琴平岩=大筒場である。
大筒場とは異国船を警戒して大砲を設置した場所です。さて、金毘羅様のお宮と大砲とどちらが先であるのだろうか?
天保13年(1842年)荘内打払絵図(中村陽之介)には姥岩と記されています。
安政2年(1855年)の三瀬組地方絵図には、すでに大筒場と記されている。しかしながら、
絵図を見るとどうみてもお宮である。
幸いにも「三瀬出張一式」(池田吉之助)という古文書が図書館にありました。嘉永元年(1848年)の4月30日の朝に加茂の大庄屋から大砲を運び、人足30名、大工4名に当時の三瀬の大庄屋(尾形八郎冶)立ち合いで、神主を呼び、お宮を右の方に移したと書かれています
この中に琴平岩のことをババ岩と書いてありました。にっぽん地名紀行(本間信治)には、ババとは崩壊地形に付けられることが多いとありますし、地名語源辞典にも崖や急斜面という意味で書かれていました。
最初は地形からで、いつのまにかババ、ウバから、姥や乳母の当て字が付けられ
姥捨て山伝説が独り歩きしたものと考えられます。
ということで、大筒場よりは琴平岩の方が間違いなく先であることがお分かり頂けたと思います。
金毘羅様のお宮は、1843年~1847年の4年の間に立てられた公算は高いのではないでしょうかね。
地形的には合致しますので恐らくはそうではなかとの確信は出て来ますが…。
上記しましたが、姥捨て山ならぬ姥捨て岩ということになりますが、これはあくまでも伝承であってお年寄りを粗末にして捨てるという風習は勿論昔の鶴岡にもないようです。
鶴岡に関しては長生きして、藩からお米などの褒美を貰ったという記録は残っています。
取り敢えずは、琴平様のお宮は159年~163年の歴史があることになる筈です。現在は移されたお宮は気比神社境内に祭られています。
なんか纏まらず解り難くて申し訳ありません。