忘年同級会

明けましておめでとう御座います。

新年最初の記事は、楽しかった『忘年会』の記事です。

最初から脱線すると宣言しておきますね(爆)
一部の人しか分かならい同級生記事ですので、時間を貴重とする方は読まずにスルーして下さいね(笑)

さて、この日は鶴の徽章ジュニアハイスクール最後の卒業生の男子忘年会がありました。

幹事はクリで、何と平日の水曜日でした(驚;)

ブルードラゴンテンプルリバーサイドの中華のお店です。

開宴は19時。

昨年は4時からの晩酌をできない日がここ近年で一番多かった年です。

催事やイベント等もありましたし、酔って行けない大事な席もありました。

4時から吞まないと、当然ですが生活リズムが非常に狂います。

リズムが狂うと、自ずとストレスが溜まり、寒さを捕まえてしまう羽目になるのですorz

若い時ならば、一晩ガッチリ呑んで食べて睡眠を多く取れば、すぐに治るものでしたが、年寄りになってからは、こじらせて二週間くらい治らない事もあったり、咳も長く続く事もあります(苦笑)

昔ならば、たかが風邪でしたが、今は、風邪は万病の元との認識で注意しなければいけません。

そんな事で、この日は一年で一番暇な日でもあるクリマス前の水曜日で、案の定、激暇で早めに仕事が終わったので、15時30分からの練習でした(爆)

一時間程練習し、マタリキ号が16時30分に到着して、宇宙戦艦さんで0次回(爆)

ヤリイカが大好きですが、酢味噌は嫌い、エゴも嫌い。
普段ならば、おかんに即パスパターンでした(爆)

それでも、宇宙戦艦さんの店主が作った物ならと恐る恐る食べてみると、最高に美味(核驚爆)

マタリキはセカンドサン君の大好物のカンパチをオーダー。
普段、サン君が全部食べてしまって、中々食べる事ができないからとの理由(笑)

どこの親も親馬鹿で、自分が喰わなくとも子供には喰わせたいもの(笑)

手前がブリトロみたいです。

私はブリの塩振り焼きです。前回食べたブリカマの塩焼きも激旨でしたが、
今回も激旨でした。

よく聞いたら、前回余った物を冷凍保存していたそうです(爆)
冷凍して味の落ちる物、大して変わらない物、逆に良くなる物もあるかもしれませんが、全く支障無しでした。

信頼関係ですので、「知らなければ良いや!」じゃないのがここの店主。

「解凍だけと良い?」と打診してくれます。

タコの種類も打診してから提供してくれます。

このブリの値段をこっそり教えて貰いましたが、g150円と言う安さの代物。
こっそり教えて貰って、ここに書いて委員会?(核爆)
大丈夫、信頼関係です(爆)

これから寒鱈が水揚げされて、高値が付いたりするとg300円が付く事も珍しくありません。その半分値なのですから、こりゃ安いです。

それこそ氷見の寒ブリならば、g1000円はするでしょうから、この日のブリの6倍~7倍近い仕入れになります。

私は寒じゃなくても良いし、氷見でも無くとも良いし、地元の漁港に揚がった激安ブリで十二分です。

高ければ喰いません。安ければ喰います。そのスタンスは今後も同じです。

そして、マタリキは鯵の塩振り焼きをオーダーしていました。

この鯵もかなり良質のものと言っていました。

自宅で2合、マタリキ号で1合、宇宙戦艦さんでマタリキと二人で3合。

普段ならば完全予定数終了です(爆)

マタリキ号を代行で移動。

いやぁ~、助かりました。椅子席です。

私は椅子無しの宴会は無理です。

酔っていると痛みは麻痺して感じませんが、翌日酷い事になります。

膝と腰がやばい事になるのです。

本当に良かった!クリ有難う!命の恩人レベルだよ!(マジ)

泥酔しているので、その時に痛みは感じなくても、酔いが醒めると
激痛で眠れなくなる程の痛みになるのです。

さて、挨拶が超苦手な城北競馬場君を弄るクリ幹事(爆)

いつもいきなり城北競馬場君に乾杯の発声を振るらしい。
いきなりの指名に狼狽する城北競馬場君は「じゃあ、乾杯!」で逃げることしばしば…(爆)

今回は随分前から、城北競馬場君に依頼していたそうです。

どのくらい練習して来たものか?

挨拶文は自分で考えて来たものか?或いは会社の同僚にでも考えて貰ったものか?(核爆)

かなりの長い挨拶で、途中で携帯電話を見ながらの挨拶(爆)
それでも内容はまぁまぁで、話になっていましたぞ(超進歩爆)

ただ、面倒くさくなったコウメイ君だっか?チャップリン君が挨拶の途中で「乾杯~!」(核爆)

始まる前から大爆笑の超楽しい宴になりました。

いやぁ~、城北競馬場君はある意味役者です。皆から好かれる人気者。

勿論、私も大好きで、超仲が良い同級生の一人です。

高校は違いましたが、幼稚園から一緒でしたからね!

いやぁ~、のっけから全部良いところを持って行かれ、私の出番は全く無しでした(爆)

この日は4500円会費。呑み放題プランに↓のメニューでした。

泥酔でほとんど箸を付けていません(核掛自爆)

しかしながら、こんな大きな宴会場があったとは驚きです。
この日、担当してくれた女性スタッフは実に可愛い子でした。

ネームプレートをみると苗字が「研」さん。
名前が「ナオコ」さんだったら、中々面白かったのですが、
「修生」さんでした。

私が「研さん」と呼んでも無視し、ビッグリバー賢君が、ちらっと振り向くのでした(爆)

隣にいた、M木先生に「やっぱり、中国人かな?」と打診すると、
笑いながら「多分んだろうな」と言います(爆)

マタリキが飲み物を追加オーダーする時に、そのスタッフから聞いたそうです。

何と、この日が初めての出勤であったと言います。

ここで初めて「研修生」と言う事が分ったのです(爆)

いやぁ~、泥酔で「研 修生」と離れて見えたのです(核掛自爆)

いやぁ~、色々の宴があります。

それでも鶴の徽章ジュニアハイスクールの同級会(同窓会)よりも楽しい宴はありません。

特に男子会。女子もいると、別の意味で雰囲気が良くなり盛り上がりもあるのですが、男子のみが最強です。

女子の前では話せない事も多々あります。家族にも話せない事だって、ここでは話せる人もいる程です!(墓場までレベル爆)

数々の事件がありますよ!そんな事はここでも書ける訳もありません。

そんな数々の事件から40年も経つ訳ですから、苦い思い出も笑い話で済まされるは感慨深いものがあります。

さて、49歳の同窓会に続いて、クリの演劇です。
一ミリも進歩していませんね(爆)

目は閉じていてもカメラが向いていると思うと、にやけてしまうのでしょう(笑)

逆に言えば、寸時に笑顔を作れるのですから人柄ですよ!

還暦の祝いでは、私もクリもお互い丈夫で生きていれば、再度挑戦したいと思います(核爆)

多分、また同じく、にやけると思いますよ(爆)

そして、次の演劇はブログの餌食M木大明神です(爆)
クリの要望では、城北競馬場君を餌食にしてくれと言う事でしたが急変です(爆)

さて、彼は鶴岡第三高等学校の教師をしています。
大昔の鶴岡高等女学校です。頭が良いだけでもNG、家が大金持ちだけでもNG、両方を備えないと入学する事のできなかった凄いハイスクールです。

M木とは小学校から一緒ではありましたが、その時は一度も同じクラスになった事も無く話した事もありませんでした。

仲良くなったのは、それこそ鶴の徽章ジュニアハイスクールに入学して同じクラス(朗子組)になってからです。

私は言うまでも無く完全に落ちこぼれ、クラスでも2班のマーちゃんに負ける事はありませんでしたが、しんがりから二番目の悪成績でした(核爆)M木は当然成績優秀な生徒な訳です。

鶴岡高校に楽勝に合格できるレベルだったのですから、敦子製管です(爆)

マジで国語と社会はずば抜けていました。

それでも、そんな勉強は私に教えてはくれませんでしたが、
別の勉強を教えて貰いました(核爆)

アルフィー、桜井、坂崎、高見沢、もとい、ワンデイの事です(爆)

松木「カッケ、生理って分がるか?」
掛「分がるぜ!整理整頓とか言っているやづだろ?」
松木「そのセイリじゃなくだよ!」(爆)
掛「分がらね。何だそれ?」

いやぁ~、13歳の小生には驚きでした(汗;)

体育の時間、或いはマラソン大会などで見学をしている女子生徒を見ると、
「カッケ、●●子はあれだぞ!」

M木は生理の事を「あれ」呼称していました(爆)

いやぁ~、M木のせいでジュニアハイスクール1年の分際で女性に興味を持ってしまったのでした(爆)せいじゃなくお陰か?(核爆)

体育で見学している女子を見ると、私は「M木、あれだな?」
M木は「いや、あれはマスクをしているから風邪だろ?」(爆)

体育で見学女子がいるだけで、M木と盛りあがったものでした(爆)

その後、高校時代は一度も会う事も無く、卒業後に遇ったのが20歳か?21歳だったか?さすがの私も確かな事はいえません。多分、21歳。
そこはパチンコ屋でした(七号線爆)

彼が大学時代の帰省時だと思います。ここでは余計な話はせず、
その次にあったのが港町管内。

何とラーメン店、石垣商店でした(さらしな笑)

私は当然シャッターで食べ終わり、退店しようとした時に
入口でバッタリ(驚;)

掛「暫くだのぉ~、今、何しったな?」
松木「英語のしんしぃだ!」
掛「どごで?」
松木「さがとだ」(凄;)
掛「何でおめが英語や?国語が社会だろや?」
松木「なぜが英語だなや!今だばカッケがらも負げねぞ!」

この時が、TUYの有(なおタン)アナウンサーの担任をしていたのです(驚;)

因みに、なおタンは先日お越しになりましたよ!勿論取材じゃなくプライベートです(笑)
お父上お母上等と来館してくれました(感謝)

結構、取材以外でお越しになられているのです。

いやぁ~、幸せそうな顔をされていました!

TVと同じ!っうか、それよりもテンションアップだったかな?
マジ馬鹿明るいです子です(爆)

そんな事ですが、亀ヶ崎ハイスクールと言うか歴史ある県立酒田中学校での教師時代もあったM木。

東大や京大等、超一流大学に進学する生徒もいる程です。
なおタンも確か大妻女子大だった希ガス。

そんな生徒に英語を教えると言うのですから、至難の業ではありません。

そんな事ですが、話を鶴の徽章ジュニアハイスクール時代に戻しましょう。

私とM木は同じ朗子クラスの4組が一年時。

進級すると、私は「な~にやってんだ~」の6組、M木は「は~い、集合クラス」5組に別れてしまいました。

これがまさしく明暗を分けます。

2年~3年はクラス替えも無くそのままでした。

校内駅伝大会では、5組は断トツの差を付けて優勝。因みに、M木は集団走(爆)
6組は2位で、私は準々エース区間(爆)三年最後のマラソン大会の順位ではクラスで一番の成績(校内4位)でしたが、エース区間は普段から安定した走りをしている、竹馬(小野寺)君に走らせました。

エース区間は3.2k、準エース区間は3.0kでした。私は2.1k、白山林~下清水東口辺りまでを走ったのです。

ビコーズアイラブユー事件です(爆)

実は、この白山林からの前区間が、寺田~白山林と非常に短い距離で、どこのクラスもあまり持久走は得意では無い女子をエントリー。

その区間にその当時のマイガールフレンドがエントリー。

っうか、今だから言えますが、全ての区間、或いは集団走の選手は担任の先生が決めるのでは無く、生徒皆で作戦を立てながら決めたのです。

多分、他のクラスは全て皆で相談して決めたと思います。

しかし、6組は私が全て指名して、決めていたのです(核掛反省爆)

まあ、結論から申し上げますと、彼女から襷を受け取るか?或いは、彼女に襷を渡す区間を探していたら、そこしか無かったのです(核爆)

いやぁ~、駅伝大会が終わってから、担任に大目玉をくらったのを鮮明に覚えています。

担任「カッケ、何でお前が3kか3,2を走らなかったんだ~?」
掛「先生、俺、遅いですから!」
担任「嘘言うな!真面目に走れば早く走れるんだろ?」
掛「今日は調子が悪くて…」
担任「馬鹿野郎、今日変更したんじゃないだろ?な~にやってんだ~!お前のせいで負けたんだ!」

担任の先生は間違いありません。私は馬鹿野郎でした(爆)
しかし、私のせいで負けたのではありません。

クラスの皆も私のせいで負けたと責める者は誰もいませんでした!

私を恐れてでしょうか?(爆)いえ、違うのです。

他のクラスはどうか分かりませんが6組全員、5組が優勝すると戦前から兜を脱いでいたのです。

それはその筈、スーパーランナーの伊藤シン君と言う絶対的大エースがいるからです。

マラソン大会は伊藤君が三年間全て1位を取っています。
例外で一年最後のマラソン大会で先生の陰謀で2つ上の三年生と一緒に走らされて2位に負けた事があります。それ以外は全て1位です(凄;)
2位も不動の「塩野君」3位~4位争いが、吉住君、竹馬(小野寺)君、たご(渡部君)等が争っていました。

伊藤君、その強さは大迫です。サッカーじゃなく陸上の方ですよ(爆)

まあ、そんなシン君も現在は私と同じ、ただの超左党になっていますけど(核爆)

因みにですが、その当時の彼女は1,2年時、マタリキと付き合っていたのです(爆)

製麺機は私のところのお下がりですが、実は彼女はマタリキのお下がりだったのです(核爆)
まあ、お下がりと言ってもおかしな意味は一ナノメートルも無く、
ジュニアハイスクール時ですから、とても純情な意味でのお下がりであります(爆)

そんな経緯がありながらも、マタリキと同じ蹴球部に、三年時再入部します。
一年時と二年時の夏休み前までは蹴球部でした。

夏休み中の練習にも行かずにさぼっていた事もあり首になったのです。

そんな中、大事件を引き起こしてしまい、担任から超大目玉です。
親の前で殴られた程ですから、重大事件でしたorz

もう一度、中学校生活を真面目にやり直せと、蹴球部再入部を強制されます。

ナオジ先生に深々と頭を下げて再入部が認められます。

一年時から同年を纏めリーダー役、二年時の新人戦から主将の重、競馬場の状態では無い「シゲ」です(爆)

シゲは自分にも他の部員にも厳しい、そして、顧問のナオジ先生にも絶対的な信頼をされていました。

私には特にうるさく、「カッケ、今日は練習さ来いよ!」とか「今日はさぼるなよ!」と、しつこく注意をしてくる厳しく真面目な香具師でした。

一方、マタリキは「ヤマリン頑張って来いよ!」とか「記録出して来いよ!」と激励をしてくる、ふざけてはいましたが私には都合の良い香具師でした(爆)

今、思えば、マタリキには値千金の眼があったのか?(爆)

私の事は、鶴の徽章ジュニアハイスクール蹴球部に要らんイラク人と思っていたのでしょう(核爆)私はマタリキの前で二度事件を起こしているのです。

安西先生は、諦めたらそこで試合終了ですよとの教えですが、
私は試合終了になっても諦めなかった事が二度あるのです(核爆)

レッドリバー河川敷共同更衣室事件、柏戸ジュニアハイスクール校舎の陰事件です。高専太郎事件は未遂で終わりましたがやばかったです(反省)

マタリキは私にスポーツをする資格は無いと判断したのでしょう(流石爆)

色々な面で蹴球部には迷惑を掛けてしまいましたが、マタリキの言動は間違ってはいなかったのかもしれません(爆)

そして、かなり迷惑を掛けてしまった「重」からは、
現在、米を購入させて貰っています。付き合いなんてどうな事になるか本当に分からないものですよね。

さて、話はそれてしまいましたので少し戻しましょう。
合唱祭においてもM木は5組なので、二年連続最優秀賞に輝いているのです。

連覇が掛かる三年時、5組が選んだのは霧の摩周湖(嘘爆)

『摩周湖は碧く』と言う歌でした。カムイアホニカアーホイヨだったか?
全く訳の分からぬ歌でした(爆)

意味も分かって歌っていなかったのでは無いでしょうかね?(爆)

そんなクラスが最優秀賞。

さて、その比較になりますが職員室でも、5組と6組の担任は隣になります。

前年優秀賞で終わった悔しさが、我が6組担任にはあったのでしょう。

この年の前年に全国合唱コンクールで最優秀を取った自由曲「親知らず子知らず」

これを担任が仕入れて来て、「この曲で勝負だ!」と勝手に決めてしまいます。

親も子も知らない歌であると言うのに有無を言わさずでした(爆)

そして、今だから言えますが戦略も間違っていました。

中間発表は他の全てのクラスが課題曲「大地讃頌」を歌う中、
我が6組だけが自由曲を歌ったのです。

皆、手の内を出さずにいたのに、6組だけが担任の「他のクラスにギャフンと言わせてやれ!先制パンチだ!」とか訳の分からぬ講釈をしていました。

ギャフンどころか、他のクラスは「調子こいて」くらいにしか思っていなかったでしょうね(爆)

我々6組は自信満々で本番を迎えました。自信と言うか過信ですね(爆)

結果発表では、優秀賞に6組はアナウンスされるなと皆、手を合わせて祈っていました。
優秀賞に入らなければ、自ずと最優秀賞だと思っていました。完全に思いあがっていましたね(爆)

優秀賞2クラスが発表されると、ガッツポーズをしている馬鹿もいました(爆)確信していたのでしょう。

そして「最優秀賞は三年五組です」とアナウンスされて、唖然というか茫然でした(核六組自爆)

余りにも調子こいていたので、回りにも審査員等にも顰蹙で
厳しく採点された陰謀だと思っていました(爆)

まだ分かっていないのか?(核六組自爆)

暫く六組の皆が馬場こういちでした。

しかし、その後卒業式に合唱祭の各クラスの自由曲が入ったLPレコードを
貰いました。

懐かしく思い、自分達のクラス歌を聴いて初めて納得しました。

あれは全日本音痴合唱団と言われても仕方なかったレベルか?(核爆)

それこまででは無いですが、いやぁ~、何か合っていませんでした(マジ)

それと比べて最優秀賞の5組はとても素晴らしい合唱でした。

まあ、負け惜しみですが選曲ミスだったか?難しい歌でもあったと思うし、
その学校の合唱祭で最初に歌われる歌ですからね!まあ、5組も最初の歌か?(爆)

大体が前年やその前の年に先輩達が歌った歌で馴染みのある歌なので、
審査員も初めて聞く歌よりも馴染のある歌の方に点数がやや甘くなっていたのかもしれませんね?(負け惜しみ爆)

それこそ馴染みのある「翼を下さい」でも良かったのですよ。
翼を下さいで思い出しましたが、奇しくも1つ上の学年も2、3年と連覇しています。

2年1組~3年1組です。翼を下さい~紀の川です。
指揮者が蹴球部のフィフティストーム先輩です。
ゴールキーパーでした!

まさに、彼こそが鶴の徽章ジュニアハイスクールの「ヘルベルト・フォン・カラヤン」(爆)

そんな事ですが、我々6組も大甘でしたが、城北競馬場君の9組も、前年の最優秀賞曲を歌えば、頂点を狙えるだろうと言う大甘だったのです(爆)
せめて、1年空けるとかした方が良かったのかもしれません(結果論爆)

「紀の川」も静かに入り、最後は勢いで押し通す様な良い歌でした。

「翼を下さい」も替え歌のできる良い歌でした。

「いま私の寝言が叶うならば乳房が欲しい」の歌い出しでしたっけ?(爆)

2番が「今、富とか名誉が欲し~い」だったか?(爆)

翼と乳房では、やや苦しいか?orz

そう言えば、乳房で思い出しましたが、乳房が素晴らしく大きくなったなんて歌詞があった筈です(爆)城北競馬場君が歌っていた記憶がありますが、海の若者と言う歌だったか?私には意味不明の歌でしたorz

それこそ「戦争を知らない子供達」でも良かったと思います。大体が練習中に男女がぶつかり、喧嘩になるんですよね。男子がふざけて真面目にやらないと、女子が泣くとか…。どこのクラスでもあったと思いますよ!


途中、替え歌を歌ってはみ出したりする香具師も必ずいます(爆)
どこのクラスにも必ずいます(爆)

そんなんですが、チェンソーを知らずに僕らは生まれた。チェンソーを知らない子供達さ~(爆)

これは、まじでノコギリしか知らなかったのだから正解だと思います(爆)

ただ、チェンソーを知らない大人達は駄目でしょ?(核爆)

っうか合唱で思い出しました!

城北競馬場君が還暦の同窓会で大地讃頌の指揮者もする事が決定していたのでした!(核爆)ピアノはワカチャソじゃなく、淳二で決定だ!(笑)

そんな事ではありますが合唱祭、駅伝大会、そして、最大の行事「体育祭」でもM木の(白組)は優勝しています。持っているとしか言いようがありませんね!

まあ、体育祭だけは、やや運も含まれているのではないですかね?

1,2組が緑組、3,4組が赤組、5,6,7組が白組、8、9組が黄組だから、大友公平と言えない面はあります(爆)

既出ですが、その時の優勝組頭は「マタリキ」なのです。

いやぁ~、あの頃のマタリキは本当に光っていました。
今は、頭がやや光りだしてきていますが…(核爆)

白のハチマキ、一番右がマタリキですよ!
信じられないでしょ?(爆)

そんな事でM木は全てで1位を経験しているのです。

進学だって、同じサウス高校でも、城下町と港町の違いがあるのですよ(爆)

言い訳しますが、M木は頭が良かったのでしょうか?私は頭が悪かったのでしょうか?

そりゃ、東大に入るレベルならば頭は当然良いでしょうが、鶴岡高校に入る者が全て頭が良いと言う訳では無いと思います。クリだって辛抱強いのです(爆)

頭が良いと言うよりも辛抱強いのだと思います。

中間、期末テスト勉強の時に、どれだけやるかなんです。

机に向かって頑張って勉強をする者、あまりしないでTVを観たりしてさぼる者。

この差だけなんです。辛抱できるかできないかなのです!

私は辛抱できなかったのです。M木は辛抱強く勉強したのです。

その違いだけです(言い訳爆)

過ぎてしまった事はどうにもなりませんorz
人生、リセットはできません。時の砂などある筈も無い(DQ爆)

元旦に特別な思いはありませんが、一応、今年は『辛抱』です。

これからの短い人生ではありますが、若い時にできなかった、
辛抱強く生きて行こうと思います。

4時から吞めない日があっても辛抱です(爆)