蝦夷紀行記最終会

最後に残された大きな宿題。

長谷川JRのラーメンを食べずに津軽海峡を戻る訳にはいきません。

10時50分でシャッター長安牌と言われるも、信じる事ができずに
10時30分にシャッターを掛けます。

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直王も一緒にシャッターをして、シャッター長を取り、
セカンド、サードが女性一人ずつに驚きます。

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券売機!?

全然問題ありません。直王にお金を渡し、買って貰います(爆)

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時間が30分程狂っています(笑)

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長谷川JRから醤油を食べて貰いたいと言うので、私と直王は醤油。

「おかん」は塩にします。

待ちに待った醤油ラーメンです。

スープは一つ一つ、雪平鍋で加熱しているので激熱です。

いやぁ~、旨い!なまら旨いです。

長谷川さんの中華そばを始めて食べた時も唸りました。

鳥肌が立つほどの感動でしたが、今回はそれ以上の美味しさに感じました。

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麺は?麺も最高です。スープとのバランスが絶妙です。

長谷川さんと出会い、自家製麺を強く勧めました。
札幌は強力な製麺所が多くあり、自家製麺をしているお店は、
出会った時にもほとんど無いと長谷川さんから聞いていました。

「だからこそする価値があるんじゃないですか!」と力説したのが
昨日の事の様です。

パスタマシーンで遊びの麺を打つようになり、徐々に自家製麺の魅力に
興味を持ち出し始めたある日、毎日の様にメールのやり取りをする中に
「自家製麺をする必要が無くなりました!」との返信が来たのです(掛自爆)

訳を聞くと「知見さんの麺を使用したら、それを確信しました」でした。

そうです。『棣鄂』の麺のサンプルを使用した日の事です。

自家製麺をしていても、『棣鄂』の麺に替えるお店もある程なのです。

長谷川さんはもう少しのところでしたが、自家製麺に切り替える事は
無かったのです。

私は長谷川JRに言いました。「自家製麺なんて考えるんじゃないよ!」(核爆)

勿論、直王にも自家製麺は勧めません(爆)

そんな事で、『琴の』には製麺機屋、及び小麦粉業者の営業は
近寄らないで下さい(核爆)

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いやぁ~、本当に素晴らしい麺、そして、スープとのバランスです。
私のところも1度、知見さんから麺のサンプルを貰ってみようかな?(核爆)

っうか京都に何か忘れ物をして来た感じがするのです。
棣鄂と言う工場の中に何かを…(謎)
来期のシーズンオフはにはもう一丁京都か?(爆)
或いは、合宿で知見氏を独り占めにするかです(核爆)

さて、「おかん」の塩です。

油、相当に考えましたね!

長谷川さんの油と違う風味のするものです。

そして、ナンプラーの使い方が素晴らしいのかな?とも分析しました。
この塩にも大きなポイントがあると確信して帰って来ました。

高い旅費を使っています。ただ楽しかったでも良いのでしょうが、
やはり何か得るものがあるにこしたことは無い訳です。

転んでもただでは起きない!っうか転ぶときもただでは転ばないですな(核爆)

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醤油も塩も文句の付け様がない、私にとっては完璧なラーメンでした。
ここまで腕を上げていたのには参りました。

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ラーメンの味だけに関してみれば、長谷川さんを超えたと言っても
過言ではないと思います。

津軽海峡を越えた開店祝いのダルマが店内の様子をいつも見守っていると
言います。

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色々な思いもあり、私と長谷川さんの関係を熟知している人は
痘痕も笑窪と言うかもしれません。

しかし、そんなの全く抜きにしてもこれまで食べたラーメンの中で
一番感動したのは確かです。

来年も津軽海峡を越えたい。長谷川JRのラーメンも食べたい。
ネオコク食のラーメンも食べたい。しらふで彩未の奥氏ともっとお話したい(爆)キングスターにも行きたい(核爆)

色々な願望はあります。行けるかどうかは分かりません。

でも元気で生きていれば、二年後、三年後には必ず訪れなければ
いけない地であります。

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その時は、長谷川JRの事は我が子の様に可愛いのは当然。
しかし、一札幌のラーメン店主が作るラーメンだと頭を完全にリセット
して行くようにします。

その時も今回と同じような感動を与えるラーメンを提供してくれるものか今から楽しみなのであります。

長谷川JRならその期待を裏切る事はないと確信しています。

大親友長谷川さんが他界し、津軽海峡越えをやや躊躇気味になっていたのは確かです。

しかし、それは間違いだなと確信しました。このまま津軽海峡越えを全くしなかったとしたら、長谷川さんとは真の大親友ではなかったのでは?と言われる懸念を感じました。

思い、供養はどんな容でもできます。

しかしながら、やはり、たまには津軽海峡を越えてのガチの供養も大事です。

羽田―千歳以外をこれから勉強したいと思います。

事ほど左様で色々な事情、JR電車の思いがけない遅れが生じたのも
ありますし、呑みながら帰って来る様な次元ではありませんでしたorz

呑めずに帰って来たのですから、その時点でタラレバはありません(苦笑)

旅行は家に帰るまでが旅行です。

やはり、楽しかった思い出を振り返る為にも酔って帰宅したいものです(核爆)

蝦夷紀行記は事ほど左様で糸偏に冬であります!

この旅行で携わった全ての人に感謝、御礼申し上げる次第です。