですのですから凄いと言う次元を超えていると思います。敬服の念に堪えません。
企業で出世だけに言えるものでは無いと思いますが、チャンスに出合わない人など誰一人いないのではと考えます。それをチャンスに出来なかっただけの話ではないかと…。
それこそ、茂君は、幾多のチャンスをものにしたからこそ現在の地位があるのだと思います。
私はエレメンタリースクール時だけでしたが、ジュニアハイスクールからハイスクール、更にはユニバーシティの同級生の誇りであるのは、言うまでも無く当然の事でありましょう!
私だって、多くの同級生から「ほこり」であると思われていると思いますよ!
『埃』の方でしょうけど…(爆)
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