2017年5月11日 木曜日

Beauty Parlor【ウィロウブリッジ】

この日は地元の柳橋さんにシャッターしました。
こちらのお店にお邪魔する時もほとんどがシャッターでシャッター長当たり前と言った感じであります(爆)

地元民の多くが、店舗前の橋を「柳橋」と勘違いしていると言います。
さにあらず!

分かる範囲で簡潔に書いてみようかと思います。

さて、まずは柳橋美容室さんの店舗前の橋は「かみばちばし」と言います。

三瀬の上町―荒町に架かる橋なので上町橋と命名されたのは自然の流れでありましょう。
まあ、逆に大滝鮮魚店さん側は荒町になっていますので「荒町橋」でも良かったものか!?(笑)

では柳橋って何処?
「柳橋」は大通り(県道)に架かります。

さて、それはともかくとして、なぜ上町橋の側で『柳橋美容室』と店名を付けたのか疑問を抱いた事がありました。

現在の主「石塚敦」氏は二代目、創業者は母上の節さん(既他界)です。

敦氏は、橋のすぐ側に柳の木が実際にあったのを記憶していると言います。
幼年時代に豪雨の際に橋が崩れ落ち、柳の木も根こそぎ流されて行ったのではないだろうかと言います。その後架けられたのが現在の「かみまちばし」です。

県道に架かる柳橋付近にしても、ヤナギは水分の多い土壌を好み、川岸や湿地などに生えているのは常識でもありますから柳の木があったものと考えられます。

さて、話は少し戻りますが、上町橋は昔「けまちばし」呼称であったと言います。

「かみまちばし」が「けまちばし」に訛ったのでしょうか?

さにあらず!の様であります。

「けまちばし」の由来は水無村の旦那衆が三瀬村で豪遊していた時代があります。

今は水無集落も三瀬ですが、大昔は三瀬村、水無村と分かれていました。
詳細は割愛しますが、水無村の「加藤」「斎藤」「鈴木」姓は尾浦(大浦)「武藤家」の
重家臣であったとも云われています。

三瀬には2つの木戸口がありますが、その内の一つがこちらです。

旦那衆が豪遊した帰りを、妻達が待っていたとも伝えられています。
「けまちばし」を解くと、「帰り待ち橋」ではなかったか?と言う事です。
帰り待ち橋→けいり待ち橋→けまち橋と訛ったという説がありますが、
この説にはいささか無理もあるんじゃなかと分析します。

さて、少し脱線はしてしまいましたが、なぜ敦氏のお母上(故節さん)が柳橋美容院と名付けて商売をしたかです。

敦氏から船橋の叔母様にわざわざ電話を掛け確認して貰いました(感謝)

叔母様曰く「親に橋の側に柳橋と言う料理屋があったと聞いた」と言います。
叔母様時代には既にその料理屋は廃業していたのでありますorz

勿論、料理屋は何軒かあったと文献に残っています。

実際には「片柳」と言う料理店で、栃木出身の金子なる人が経営していた説と
地元三瀬に経営者がいて、雇われ店主であったとの説がありますが定か
な事は文献には残っていません。

柳橋と言う料理屋以外に片柳と言う料理屋も存在したのかは
分かりませんが、文献に残っていないところをみると同一店であった可能性が非常に高いと思います。

現在の柳橋付近(下流)にもヤナギがあった為に、片方(上流)のヤナギのところに料理屋を開業すると言う事で「片柳」と店名を付けたのではないかと考えるのが妥当な気がします。

現在では旧道になっていますが、昔からの道、今の柳橋は新柳橋であって、
今の上町橋は、元祖柳橋であるものと考えるのが妥当でしょう。

地元のお年寄りも口を揃えて、現上町橋の方を「柳橋」だと力説します。

新柳橋が竣工したのが昭和37年と記録に残っています。

故節さんが開業したのは、新柳橋よりも前ですから辻褄が合います。

竣工時期を最初に調べれば、ここまで悩む必要もなかったのですが…(核掛自爆)

まあ、何を書きたかったと言えば、柳橋呼称はそのまま生かしておいて、
新道(現県道)に架ける橋に別の名前を付けていれば、ややこしくならなかったのではないかという事です。

親から子、子から孫への伝承ライン、そして、きちんと書き記して置くことが
どれだけ大切かを改めて痛感させられた事も然りであります。

さて、故節さんが、柳橋美容院を開業する前の石塚家は商店を経営していたとも聞きます。

敦氏は米等を販売したり、山五十川から山越えをして来た行商人と
物々交換をしたのではないか?と言っていました。

現在でも三瀬から山五十川に行くには、R7をまともに行くよりも、
山越え(林道)した方がショートカットになっています。

文献を調べてみると、米、専売塩、雑穀、薪、炭等を売っていた様です。
店名は柳橋では無く、【石塚辰治郎商店】です。

石塚敦家は、坂本屋(石塚亮氏)の「いもち」(分家)なのであります。

坂本屋さんから「石塚辰平」氏なるものが、自分立てしたのが始まりと言い
石塚敦家の屋号は「辰平」なのであります。

今の若い人達は「柳橋」が屋号みたいな感じで思っているかもしれませんが、
実は「辰平」が屋号なのであります。

今の世帯主は、それこそ敦氏ですが、その長男が『辰馬』君であります。
「辰」の字を受け継いでいますし、本当に良い名前を付けたなと感心している次第です

因みに私掛神家には残念ながら屋号はありません。
『琴平』が屋号みたいなものになってはいますが…(苦笑)

孫が誕生し「琴」の字を取って名前を付けるとすると?

長男なら「琴一」(爆)長女なら「琴乃」(爆)

いやぁ~、いくら何でも孫をそんな名前じゃ呼びたくないです(核爆)

さて、石塚家の元祖「辰平」さんが、下の写真の1番左手と言う話でした。
その隣のお子さんが辰治郎さんであろう!?との敦氏のお話でした。

これは石塚辰平家に、恐れ多い気比神社『頭屋』時の貴重な写真であります。
因みに、平成に入り二度目の頭屋も務めています(凄;)

うみゅ~(大汗;)もしかしてかなりの脱線か?(爆)

脱線ついでにもう少し書きますが、もう一つの木戸口は蔵田坂の上り口でありました。

笠取峠を下りて三瀬村に入ると、旅籠屋等が軒を連ねていました。

現在の坂本屋さんもこの坂を下りたところにありました。

地元の人で知らない人はまずいないでしょうが、坂本屋さんは石塚姓であり
坂本姓ではありません。

蔵田坂の元で旅籠屋を営んだので、坂本屋と名付けました。
坂下屋でも良かったと思いますが、「下」は転げ落ちるイメージもあり、
「本」の方がイメージ的に良かったからでありましょう。

明治九年の地図には、「石塚才吉」とあります。現在の経営者「亮氏」の
お母上は「才子」さんでお婿さんを取りました。因みに、亮氏のご両親は既に永眠されています。

下は看板にしたものです。

長嘉楼さんは、確か白幡長作氏と石塚嘉兵衛氏の共同経営であったと言います。

小料理と文献にはありますが、何か怪しい臭いがします(爆)
まあ、詳細にはあえて触れない事にしましょう(笑)

宿場町には当然遊女屋があった訳でありますが、間違いなく存在したところが
現在の鶴岡警察豊浦駐在所の側であります(爆)

今の90歳近くになるお年寄りが子供の頃には存在したと言います。

近くを通ろうとすると、親に怒られたと言います。

怒られると行ってみたくなるのが、今も昔も変わらない子供心(爆)

着物を着た派手はお姐さんがウロチョロしているのを確認したと言います。

さて、脱線してしまいましたが、開店時間になったので入店しましょう(爆)

主の敦氏です。ナイスガイであります。
歳は書けませんが、既に還暦祝いを過ぎ…(以下省略爆)


いやぁ~、アツシと名の付く人に悪い人はいません(爆)

天下の仁三郎のほぼ(副)船長も敦氏であります。

ただ、敦と淳は少し違うのかもしれませんorz

内儀の「みどり」さんです。

「みどり」と来れば、新緑の若葉、そして、五月みどりさんを思い浮かべます。

打診してみると、やはり皐月生まれでありました。
5月4日だと最高であったのですが、まことに惜しいです(一日違爆)

生年月日まで私は知っていますが、女性の年齢でもありますし割愛せざるを得ないでしょう(爆)

現在5●才です(核爆)

今でも綺麗な方ですが、敦氏のお嫁さんになった頃は、地元では
皆羨んだと云われています(笑)

保育園の送り迎えは、近くでもありましたし徒歩。
皆振り返って見たともまことしやかに伝えられております(核爆)

名前の色と同じく、緑色の服が似合ったとも云われていますが、
私は黄緑のシャツを着た時に最高に素敵だと見た事がありました。

シャツ黄緑(爆)

そんな事ですが、みどりさんはお、嫁さんに来る前から美容師でありました。

何と城下町管内に数店舗を持つ、天下の「やなぎ美容室」さんに勤めていたのです。

やなぎでは足りず、柳橋美容室に嫁ぐ事に相成ったと言います(爆)

理容組合と違い、美容の方の価格はかなり自由と言います。

何と子供のカットが1000円ですよ!地元の子供達が多く利用しています。
お江戸あたりで高級床屋を利用すると、子供でも10000円とか取られると
分析しますよ(爆)

因みに、我々レベルの頭のカットで2000円であります(驚;)

私のパーマネントウエーブなんかは福沢諭吉半人ですよ(仰天;)

それこそお江戸辺りの高級床屋など私は利用しません(爆)

そんな事ではありますが、誠に遺憾ながら素敵な笑顔を正面から撮らせて貰う事はNGでしたorz

地元の広報調査部にも取材を受けて、掲載されていましたが
顔出しはNGと言う事だったらしいです(苦笑)

敦氏の事で書き忘れましたが高卒後は、お江戸の某銀行に就職したのでありました(驚;)

いやぁ~、グリーンさんを実際に足を運んで見に行って欲しいのですが、
遠方からだと大変な方も多くいると存じます(爆)
ただ羽後県あたりからなら、ガソリン代を考えても親子で利用するとかすれば
お得だと思いますよ!(爆)先日の連休には私のところで番号札を取り、
ここで散髪してから来たお客さんもいたのですよ(核爆)

冗談抜きで、地元以外からもお客さんが来るのですから
凄い事です。2000円でカットできるのです。カットすれば自ずと
シャンプーも付き物です。

さて、私と同様柳橋信者になる人がいるものか?(爆)

折角なので、グリーンさんの少し以前の写真を探し出しましたので
紹介したいと思います(爆)っうか、以前載せた記憶があります(笑)

私に1番近い位置にいるのが「グリーン」さんです。

因みに1番右はミキティーです。

私のところを辞めて、山形銀子になり、
その後、信用金子になったと言います(爆)

せめて荘内銀子になって欲しかったというのが正直なところです(荘銀信者爆)

退職後は琴平荘子になってくれる事を今でも切に祈念しています。

「えっ!?冗談じゃない!?」と夫の真氏、豊中女バスヘッドコーチは言うかもしれません(爆)

私は冗談抜きで、ジョンソン、ペイトン、ストックトンでも良いと
思っています(意味不明爆)

更なる脱線になるといけませんので、ここでウ冠に元にしておいた方が良さそうです。

この後、⑧さんに直行し、サウザンドストーンさんでシャッター長を取った事を付け足しし糸偏に冬に致します(爆)

↓ こちらの記事も読まれています。


Warning: sprintf(): Too few arguments in /home/ishidsuka/sanze.jp/public_html/konpirasou/wp-content/themes/zacklive/library/underscores/template-tags.php on line 27
投稿
  1. 羽後塾長 says:

    さすが郷土歴史家の掛神大先生であります!
    入念な下調べとしっかりとした裏付け調査に感動です!!

    しかしそんな素晴らしい記述もすべて「シャツ黄緑」でぶっ飛びましたな(超ウケ核爆)

    柳橋さんの前をいつも通って御館まで行っているのですが、そんな歴史があったとは。
    たいへん勉強になりました。いつか立ち寄ってみたいと思います!

    先日の月曜日、床屋友達2名を連れてそちらに行ったことは社長も記憶に新しいことと思いますが、床屋業界もなかなか後継者問題他で大変らしいですね。大手チェーンも増えて来ていますし。
    これは私らの業界でも同じなのですが、大手には絶対に負けないという気概と個性を持って立ち向かわなければ、このままでは大波に飲まれてしまうのではという恐怖感すら抱いております。

    そんなわけで、今年も阪神巨人戦観に行って景気つけますよ(核爆)

    • 羽後塾長、毎度です!

      「シャツ黄緑」さえなければ、結構締まった記事になったかもしれませんが、
      やちゃいましたな!(爆)

      それこそ、柳橋さんの前を通るとはショートカットをしているのだすな!(笑)

      道が狭いし、事故防止の為にも今後は駅前を通った道からおいで下さい(核爆)

      床屋、塾、ラーメン店、後継者云々の以前に競争が激しいです!

      大手チェーンには絶対に負けてはいけません!

      大手でできない事を個性を出してやれば、必ず生き残れます!!!

      そんな訳ですが、今年の野球観戦は半信半疑です(爆)

      っうか、今年は正直無理です!既に予定が詰まっていて狼狽しているところです(嬉悲鳴爆)
      まあ、観戦したとしても「サヨナラ負け」で終わることでしょう(核爆)

      随分前からの約束の岩手行きには万障繰り合わせてお付き合いしたしますので、宜しく段取りをお願いします。

  2. 羽後県(愛と勇気と) says:

    掛神様
    こんばんは
    ちょうど今週、御荘で双六の図を見ながら知り合いと
    「なぜこのような街ができたんでしょうね?」 と歴史を鑑みたところでした.
     当時、釜谷トンネルは有りませんしし、笠取峠を越えるかギリギリ海側の岩場を廻るか
     しかなかったであろう・・財布に少し余裕があればS本屋で孟宗御前の腹ごしらえ,
     蕎麦っ喰い達は琴平岩の麓そば処で評判の麺をすするものであった、で概ね合意(笑
     ひとの足が止まる処に、賑わいは生まれるものでありましょう:
     

    • 羽後県さん、毎度です!

      釜谷トンネルはR7ができてからですね!釜谷は釜屋さんと解くのが自然かもしれません。
      塩を造っていたなごりでありましょう。

      継続の難しさ、歴史の重み、いやぁ~、商売は本当に大変です!

      100年後まで商売が継続し、そんな事を語って貰いたいものです。

      二人で、草葉の陰から覗いてみたいものですね(爆)

  3. 掛神社長!
    凄い大作です。
    シャツ黄緑
    のインパクトが計り知れません。

    先日友人の連れと語ったような
    三瀬界隈の歴史について、
    大好きな話てんこ盛りでした。
    もう今日は、早めに寝ます。
    おやすみなさいの
    おはようございますです^_^

    • 週一さん、毎度です!

      このような地元関連の記事に「大作」と言っていただき
      本当に嬉しく思います。

      三瀬は歴史ある、素晴らしい集落です。歴史の宝庫でもあります。
      例の双六も素晴らしいと思います。

      もし、興味がありましたらシーズンオフにでも宝庫の重要箇所をご案内しますよ!

コメントを残す