荘銀地元支店臨時総会

豊翔会の臨時総会に行って参りました。

地元支店の無人化による、会を解散するかどうかの問題でありました。

まあ、出来レース感はありましたが、段取り通りに解散、糸偏に冬と相成りました(致し方無し爆)

豊翔会の長い歴史はウ冠に元、莫大な繰り越し金を使い果たなければいけないので会費はゼロでありました(爆)

4時に練習開始して、余りにも調子が付き過ぎて出遅れ、シャッター長を取り逃してしまう始末(核爆)最後は決めたかったなぁ~(爆)

最後の乾杯です(涙;)

私はこの日も腰の調子は良くは無く、1時間くらいお邪魔して帰るつもりでいました(泣;)

しかし、暫く訪館していない内に、椅子&テーブル式になっていましたよ(嬉)
曲がりなりにも私だって旅館業をやっていましたから、仁三郎さんの客層は把握しています。

概ね老人会の団体客だと思いますよ。

会の中には、必ず足腰の不自由な会員がいるのです!

そんなお客様の為への配慮で新調したと思われます。

これならお開きまで滞在可か?(爆)

最初のお膳顔であります。

そして、刺身が提供されました。この後も凄まじい料理の連続だったらしいです(仰天&大汗;)

しかし、1度目の消費税を支払いにレストルームに行く途中に、
天下のほぼ船長から「厨房で晩酌しったさげ来ねが?」と打診、もとい、
命令されます(爆)

ご覧の皆様、良いですか?もう一度言いますか?(爆)

まあ、しつこい様なので止めておきますが、天下の仁三郎のほぼ船長にも絶対に逆らわない方が賢明と伝えておきます(爆)

仁三郎さんと仲良く、そして逆らわないでいれば必ず良い事があると
信じている小生であります。

私は小さな消費税を支払い直後に、恐る恐る厨房へと顔をだすのでありました。

最初に目に付いたのが「イクラ」であります。

余りにも旨そうで、これでいくらになりますか?とか、いくらでも食べれますとかの親父ギャグの余裕もありませんでした(爆)

ほぼ船長は厨房で晩酌、勿論、もうじき隠居船長は大宴会場で豪酒中でした(爆)

宴会場からの持ち込みウーロンハイで「乾杯!」です(笑)

ほぼ船長「すぎだ酒呑めばいいぜ!?」と勧めてくれます(凄;)
しかし私の『爽』がありません(爆)勿論大好きなウヰスキーがありますが、翌日の事を考えると手を出す訳にはいきません!

それに、またウヰスキーに目覚めてしまうと…(恐;)

宴会場からルーラして来たみたいです(核爆)

そして、ほぼ女将の久美氏が近くでイクラの下処理をしていました。

仕事をしながら、ほぼ船長のお相手をしているのでしょうかね?
私ごときにもお酌をしてくれました(嬉)

光栄、非常に恐縮します。

そして、板長が刺身二点盛りを持って来てくれました(仰天;)

宴会料理を出すまでは板場は戦争、その後にほぼ船長の晩酌が始まるのだと分析しました。

当然ながら、上げ膳据え膳は凄く羨ましい事だと思うと同時に
私ごときでは絶対にできないと事だと痛感しました。

さすが、天下の仁三郎のほぼ船長であります。

それだけ、命懸けで仕事をして業績を残しているのですから当たり前と言えば
当たり前であります。

メジナの刺身だそうです(仰天;)

恥ずかしながらと言う訳でもありませんが、当然、メジナの刺身は
生まれて初めて食べます。

ほぼ船長の敦氏は、メジナは庄内浜では獲れないと言います。
勿論大型メジナの事なのですが、稚魚は獲れると言うかいくらでも釣れたものでした。

クロコ呼称し、ある程度波が荒い日に釣れるものでした。

今だから言えますが、40年も大昔は旅館で出た生ゴミは全て海に捨てていました(マジ爆)

12歳の秋に潮汲み場と言う、私のところから仁三郎さんに行くロード下の
磯で波の高さ2m前後のやや時化の時に釣りをしていました。

さすがに10月であった事は確かですが、上旬か中旬か下旬かまでは記憶にありませんorz

それこそ、今だから言えますがそれよりも以前は、現在の海水浴場に生ゴミを捨てていたらしいです(マジ爆)

従業員がバケツに入った大量の生ゴミを潮汲み場に捨てます。

そして、私の釣りが始まります。生ゴミは撒き餌代わりになっていました。

マジでクロコの入食い状態でありましたよ!

5cm~10cm程のクロコが入食いでありました。

因みに、この潮汲み場では小4から頻繁に釣りをしたものです。

10歳で一人で釣りですから、1m以内の凪でないと親から許可して貰えませんでした。しかも従業員付きと言う有難迷惑な付き添い(爆)

まずは自ずと凪なのでクジメ釣りをする為の穴落としです。

クジメはアイナメと良く似ていると云われている様ですが全く違いますよ!

クジメはあぶらっこ、アイナメは磯シンジョウの事で味も全然違います。

クジメは岩礁地帯の岩穴に釣り針を落としてやると簡単に釣れます。

これは経験でそれらの穴を全て知り尽くしている事が大事です。

私も10歳、11歳と二年間の秋シーズンで相当に回り勉強はしました。

最初に必ずと言って良い程、大きめのクジメが上がって来ます。
多分、お父さんだったと思います。お母さんも突然いなくなったお父さんに
違和感を持つことなく、二番目に上がって来たのではないかと分析します(爆)

腹が減った事には敵わないのでありましょう(核爆)

同じ穴から一匹しか釣れない事もあります。三匹も釣れる事もありました。

しかし、同じ穴で頑張っていると、最後にはギンポが上がってくるものでした(爆)私は「がつなぎ」と言っていましたが、ウツボの稚魚みたいな感じで
超気持ちが悪く、手で触わる事がギリギリでしたorz

子供心に、この魚が上がって来たあとは、クジメが上がって来る事は無いと
確信していましたが真偽は?(謎)

他の穴から最初に釣れて来た最初の魚がギンポでも次にクジメが上がってくる事はまずなかったと記憶しています。誰かが先にクジメを釣ってしまっていたものか?(謎笑)

ギンポよりもクジメの方が権力があるのではないかとも分析します(爆)

そんな事ではありましたが、その翌日、学校に登校すると渡部浩君と言う同級生が「昨日、クロダイを釣って来たぞ!」と威張るのでした。

私がクロコで彼がクロダイですよ?

私は負け惜しみで「嘘だ!タコがクロダイを釣れる筈ねぇろぉ~」と凄みます(爆)

浩君のあだ名は「タコ」です。男子児童の同級生ほぼ全員が「タゴ」呼称していました(爆)ビッグリバー君だけが「タコチュウ」と呼んでいましたよ!

更には悔しい事に、浩君の弟も「にせい(二歳)」を上げたと威張ります。

弟さんのあだ名は「ブタ」ですよ!皆、「ブダ」呼称していましたよ(爆)

「ブタに釣られる魚なんかいねぇ~」と凄んだ覚えがあります(負け惜しみ爆)

彼ら兄弟はお父上が魚釣りが好きだったものか?小さい頃から磯釣りに釣れて
行って貰っていたのでしょうね。

釣りに関しては非常に優れていましたから!鯉の釣り堀にも一緒に行った事がありますが、誰よりも先に上げているものでした。

海だけは負けたく無く、私はすぐにクロダイ釣り用のリール付きの竿を買います。浦島ではなく、小林釣り具屋さんだったと記憶しています(笑)

そして、翌週、クロダイ釣りに向かいます。

結果は石鯛の小形物のタカバ(シマダイ)を一匹上げただけでした(核掛自爆)

絶対にクロダイを釣ると、浩君(タゴ)に豪語したもののその結果に
、元巨人の監督、そして、ドリフターズの三代目リーダーになり過ぎてしまったのです(核掛自爆)

私は釣りに嵌り掛けたところで完全に竿を置く事になります(大泣;)

ただ置けば良かったのですが、な、何と海の中にワビします(核掛自爆)

ワビとは?ハローズの社長くらいしか分からないでしょ?(核爆)

あまりにも馬鹿くさい行為で説明のしようがありません。

簡単に説明すると、短気は損気か?(爆)

不法投棄であるかもしれませんが時効です(核爆)

旅館に戻り、親父から結果を打診されます。

親父「どげだっけ?」
掛「釣れねっけ!」
親父「全然が?」
掛「タカバ一匹だけ…。それよりも竿を海におどしてしまった」(超嘘爆)
親父「あど釣りなやめれ!おめよりも魚の方があだまいいなださげ」(核爆)

っうか、その続きもあるのですが脱線していますよね?(爆)

そんな事で話を戻しますが、お膳に付いた味付けイクラの味が忘れられずに、
ほぼ女将に「久美さん、お膳のイクラ3粒か5粒でも良いのでありませんか?」と、つらつけないお願いをしてしまいます。

久美氏は「味付けは全部出したのでねぇのぉ~」と言いながら、
今、正に下処理をしたイクラを大量に提供してくれたのです(仰天;)

これを一人で全部食べたと思いますか?(核爆)

桂小金治です(爆)

私は意志が固い方だと思いますよ!タバコもスパッと止めましたからね!

しかしですね。うみゅ~(大汗;)

猫の前にマタタビを置いて、待った!できると思いますか?(核爆)

何を隠そうではありませんが、私のこの世の食べ物で一番好きな物は
ラーメンではありませんよ(爆)

何とタコでも無いのです(核爆)

一番好きな物は、実は「イクラ」なのです(爆)

今だから言えますが、「おかん」と最初の寿司屋デートの時に、
イクラ軍艦を20個連続喰いました(爆)

その後、筋子巻を6本喰ったのです!(核爆)

後は何も食べませんでした。鮭の卵コンプリート伝説です(核爆)

結局、この日の結末は動脈硬化で倒れたものなのか!?(嘘核爆)

多くの人が二次会に向かうも、私は翌日7時からハンドルを握らなければいけなかった為に、9時前には帰宅し就寝したのでありました。

余りにも短い地元支店とのお付き合い(涙;)

歴代の支店長からは本当に良く面倒をみて貰いました。

断トツ、池田円支店長には助けて貰ったのか救って貰ったのか上手く伝えられませんが非常にお世話になりました。その後のシュガー支店長、ロングバレイリバー支店長、最後のハイブリッジ支店長も最高の支店長でした。

後は忘れてならないのが木村ブシ氏であります(爆)

そう言えば、今の時期になっても、恒例になりました美酒探訪のオファーがありません。

今年は太麺屋さんにでもお願いするのでしょうかね?(謎爆)

さあ、私はエルサンさんでもケータリングか!?(嘘核爆)

そんな事はともかくも、『荘内銀行三瀬支店、万歳!』
関係された皆さんに深く感謝する次第であります。