先週のお昼

この日は荘銀地元支店にシャッターをしました。

画像を撮っている間に、セカンドからごっつあんされるのかと懸念しましたが、
ATM利用者でした(爆)

これが本当のシャッターと言います(爆)

実際にシャッターが無いお店でも、開店前に並ぶ事はシャッターと言います。

ただ、銀行の開店時間前に並んで待つ事を「シャッターする」と言っている
者は全国でもほんの数人と分析します(憶測爆)

私の認識している人では、当然の助動詞で「半田屋主」であります(爆)

半田屋主を含め、その他にも私のところの超常連さんは、健康診断、運転免許証の書き換え、スーパー、ホームセンター等ありますが、そんなところでも
開店前に並ぶ事を「シャッター」呼称しています(核爆)

まあ、教員の新採用発表でも使用した大馬鹿者がいたのは昨年の話でありました(核掛自爆)

そんな事で、ロングバレイリバー支店長と喋り過ぎて、
大きく出遅れしました(爆)

お昼のシャッターをほぼ絶望かな?と、カレーか生蕎麦と思って、
向かったのがいつものお江戸庵さんであります。

10時59分の一応シャッターにはなりましたが、先客いれば外内島、余目の
大ざる(爆)いなければ中華そばと思い入店(爆)

大旦那(三代目)がTVの番人、国営の総合に齧りついていました(爆)
WBCの外国同士の決勝など一ミリも興味無し、ハイスクール野球甲子園大会も一ミリも興味無しとばかりにガン観しており、自論を述べておりました(笑)

アキエ氏の100万円寄付はあったのか?或いはなかったのか?

何れにしても、首相は心臓に悪いと思います(爆)

あったとしても、或いは、なかったとしても、アイム総理である事には違いないです(爆)

さて、WBC決勝に日本が進出していたら?或いは甲子園に地元鶴岡の高校が
代表で出場し試合中であったら?どこのチャンネルを観ていたものか?(笑)

その後、厨房に突入し戦闘モードに入りました。

セカンドさんが、TV前に陣取りましたが、チャンネルを換える事も無く、
国営総合を観る事も無く、新聞を読んでいました(爆)

老舗のお店は「チャーシューメン」で無いお店が多いと前回書きましたが、
こちらは「チャシュメン」になっています。

恐らくは、昔から多忙のお店で出前の電話が雨嵐状態なので、
「チャーシューメン」と言っていられない程多忙だったのだと分析します(爆)

「チャシュメン」と呼称したままをメニューに書いたのだと分析します(爆)

まあ、分かれば良いのですよ!

最近のメニューはこちらです。

「チャーシュウメン」です。店内掲示メニューと各テーブルに置いてあるメニューの書き方が違います(笑)

でも分かれば良いのです(爆)

私のところなんか、以前の暖簾が「支那そば」でメニューが「中華そば」
でした(爆)

それでもお客さんが分かれば良いのです。

暖簾はどこかのお店がキャンセルしたので、格安で仕入れたのが
「支那そば」でした。ただ、メニューは「中華そば」にしたかったのです。

そして、ラーメン処「琴平荘」にしていたら良かったって?

その話には乗れん!(爆)

そんなどちらでも良い様な事を考えていると、早くも着丼でありました。

大昔はデフォにも「ほうれん草」が載っていましたが、今は「チャーシューメン」と「五目そば」にだけ載っているそうです。

麺は?

勿論自家製麺であります。

蕎麦切りは三代目、中華麺は四代目が打つそうです。
蕎麦屋なら当然手打ち、或いは器械を使用しても自家製麺して当然でしょう!

こちらは食堂メニューで多数あり、自家製麺は中々容易では無いと
思うのですが、そこのあたりは本当に感心します。

蕎麦は当然手捏ねからの最後は包丁切り、中華麺だって他人任せにはしていられない!と言うのが伝わって来そうな迫力ある麺であります!

本当に素晴らしいと思います。

そう言えば、四代目は我々と同年でありまして、鶴の徽章ゴルフ大会にも
やっぱまっているとか言っていました(爆)

向太陽を目指すなら、メニューも「チャーシューメン」で統一した方が
上達の近道かもしれません(爆)

事ほど左様のほうれん草。
五目には体裁、チャーシューメンには野菜も摂る様にとの事でしょうか!?

前週のナルトと同様、全く邪魔になりません!
美味しいですよ。

そして、しんがりになりましたがチャーシューは?

一枚食べて、「チャーシューメンにして大正解!」と思いました。

いやぁ~、本当に旨い!

外モモ肉を使用でしょうか!?或いはランプなのか?

昔ながらのチャーシューと全然違います。

味もしっかり浸み込んでいますし、しっとりしていて肉の旨味が凝縮された感じです。

もしかして低温調理しているものか?まさか真空低温か?

とにかく、調理にかなり工夫されているのが分かります。

先週の内川に架かる橋、旧三日町橋(三雪橋)でありましたが、
内川に架かる橋の中のもう一つ、旧七日町橋(神楽橋)であります。

この神楽橋は江戸初期に架けられたらしいです。
当時は神楽橋の名は無く、架け替えされた明治9年に神楽橋と命名されました。
明治の初期に鶴ヶ岡城が取り壊されましたが、その廃材を利用したそうです。
ここは湯田川、加茂、温海の三方面へ超重要道路であり、
その出発点であったのです。

この神楽橋の命名に付いては諸説あるみたいですが、
近くに「出羽ホテル」と言うホテルがありました。
そのお隣が「大漁」と言う「ろばた焼き」がありましたが、
そんな話はどっちでも良い事です(爆)

この出羽ホテルは旧名「伊勢屋」と言う宿屋でありました。
七日町は三方面への出発点でもあったと述べましたが、
大昔は旅籠屋が数多くありました。

現在の七日町には1人としていないと思いますが、
大昔は春を売る女が多くいて手が付けられなかったと言います(核爆)

どうにもならなくなり、藩は春を売る宿を許可した容になったみたいです(爆)

最も古い商売が春を売る事だとの説もありますが、女性のみの商売です。
そして、今は春を買うもの者もいますからね(爆)

援助交際なる言い方もあるみたいですが、私には違いが全く理解できません。

まあ、中華そば、支那そば、ラーメンの違いよりもどうでも良い事です(核爆)

しかし、それより古い商売があるものか?

もしかしたら、打製石器職人でしょうか?(爆)

狩人に石器を売ったのが初ではないでしょうか?(笑)

狩人は獲った動物を石器職人に分ける。うみゅ~、お金が発生しないと
商売とは言わないものか?(爆)

そんな事で、この話とは違いますが、出羽ホテルの前身「伊勢屋」の
神楽を奉納して、橋の竣工を行ったとも云われている様です。

そんな事から神楽橋になると言う事は、伊勢屋さんの主が
橋の着工に当たって、かなりの寄付金でもされたものか?(謎)

個人で大金を出して橋を架けてしまう大金持ちも大昔は
多くいたそうです。

伊勢屋と言う事で、少々見栄を張ったものか?(爆)
恐らく、旅籠屋名からして経営者は伊勢の出身だと分析します。

先日ご紹介した、お江戸庵さんの向かいの泉屋さんも小池姓。小池姓と言えば
寺田集落です。寺田部落から七日町に移り店を始めたので、店名は
「寺田屋」で創業しています。

お江戸庵のお隣は、関根屋さんでありますから、関根部落の出身だと
分析します。

お江戸庵さんは城下町管内では超老舗であります。
創業大正2年です。

今の主は三代目、私の同年の後継者が四代目になる訳です。
本当に凄い事だなと改めて思う訳であります。

更にそれよりも古いのが、この川向かえにある『鷲田民蔵商店』さんであります。
七日町から橋を渡ると上肴町になります。大昔の上肴町の豪商です。

城下町管内では「風間様には及びも無いが、せめてなりたや鷲田様に…」
と思っていた平民は多くいたでしょうが、港町管内の様に「本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に…」までの次元ではなかったみたいです(爆)

それでも間違いなく富商であった事は事実なのであります。
鷲田民蔵(たみぞう)氏は、文政年間生まれで、幕末には味噌屋を開業させ、
明治2年に醤油の醸造も初めています。

そんな時代から鷲田姓を名乗れるのですから、貴族とか武士であったかもしれません。
お父上が『鷲田長兵衛』と言い、詳細は不明でありますが、
民蔵氏は、そのセカンドサンさんであったと言います。

勉学に励み、その後味噌造り、醤油造りに専念し懸命だったと思います。
兄を超えて天下を取るのは「わしだ!」と気合を入れたであろうと思います(爆)

鷲田民蔵商店の今の社長が六代目でありまして、専務(七代目)も後継者として頑張っています。

その七代目の造る「味噌」を私のところの「味噌そば」のベースにしております。

「味噌そば」の講釈や作り方の詳細を今一度説明したいのですが、
これ以上の脱線をしては如何なものか?と言う事で終わりにしたいと思います(爆)