先だっての会合

城下町管内サンライズ町のブッチャーに初訪です(汗;)

ブッチャーと言えば、本来普通の人は「肉屋」のイメージが強いでしょうが、
我々年代の熱烈なプロレスファンには、特に後者のイメージが真っ先に思い浮かびます!
因みに、プロレスラーとは、プロ意識がより少ない人が作るラーメンの事ではありません(爆)

プロフェッショナルレスリング選手の事です。

私も大好きであったアブドーラ・ザ・ブッチャー氏。

「ブッチャー!」と大声で呼称し地獄突きを何人にしてしまったか?orz

マジで、泣かした事もある(エリー爆)

本当に地獄突きをしてしまった同級生には申し訳ない事をしました。

因みに、友達に危害を加えないで自爆している同級生もいました。

「ボボブラジルのアイアンヘッドバット!」と言って、ジャンプして
柱に頭を打ち付ける香具師(爆)ボボブラジルと言うよりは、ほぼ気違いでしょ?(爆)

そう言えばヘッドバットで思い出しました。既出は中学になってからですが、
小学校時代には頭突き呼称が似合っていた大木金太郎選手。
一本足頭突きで有名でした。

ビッグリバー君が他の児童に「大木金太郎の頭突きだ!」と遊び半分の攻撃を
していたのは笑えましたが、女子児童の前で「大木金玉」を言い、反応するまで連呼していたのは、女子児童が可哀想でしたね(爆)

無視する女子児童に10回~20回も連呼して、ついには泣かせてしまうのでありましたorz 彼女の名前はフォールマウンテンチヅコサソ。

彼女は、担任の佐藤茂男先生に泣きながら行き「ケン君が…」

ビッグリバー君は茂男先生から、算数で使用する黒板用の大型コンパスで、
尻を2,3度叩かれて、余りの痛さに暫く立ち上がれなかったのを鮮明に覚えています(爆)

それこそ、ボボブラジル選手と大木金太郎選手のヘッドバッド争いも興味がありましたね!

これは鶴の徽章ジュニアハイスクール時代、1年時に同級生がその真似事をするのでした。

今は天国に行ってしまった「たもちゃん」と健在の安在君(爆)

安在君は自称「石頭」の自負で大木金太郎役、たもちゃんはボボブラジル役です。

レフリーは、ジョーでは無いですが樋口君もいましたし、京平では無いですが和田君もいました(爆)

それでも、レフリーは私でありました。

休み時間一本勝負、頭突き以外の技は全て一発反則負けと言うルールでした。

基本、泣かせた方が勝ちで泣いた方が負けと言う誰が見ていても分かる単純なルールですので、誰がレフリーでも良かった訳ではあります(核爆)

ゴングは私の「カ~ン!」の発声で試合開始になりました。

たもちゃんは安在君の顔の付近に頭を付き出し挑発します。

まずは安在君の軽い頭突きが一発入りました。

すぐに、お返しとばかりに「たもちゃん」の頭突きが入ります。

安在君は「全然効がね」と涼しい顔。

すぐにかなり強めの頭突きが「たもちゃん」へと入ります。

顔色一つ変えない「たもちゃん」がかなり強い頭突きを安在君にして、
私に向かってドヤ顔(爆)

安在君は「全然痛ぐね!」と笑っています。

その後、安在君が椅子の上からの頭突きをして逆襲。

たもちゃんは相当効いたのか?或いは、ムキになってしまったのか?

椅子の上からお返し。

安在君の「全然~」に更にムキになったのか?交互の攻撃だったのを
二連続の攻撃にでます。

更には辺りへのパフォーマンスで調子こいたと思うのですが、机の上から飛び下りて安在君に攻撃を繰り返していました(爆)

まあ、見るからに椅子からの頭突きよりもやや遠慮と言うか手加減している様になって観えました(核爆)

結局は次の授業の教科担任が来て引き分け。

引き分け再試合は当然のところではあったのですが、次の休み時間に私が挑発するも両者試合放棄(爆)
余程痛かったのだと分析します(爆)

ただのやせ我慢大会か!?(核爆)

おっ!?のっけから脱線してしまった様ですが、肉屋の記事に急ぎたい方は、
オードブルにソーセージが載った画像までスルーされて下さい!(爆)

さて「私も大好きであったアブドーラ・ザ・ブッチャー氏」と前書きしましたが、普通では考えられないと思います。

ブッチャー氏は、ザ・シーク氏などとタッグを組み、史上最悪コンビとも云われるくらいに悪役であったようです。

しかし、ブッチャー氏とたまたまエアポートで遇ってしまいます。

鶴の徽章ジュニアハイスクール2年時の事でした。

私は団体旅行でカナダ~ロス~ハワイの順での旅。

成田エアポートが開港した翌年だとコンダクターが言っていた記憶があります。

私は鶴の徽章ジュニアハイスクールの二年時ですから、昭和54年の事であります。

出発はさすがに忘れてしましましたが、夏休み中の7月下旬だったと思います。

7月27日or28日だとは思いますが、全く自信はありません。
成田からラブレターフロム、カナダ~へとフライトするのでした(笑)

パン喰うば~、もとい、バンクーバーエアポートに向かったのでありました。

そこでブリティッシュコロンビア大学の学生寮に宿泊、あとはホームステイで
数日滞在しました。

そこから、今度はロスを目指して、再度空港でのフライトを待っていました。

そこでブッチャー氏を見掛けました(仰天;)

団体旅行でありまして、私の隣の席は、な、何と天童山本製作所のドーター様であったのです(仰天;)

その彼女が「ブッチャー氏」を見付けて、「あれ、プロレスの人じゃねぇ?」と言います。

山形県全域から参加したメンバー、特に男子はマジでびびっていました。

私は恐る恐るですが、近づいて行けた理由は、
自分みたいな中坊に危害を加える筈が無いだろうとの確信です。

奇しくもこの前年にブッチャー氏は城下町管内の蒲鉾スポーツセンターで試合をしています。

その時に、リングサイドの一列目をゲットできたのでありました。

ゲットできた理由は本間スポーツさんの常連であったからだと思います(謎割愛爆)

蒲鉾スポーツセンターに行く前に、祖母から最前列だからくれぐれも気を付けてと念を押されます。

っうか、プロレスを高いお金を払ってのリングサイドで観る意味が分からないと言われます。

家で、TVで観るのが一番だと力説する祖母(爆)

その後、そんなのに本気にならないで少しは勉強を頑張れとの指摘でした(苦笑)

私は本気になっていましたが、マジ夢も希望も無い話をされます。

プロレスの試合で本気で戦っていて敵に見えるが、終わると皆同じバスで次の会場に移動するんだと言う祖母orz

なるほど、、、、話はそれてしまいましたが、悪役であって本当は恐い人では無いのだろうと子供心に考えていました。

そして、皆はびびりまくり、私に皆が「やめとけず~」と言いますが、

私は恐る恐るではありましたが、カメラを向けて写真を撮る事ができたのです。

「ブッチャー!」と声も掛けさせて貰いましたが、何とニコリとほほ笑んでくれたのです(驚;)

空港でも誰かと違って、酒を呑む事も無い真面目な方なのです(爆)
コーラを一気飲みして、お替りしていました(爆)

これからがブッチャーの大ファンになってしまいます。

それまではやはり、ブッチャー氏の事は嫌いでした。

馬場さん鶴田さん、ドリー&テリー兄弟を応援していましたよ!

鶴岡の蒲鉾スポーツセンターでの試合の時は、「ケンドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク対 アブドラ・ザ・ブッチャー&キラー・トーア・カマタ」のタッグマッチだったと記憶しています。

両者リングアウトの結末でした。場外乱闘のトーア・カマタさんに足を引っ掛けた
観客もいました(核掛自爆)

いやぁ~、その後のソーラン軒さんのラーメンがどんなに旨いと感じて食べたものか?

再度の脱線はいけませんので、話を戻します。

悪役を好きになったのはそんな理由があったからなのです。

馬場さん&鶴田さん、ドリー、テリー兄弟に応援した事は、それ以前はありませんでした。悪役は、本来大嫌いです。

正義の見方、月光仮面に始まり、ウルトラマン、ウルトラセブン等を観て育った年代です。

キングジョーがウルトラセブンに跨り、気を失った状態になり、
「つづき」の字幕がでた時は心配で不安で泣きそうになりましたよ(爆)

全く勉強も手に付かずに、食欲も無くなった程でした(核爆)

そして、ゼットンからウルトラマンが倒された時は、泣きそうどころかマジ腹が立ちTVを壊そうとしましたが、祖母に大目玉をくらい止めざるを得ませんでした(核爆)
結局は、アラシ隊員により無重力弾を撃ち込まれ倒されたのですから、所詮ゼットンの力などしれたものだったのでしょう(核爆)

まあ、結局は正義の見方が勝つと言う良い例ですね。

他にもTVを壊そうとした時が二度あります(核爆)

先月70歳の若さで亡くなった元横綱輪島さんが北の怪童「敏満」氏に優勝が掛かった千秋楽で負けた時、あとは同じく輪島さんがマウイアイランド出身の大五郎さんから手も足もでずに寄り切りで負けた時の二回です。

それから聞いた話ではありますが、本当に相撲に熱くなって癇癪を起し、
TVを壊してしまった人が羽黒町にいたらしいです。

北海の白熊「幸喜」さんと我らの山添村生まれの富樫さんが、
相星決戦or優勝決定戦の何れかで、富樫さんが幸喜さんから負けた時が
あったそうです。

その時にやらかしたらしいのですが、当時は羽黒町では有名な話であったそうです。昭和39年or41年の話ですから、前者なら、私は生れていませんし、
後者でも1歳ですから、いくら大昔の事の記憶が良い私でも分かりません(爆)

東京オリンピックでカラーTVを購入したと分析しますから、かなりのお金持ちの家だったのでしょう。

寄り切りの負けで腹を立て、TVを押し倒し?突き倒ししたって洒落にはならないですよね?(爆)

私が生まれた昭和40年には、貧乏で自宅にはTVがなかったらしいですorz

カラーTVを観た記憶は小学校二年生だったと思います。

カラーTVは、近所のお金持ちの家に行って、見せて貰ったものなのです(苦笑)

さて、このTVを壊そうとした数年前、私が小学校二年生の時です。

親父と「大おかん」で輪島さんに会う為に上京しました。

当時の上京終点は「上野」でありました。上野はおいらの心の駅なのです(井沢八郎笑)

因みに、そのドーターさんのカレーを私は食べましたよ!(工藤夕貴爆)

っうか、工藤さんに映画のロケで私のところの部屋を控室としてお貸ししました。

その時に、マネージャーさんから、厨房を貸して欲しいと言われました。

雪平でルーを温めていました。

その鍋に残ったルーを舐めただけの話です(爆)
勿論、馬鹿マイウ~でしたよ!(凄;)

すでに脱線している感は否めませんが、更なる脱線はいけませんので話をすぐに戻します。

到着したのが上野駅です。

前年も上京してパンダを見ましたが、この翌年は駅前に輪島さんのリンカーン・コンチネンタルが横付け。

その車に乗せて貰いました(サンプル画像)

運転手付きではなく、輪島さんが自ら運転しました。

何と、当時は私の自宅ではダイヤル式の黒電話。

市外に掛ける時は、0からですが回すと戻るまで超面倒で苛々した記憶があります(爆)

公衆電話は、現在のグリーンどころかピンク電話?いえ、間違い無く赤電話でありました。大体が電話ボックスなどありませんでしたから(爆)

ポケベルでさえ、私が認識していたのは昭和の終わり頃から平成に入ってからですよ!
持った事など一度もありませんけど…orz

それでも、なぜか分りませんが、輪島さんの車には電話がありました(仰天;)

まさか「はったり」電話か?(核爆)

我々が運転免許証を取った時代には、族車で、はったりオイルクーラーホースなど付けている香具師はいましたけどね(核爆)

上野からどこを走ったかは不明ですが、到着したのは輪島さんの高級マンション最上階でした。

微かな記憶では「代々木」であったと思います。

それは「輪島さん、ここはどこですか?」との私の質問に答えてくれたのを覚えているからです。

親父には「横綱と呼べ!」といきなり怒鳴られ怒られましたが、上野駅に着くかリンカーンに乗る前に言えよ!と思いましたorz

横綱輪島に会わせてやると、鬼の首を取った様に豪語して連行された訳ですが、
その一言に超萎縮してしまったのでした。

代々木であろう、マンション最上階で仕出しの焼肉が振る舞われました。

そんな気分の中で食べた焼肉なので、正直、味云々くんぬんではありませんよね?(苦笑)

相撲取り顔負け程食べる親父は、横綱から「掛神さん、中々強いですね?」と言われていたのを記憶しています。

そして、萎縮した私は特上のカルビを一切れ食べただけ。

輪島さんは「アツシ君、遠慮しないで食べて!」

声を掛けられた時には、再度一切れを食べました。

そんな連続で、何とか3,4切れは食べたでしょうか?(爆)

すると、輪島さんは「アツシ君、野菜も食べないと駄目だよ!」と
サンチュを勧めてくるのでした(大汗;)

私の記憶によれば、サンチュはパオではなく、サニーレタスであったと思うのです。

まあ、何れにしても当時の私には食べる事が出来ませんでした。

ここで、私はフリーズしてしまいます(野菜嫌掛自爆)

輪島さん「野菜嫌いなの?」
私「はい…」
輪島さん「そんな時はノーサンチュ―と言うんだよ!」
私「???」

今、思えば、この時が親父ギャグに嵌る第一歩であったのかもしれませんね!(爆)

その数年後、輪島さんは、確か夏場所で早々と休場して鶴岡入りしていた事があります。大阪からの移動は目立つので、わざわざ車で迎えに行ったのですから凄い事ですね。

親父が諸橋整形外科さんにお連れして、先生も即座に横綱のファンになり、
自宅で輪島さんにご馳走を振る舞いました。

そして、その後、筍沢温泉で数日湯治もしました。2,3日滞在したでしょうかね?

その後、一週間程、琴平荘の「しまだい」の間に潜伏!?していました(核爆)

一日だけ鶴岡市内に飲みに出掛け、天婦羅&寿司を食べたそうです。
芝楽さんだったと思います。

その帰りに、方面隊の検問に止められた時、方面隊員は横綱輪島さんと気付き、
興奮していたと言います(爆)

輪島さんの思い出は結構あります。

それこそ上京した時、大学生の相撲を一緒に観に行きました。

あの時は、藤島の石川孝志さんが出場していました。

石川さんは我らが酒田南高時代に国体で優勝をしています。

ほぼ拓大に内定しかけたところを、大どんでん返しで日大に進学するのでした。
その経緯については桂小金治にしておきます(謎)

石川さんが日大3年で決勝の相手は拓大の一つ上の舛田さん、後の桝田山関です。

桝田さんも高校横綱を取った実力者だった筈です。

奇しくも輪島さんと同じ石川県七尾市出身です。

見事石川さんが優勝したのでした。その二年後、輪島さんと同じ花籠部屋に入門し、私も花籠部屋を訪れた事があります。

輪島さんのファンで、将来は相撲取りになりたいなと一ミリ程度考えていましたが、稽古をみて一瞬で諦めたのを昨日の事のように覚えています(爆)

もしかしなくても脱線しました(確信犯爆)

っうか、ここまで三時間乙爆

話をマジで戻さないと泥酔です(爆)

大根の燻り漬が右端です。もしかして、店主は羽後県出身か?(笑)

そして、かなり美味しいと思って食べたソーセージ。

しかし、これがウインナーなのかフランクフルトなのかの判断はできませんでした。

ボロニアでは無い事だけは確かだと思うのですが…(苦笑)

そんな事ですが、余りにもオードブルのソーセージが美味しかったので、
盛り合わせを追加する事をお連れさんに打診。
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ご一緒させて貰った方が港町管内の企業に勤務なので、「そうせいじぃ~」くらいは言ってくれると思ったのですが、いつも真面目で困ります(爆)

駄洒落を言わせたら、私が勝ちます。ウイナー(爆)

そして、メインのテンダーロインです。

いやぁ~、これは旨い!

1分掛からずKK(爆)

対面の港町管内勤務の大御所は、食べ易く切られて提供された物にも、
更にナイフを入れブンハンにしてフォークで口に入れ、「うん、うん」と頷いて食べていました(爆)

っうか、それがマナーであるのは承知していますが、私は全てのマナーやエチケットに配慮して飲食したら絶対に最高の気分では食べる事ができません。

この日は提供されませんでしたが、スープにしても生温いものが提供される事があります。まあ、それはフレンチと言えばそれまでですが、スープの温いのは個人的には許されません。

いくら熱くても音を出さずに呑めます(爆)

自宅でポタージュスープを呑む時は、激熱を火傷しながら、更には涙を多少流しなら呑みます(爆)そちらの方が何倍も私は旨いと思います。

そんな感じなのです、「おかん」は私と洋食屋に行くのをとても嫌いますorz

テーブルマナーも分かりますが、お店や回りの人に迷惑を掛けない程度ならば、本人にとって一番美味しいと思う食べ方で食べたいものです。

箸は私には不可欠です。

そんな事ですが、この日は最高に美味しく頂きました(爆)
最高に美味しく頂いたと言う事は、行儀は良くなかったのでしょう(核爆)

ただ、概ねのお店でそうかもしれませんが、焼いた後に、2,3分は休ませているなと分析できる肉の温度に感じました。

私は休ませない熱々の焼き立ての肉を丸呑みした方が絶対に美味しいと思います(爆)

まあ、個人的には、休ませて美味しいと感じる物もあります。

魚では例外的に「真鰈」ですね!

焼き立ての熱々よりも、一息置いた方が魚の旨みを感じる事ができます。

このテンダーロインが、27円(g)と対面のダンディーな方は言っていました。しかもお店売りは全くの同じ部位で25円(g)です(仰天;)

100g焼いてくれるのに、200円しか焼き賃を取っていない事になります。

非常に良心的であると思います。

どう考えてもお店で焼いて貰って食べた方が良いと思います。

焼賃200円どころか、それに付け添いがあり、塩、ワサビ&醤油が付くのですから!

マジ再訪感は有り有りどころかモハメド・アリレベルです(タカさんノリさんわざわざゴ麺ナサイ爆)

金、土、日の週限定3日間営業のお店です。

いつでも食べる事ができないお店です。

故に「たま助」との店名なのでありましょう(爆)

少なくとも私はその様に解釈してしまいますが、恐らくは絶対に違うでしょう(爆)

金タカさんノリさん わざわざゴ麺ナサイノリさん わざわざゴ麺ナサイ
輪島さんに謹んで哀悼の意を表し、こちらのお店への再訪をお約束し
結びとします。