日本国の「サウザンドストーンや」さんに10時55分、シャッターです。
11時開店と勘違いされて来るお客様が多くいるので中々油断できませんよ!
この日も遠目から画像を撮って、余裕をぶっこいていると、
越後ナンバーの車が勢いよく入って来ました。
慌てて入口前まで走りPPゲットです(爆)
しかし、むんつげだものか?越後ナンバーの車は5秒で引き返して行きました(爆)
そんな次元の人間は私と半田屋主の二人だけだと思っていましたが、
越後にもその類の人間がいたのですかね?(核爆)
食事を終えた五十嵐君がお店から出て来たのが11時10分頃。
事情を説明すると、いつもの事だと言っていました。
私とは違う理由で引き返していると分析します(爆)
わざわざ食べたくてそのお店に来られて、20分、30分待っていられず引き返すのですから私にしてみれば信じられません。
ん?多少説得力に欠けるか?(核掛自爆)
余程時間に余裕が無い人なのでしょうね。
全部で三台も引き返しましたよ。
ただ、11時20分を過ぎると、引き返すこと無く
車内待機して待っているみたいです。
4、5台並んでいますが、車内待機です(仰天;)
シャッター長に命を懸けている私とはこれまた全く違う類の人達ですね(爆)
混まないうちに入れれば、二番でも三番でもOKと言う感覚なのでしょうかね?
まあ、時間にある程度余裕を持っている方達なのでしょう。
いつもの直王のおんちゃ英世拉麺です。
釣銭忘れの懸念も一ミリも無く安心です!
好意で前倒し入店させて貰うのですから、催促渡ししては絶対にいけません。
開店前は超多忙です。
黙っていてもスタッフ等が食券を受け取りに必ず来ます。
車内シャッターしている時は慌てずに待てて、店内に入り食券を購入すると
人間が変わってしまうお客さんをよく見掛けます(呆爆)
開店時間になる直前に奥さんが食券を取りに来てくれました。
「は~い、すみません」と言って食券を持って行きました。
私には、外内島、余目、或いは敦子、製管、クラッカー等ありますが、
全く打診はありません(爆)
セカンドさんは、食券を渡しながら「ストレート!」と大きな声で伝えておりました。
マジで立ち上がって握手したくなる程でした(爆)
しかし、その後はやや「チ」が優勢であった感じでしたorz
余りにも馬場こういちでありまして、奥さんにお声掛けし打診してみました(爆)
何と、その日によっても違うとは言っていましたが、半々くらいだと
言っていました(仰天;)
こちらを訪れるお客様の半分は人生で大きく損をしているものだと
気の毒な気持ちになりました(核爆)
でも、数字が全てです。
あとはいくら講釈しても無意味ですねorz
私も直接五十嵐君に聞いた訳でもないですが、その数字にはやや不本意であると憶測します。
商売だから、今、五十嵐君が選択させている事は賢明ではあるとは思います。
それしか言えません。
汗水流して稼いだお金で食べる訳ですから、納得の行くオーダーをして当然です。
ワンタンメン、ネギ増しです。
ストレート麺です。
私はこちらの方が好きですしか言えません(爆)
チャーシューです。講釈不要、飽きたでしょ?(爆)
ワンタンです。講釈不要、山形でしょ?もとい、飽きたでしょ?(爆)
KKです!
さて、遠征記が余りにも長く続きましたので地元食べ歩きを一つ挿みました。
今は週2で⑧さんにお世話になっています。
余りの人気で会員制をストップしている状態です。
シュガー学先生にもう少し頑張って貰い、態勢を多少変えて行ければ良いなと
信者の一人として思うところがあります。
そう言えば、待合室にラーメン特集の雑誌がありチラ見していると、
五十嵐君が麺武士会の会長に就任した様な記事を目にしました。
詳細を読み返そうとしたら「掛神さん!」って呼ばれてしまいました。
五十嵐君の『長』で私に記憶があるのが、高校一年の時、学級委員長で
あったのですよ!(爆)
しかし、毎日職員室に出入りしなければいけないのが嫌で、途中交代した経緯があります(核爆)
その後は別件で毎日の様に職員室に呼び出しをくらう五十嵐君でありました(爆)
担任の先生も入学式の日は「五十嵐君」と呼んでいたのに、
一週間で「五十嵐!」と呼び捨てする様になり、夏休み後の二学期からは、
「よいちぃ~!」と叫んでいるものでした(爆)
私は真面目に職員室に出頭し、回りの先生からも寄ってたかって説教を
受け、ただひたすら謝罪し反省の色を見せておりました(爆)
五十嵐君は職員室の前を通り、そのまま帰宅する事が多かったです(爆)
授業を全く受けず帰るのですよ(核爆)
私と五十嵐君は三年間同じクラスで担任の先生も三年間同じなのでありました(爆)
五十嵐君は大学に行く気がなかった為なのか?
高校時代に大学気分を体験したかったのかもしれませんね?(爆)
朝の朝礼は毎日短いものでした。朝礼を極々短くし、毎日の様に
誰かかれか職員室に呼ばれ、一時間目の授業までの間、説教を受けるので
ありました。
先生も五十嵐君から帰られて(逃げられて)は困るので、朝礼を早く切り上げて教室内で猛烈な説教をする作戦に替えて来た時もありました(爆)
五十嵐君だって、皆の見ている前で怒られたら気分も最悪です。説教が終わり、1時間目の教科担任が廊下で待機しているのですが、その後大体は爆睡するか、やはり帰ってしまうのでした(核爆)
女子はパーマ、化粧で呼ばれていましたね。スカートは即席で短くできましたが男子のズボンと学ランはどうにもなりません。
没収されて、学校の焼却炉で焼かれた事もあります(爆)
やはり没収処分は勿体ないので、登校してから着替えをして、放課後も着替えし直し下校した日々も数多くありました(爆)
女子のスカートですが、昔の人しか分からないと思いますが、
短くて怒られるのではなく、長くて怒られるのですよ(爆)
「松鶴家千とせ」でしょうね?(笑)
制服のミニスカートが流行りだしたのは、その後何年後かなど
一ミリも興味がなかったので分かりませんが、その年代で初めてミニを
穿いて登校したのが我らが港町サウスハイスクールにいました。
何と一つ下の女子です。昭和41年生まれでミニは最初と言っても
間違いの無いところだと思います。
名前はあえて書きませんが、城下町セカンドジュニアハイスクールの
女子です。可愛いと言うか超美人でありましたよ!
あと五十嵐君は、日頃勉強をほとんどしませんでしたが、
一度だけ傑作の弁論を書いています。
ここでも以前少し触れましたが、素晴らしい内容の文でクラスの
全員は立ち上がって喜び、拍手大喝采、涙を流して喜ぶクラスメイトも
いた程です。
あれだけの大作を書ける五十嵐君。やればできる事を証明した瞬間でもありました(爆)
満場一致でクラス代表に一旦はなり、全校での弁論大会での発表が決定したのですが、担任の先生が三年間で一番ぶち切れ却下されたのはクラスメイトなら誰しも生涯忘れる事はないでしょう(核爆)
「8月4日の蒸し暑い夏の夜…」で始まり、結びに「卒業式を覚えていろ!」と
安芸での悪夢の夜を綴っています。結びは決して殺人予告では無かった事を
私が保証します(爆)
まずは別の意味でのノーモアヒロシマを強調した文ではありましたがこれ以上の脱線をしても約1名しか喜ばないと思いますので割愛致します(爆)
そんな事で多少蛇足文になってはしまいましたが、五十嵐君の麺武士会会長での今後の活躍にも期待したいところであります。
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