センターポジションof奥州

前記事の続きその子になります!

朝食も取らずに、フラットスプリング管内のミドルリスペクトテンプルに向かいます。

盛岡三大麺で「じゃじゃ麺」「冷麺」「ワンコ蕎麦」がありますが、
な、何と小生は「じゃじゃ麺」は未食、ワンコ蕎麦も未食orz

冷麺だけが、盛岡駅前の兎舎で食べた事があります(爆)

徒然人さんは、冗談だったのでしょうがワンコ蕎麦くらいは体験して行った方が良いだすべ?と
勧めますが、こちらをガン見している方は分かると思いますが、私は犬派では無く猫派なのであります(爆)

200杯も食べれば、犬だって尻尾を振って喜ぶと思いますけどね!
ワンダフル!(爆)

多少苦しい気もしますので、まずは先に進みましょう!(笑)

徒然人さんは再訪と言いますが、隅から隅まで事細かにガン見していました。

金色堂見学には入場料が発生します。
奥州藤原氏、北の王者秀衡さんの亡き骸が納められています。

遺言により、嫡男(セカンドサン)泰衡さんが跡を継ぎましたが、
義経さんを大事にし守り固めるという遺言に背き、他の兄弟達をも裏切りました。

秀衡さんは、草葉の陰で「こんちくしょう」と言ったに違いないでしょう(爆)

「こんちくしょう」が訛り、変化していき「金色」になったのでは決してありません(核爆)

アダルト800円也ですなぁ~。
価値観はそれぞれ違いますが、私は正直、やや高過晋作かなと感じました。

大人(中学生以上)500円、子供は無料が妥当ではないかと感じて来ました。

駐車料金も400円も支払った「徒然人」さんは、抵抗なく入場券を購入するのですから、
大したものだと思います。

歴史に関しては、私とは次元が違う程興味を持っているものと分析しました。

まあ、社会科全般の授業をしなければいけないと言う職業柄も少しはあるとは
思いますが…。

せめて撮影できるならば、私は1000円でも高くは無い気がします。

何とかデジカメで録音してやろうかと一瞬思いましたが、意味の無い事に気付きます(核掛自爆)

現物よりもTVで見た方が良い物は多くありますが、こちらもそう感じました。

まあ、何れにしても素晴らしい物である事に違いはありません。

近くで松尾芭蕉さんが詠んだ句も案内されていました。

『五月雨の降り残してや光堂』です。

「金色堂」を「光堂」とするところが、芭蕉さんのセンスの良さなのでしょうか?

私は、俳句はからっきし駄目なので良くは分かりませんorz

奥の細道において、芭蕉さんの移動があまりにも早く、日数的にも合わないとの
事で忍者説もある程ですが真偽の程は私には分かりません。

ただ、一つ言える事は、芭蕉さんはブロガーであったのは確かだと思うのです(爆)

『五月雨をあつめて早し最上川』もそうですが、俳句は現在のツイッターであると分析します(核爆)

これはビッグストーンライスフィールド付近でツイートしたものでしょうかね?(爆)

本来は『五月雨を集めて涼し最上川』であったと言います。

五月雨をどのように理解するかだと思います。
旧暦の5月は今の6月ですから、梅雨がシトシトと降っているならば涼しでしょうし、
梅雨の終わり頃の大雨であれば早しなのでしょう!

眺めて詠んだのは「涼し」で実際に急流の舟下りを体験して、「早し」に変えたものなのでしょうか?
もしかして、駄洒落ブロガーであったものか?(核爆)

最上川の両岸に聳える杉の木をイメージし、
私ならば「五月雨を集めて林最上川」にします(爆)

奥の細道では無いですが、「古池や蛙飛び込む水の音」も有名過ぎる程ですが、
トウシロウの小生には平凡な句にしか感じません。
「最上川蛙飛び込む水の音」では余りにもお粗末か?(爆)
「最上川馬鹿が飛び込む水の音」ではどうか?(核爆)

まあ、何れにしても急流ならば「速し」が正解なのか?或いは、
「早し」にも速いの意味が含まれているものなのでしょうか?

歴史俳句どころか国語には更に弱い私には頭痛が痛いだけです(爆)

そして、義経さん終末の場と松尾芭蕉さんが句を詠んだところにも
案内をされますが、本堂を参拝するのを失念してしまいましたorz

何か半分損した気分になりましたよ。一言で表すと「中損寺」です(爆)

見晴らしの良いところです。

「夏草や兵どもが夢の跡」これはさすがに私でも知っています。

松尾さんは本当にここで詠んだでしょうか?
そうです!ここの場所でしょう(爆)

そして、義経堂であります。

『弁慶の立ち往生』と云われるところでしょうか?

死んだまま立っていられるのか?と疑問に思う人がほとんどでしょうが、
それを否定してしまうと、夢もメロン、もといロマンもゼロになります(爆)

薙刀に支えられていたかもしれませんし、死後硬直が起こっていたかもしれませんので、
出鱈目、嘘だと決めつけるのはナンセンスかもしれませんね!

そんな事よりも弁慶は架空の人物と云われていますがどうなのでしょうか?

私も文献を見た事は無いので一概には言えませんが、吾妻鏡に登場しているといいますので実際にいた人物と言えると思います。

少なくとも、弁慶みたいな人物は間違いなくいたと信じたいものです。

ただ、京都での義経さんとの決闘話は論外と見るべきでしょう!

弁慶さんは京都で千本の太刀を奪おうと道行く人を襲い、帯刀の武者と決闘して999本まで集めたが、
あと一本というところで、五条大橋で返り討ちに遭い降参してそれ以来義経さんの家来となったと云われていますが、あくまでも伝承というかフィクションで史実ではないでしょう。

999本がまずうさん臭いですよね?(爆)

あの小野小町さんへの「百夜通い」もあります。
99日連続で通い、100日目に雪で凍え息絶えるというものです。

気の毒な話ではありますが、雪で凍え死ぬのですから闘志が足りなかったのが問題だったものか?(爆)

美人と云われた小野小町さんですから、それに対する振られた男のやっかみじゃないかと思いますが、
穴無しとも云われていたそうです。

中々酷い話ではありますが、穴の無い針を「待ち針」と言います。

これは小町針から洒落た呼称だという説もある様ですね!

そんな事を徒然人さんに講釈していましいたが、あまり信じてはくれていなく、
ただの私の思い付き駄洒落だと分析していたみたいです(爆)

森田検索して、初めて信じてくれました(爆)

昔の人も駄洒落付き、或いはやっかみからの中傷や皮肉は大いにあったものなのでしょうね。

よく小町さんと逆みたいな感じの事は言われないで済んだと感心するばかりです。
義経さん種無し説を作る様な人は誰もいなかったという事になります(核爆)

『源苦労睾丸義経』(核掛自爆)

いやぁ~、完全に終わった気が自分でもします(核掛自爆)
そろそろこの記事も結びです。

そんな事ではありましたが、この日最高額のお賽銭を投入してお参りして来ました!

弁「殿、もはやこれまでで御座います!」
義「さらばじゃ、弁慶!後の世でもお前と一緒に過ごしたく思うぞ!」
弁「有難きお言葉、かたじけのう御座います!」

最後の主従のやりとりを想像します。

この後、義経さんは切腹して自害、弁慶さんは敵の矢が身体中に突き刺さり立ち往生したのでありましょう。

夢とロマンも分かります。判官贔屓も分かりますが、義経さんはここで終わっていると思いたいです。
潔い最期であったと思いたいです。その日が仮に週初めであったとしても終末なのです(爆)

もう、ここまでで十分です。
蝦夷大陸からモンゴル説を作るくらいなら、真冬に雪に埋められて最期を遂げた方が
まだましです(爆)

雪を積み上げ、穴を掘り、その後、秀衡さんも同じ最期であってこそ、
頼朝さんが開いたのが真の「かまくら」幕府と言えると思います(爆)

1192(イイクニ)創ろう鎌倉幕府も1185(イイハコ)に定説が替わったと言います。

良い箱形の鎌倉を作った!これでも試験も安心です(核爆)

しかし、こんな紛らわしい問題はそれこそ出るとも思えませんので、
良い子の中学生は覚えなくとも良いと思います。

正解は自分の教科書に書いてある年号です。

そんな話を徒然人さんと話しながら、お昼のラーメン店に向かいます。


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