では改めて書き直しです。
シーズンオフになると特にとん太さんはそうなのですが、食べに行った記事を全てアップすると、
他店を紹介できなくなってしまうのでかなり省略させて貰っていました。
まあ、羽後塾長からの指摘もありましたので、たまに連日同記事も良いかなと思い更新した次第です(爆)
ほぼ似た様な内容ですので興味の無い方はスルーされて下さい!(笑)
さて、この日もシャッターのお店を悩んでいる内に11時を回ってしまい、
慌ててこちらのお店にシャッターし、11時05分にシャッターを決めます。
もちろんPPゲットです。
お店によっても異なるとは思いますが、私はお店の入り口に並んだ順番で
一番先に並んだ人がシャッター長だと言う認識でいます。
開店前は本当に多忙です。シャッター車、或いはシャッター人をチェックできる余裕が無いお店がほとんどだと分析するからです。
順番を抜かした抜かされたで不愉快な気持ちになるのもさせるのも嫌なので、
1人で一番で行き、1人で一番で食べれば間違いは絶対に無しです。
今回も前回と同じ「釣り無し」で行く事にしました。
こちらのネギは間違い無いです。
夏ネギは硬いと文句を言われるお店も無いとは言えないなか、
こちらのお店では1度も苦情など無いと分析します(爆)
麺はストレート麺です。
縮れも選べます。勿論好みはあると思いますが絶対にストレートの方が合います。
合う製麺をプロの五十嵐君がしているからです。
以前は縮れ麺など一ミリも興味が無かった五十嵐君本人だったと思うのですが、
今は縮れにも相当力を入れているのが分かります。
どちらかチョイスできますし、自ずと打診して来ます。
以前はストレート麺がどうしても駄目な人はと謳っていたのですよ。
千石町時代からのファンは自ずと承知です。
小麦粉の配合も加水率もストレートと全く同じで出していたと言いますが、
今は小麦粉の配合もまるで別にして加水率もかなり違わせて工夫された麺になっていると分析します。
小麦粉の銘柄も全て店内に貼ってあります。
極上の肩ロースチャーシューです。
シンプルな味付けで最高に旨いです。
私の中では、以前デフォに付けられていたバラ巻きチャーシューは最強でありました。
それこそ最強のワンタンです。
200円アップですが、他店のワンタンメンに入るワンタンの二倍以上の重さはあると分析します。
このワンタンだけでも大盛りを食べた程の満腹感があるのです。
KK画像を撮り、席を立とうとすると、隣にお客さんが座って来て
「かげがみ君、頑張ってるのぉ~」と声を掛けて来たのです。
その方は、五十嵐君の父上の『与作』氏でありました(驚;)
この父上には絶対に頭が上がりません。
小さい頃から本当にお世話にもなりましたし迷惑も多大に掛けてしまい、
感謝とお詫びの気持ちでいっぱいなのです。
五十嵐君は小学校6年時に『蔵王行き駄々こき』事件を起こしています。
少し脱線するかもしれませんが、簡単に説明する事にしますね!
ラーメン記事以外興味の無い方は完全にスルーされて下さい!!!
八森山スキー場、朝日スキー場、羽黒山スキー場、湯殿山スキー場と
どんどんエスカレートして行く五十嵐君がとうとう全てのスキー場に飽きて
蔵王を目指すのでした(爆)
父上の与作氏に私と2人を蔵王に送って行けと言い出すのでありました(大汗;)
与作氏は、子供2人では危ないから無理だと言います。
「大丈夫だ!」の一点張りの五十嵐君(爆)
「俺達をスキーに連れて行け!」と連呼する五十嵐君です(爆)
私をスキーに連れてってなんて10年も後の話ですよ(爆)
五十嵐君のパクリですよ(核爆)
しかし、与作氏は子供2人を蔵王に置いて来る訳にも行かずにマジで狼狽した顔をしていましたよ。
結局は、五十嵐君のわがままに負けた与作氏は仕事を2日休んで私達2人を
蔵王に連れて行ってくれたのです。
三人で一緒の部屋に泊まりました。
与作氏の趣味はゴルフ、麻雀などでしたが、冬の蔵王で1人ではどうにもならず、
日中は宿でのんびりしていたのです。
のんびりどころか超退屈であったと思われます(気の毒;)
そして、私たちはやりたい放題です。
1日目に五十嵐君は横倉を攻めると言います(仰天;)
横倉の壁をマジで下りましたよ。
まともに滑ったのは最初の5メートル程だったと思います。
あとは背中で滑ったと言うか、止まらずに落ちてきたと言う表現が正しいでしょうかね?(自爆)
中学三年生、或いは大学受験を控えた学生等には絶対にお勧めできないコースです(爆)
滑るか落ちるかの何れかなのです(核爆)
羽後塾長の教え子全員を蔵王横倉コースに連れて行きますか?(核爆)
塾を廃業して、ついにラーメン店開業になる事必至ですな(超核爆)
まあ、本来はそんなふざけた様な事をぶっ飛ばしてこそなのですがね。
転んで骨折して受験会場に行く難儀を考えたら受験生は横倉の壁には挑まない方が賢明でしょう。何れにしても骨の折れる話ではあります(爆)
さて、負けず嫌いの五十嵐君が、夕食を食べている時に
与作氏に横倉の壁を攻略すると言い出します(爆)
夕食後、外に散歩に出掛けた時も「止めよう!」と五十嵐君に説得するのですが、
「いぃや、絶対に滑ってやる!」と闘志満々の五十嵐君でありました(大汗;)
到着した時から、街の臭いが気になっていました。
マジで異様な臭いでありました。何の臭いかは大体の人がお分かりでしょう(爆)
そして、8時までには宿に戻って来いと与作氏に言われていましたので、
散歩と言うか探検もほどほどにしなければいけなかったのですが、
随分歩いたところに何か気になる入り口がありました。
お化け屋敷の入り口でも無いのですが、本当に不明な入り口でした。
看板が相当に怪しく感じたので、五十嵐君と2人で忍び込みました。
扉の先まで見る事が出来なかったのですが、歓声に沸き拍手をして盛り上がっている様が分かりました。
扉を開こうとした瞬間、「ここは子供の来るところじゃない!」と、これまで
入り口にいなかった番人(受付)から喝を入れられ追い出されます(恐;)
懲りない五十嵐君は、再度覗き見しようと入り口を開けると、
同じ大人に怒鳴られ、追い掛けられそうになり必死で逃げました。
いやぁ~、恐ろしかったです。追い掛けて来ないのを確認した後は、
五十嵐君と手を繋いで宿まで走って逃げました。
六年男子が手を繋いで?これは同性愛と取られても仕方無いですかね?(爆)
しかし、我々が見たいのはお釜ではなく、あの扉の先の拍手をしていた
物なのです(爆)
今冷静になって考えると、あれはストリップ劇場であったと分析します(爆)
「拍手、拍手をお願いします!拍手をすれば踊り子さんも大ハッスル!」
みたいなアナウンスをしていたところではないでしょうかね?(核爆)
その夜にもう一つの事件も起こしていますが、脱線の脱線になってしまうので割愛します(爆)
小学校6年生二人がやる事ですから、大体は想像できますよね?(謎爆)
そんな事ではありましたが、与作氏は、翌日、私達2人にインストラクターをつけてくれたのです(驚;)
インストラクター付き添いで再度横倉の壁に挑む二人でしたが、攻略方を教えて貰うどころか
「危険だから連絡コースで下りて、下で見ていてね!」と言うインストラクターでありました(核爆)
いやぁ~、素晴らしい滑りで超感動しました。
私は感動すると共に、城北小学校ではスキーは相当自信のある方でありましたが上には上がある事を痛感。
スキーはこれをもって止めようと思い、諦め掛けていましたorz
って一体何を目指していたのか?(核爆)
既出ですが千石やの五十嵐君とは小学校二年からの大親友でありました。
小学校二年時も相当の事件を起こしていますが、今話す事ではないでしょ?(核爆)
五十嵐君とは、スキーのジャンパーを目指していたのです(マジ!)
そうです!
札幌オリンピックのノーマルヒルでゴールドメダルを獲った笠谷選手を目標にしていました。
あれから30年後、こんな姿で現地を訪れてもどうにもならない事ですよね?(核爆)
もし笠谷選手が「雪男」だったら、ラージヒルでもメダルを獲れていたのではないかと思うのです(爆)
あの当事は70メートル級と云われていたと思いますが、
5メートル級だとか10メートル級だとか適当な訳の分からぬジャンプ台を2人で地道に作りました。
これは勿論蔵王では無く、城下町公園内でありました(爆)
小学校二年の冬から、毎冬ジャンプ台を作り続けました。
ただ、スキーは4年生まではミニスキーと言うプラ製のスキーでした(爆)
一般ロードでのスキーは金糸メンマではありましたが、小島よしおでした。
ミニスキーでのロードの滑りはスケーティングを鍛えるものであったと認識しています。
そんな事ですが、ミニスキーでのジャンプ練習では笠谷選手をイメージしていました(爆)
飛ぶ寸前に「笠谷ぁ~!」と叫んで飛んでいましたよ(爆)
それこそ徐々にエキサイトして、笠谷選手の飛び方の真似をしたりして
バランスを大きく崩し、頭や背中で着地する事もありました(核自爆)
脳震盪気味になったり、背中を強く打ち付けて一瞬息が出来ない様な
事もありました。
五十嵐君が転んだまま立てないと、私が心配して「大丈夫だが?」と
駆け寄ります。勿論その逆の事もありました。
「俺はもう駄目だ!構わず行ってくれ!」みたいな事も何度か言いました。
まあ、この次元になると親友と言うよりも戦友でしょうか?(爆)
五十嵐君はモンテカルロで城下町公園の堀に落ちたのは
同級生の中でもよく知られた話ですが、スキーでも堀に落ちているのです(爆)
あそこは鶴岡高校の表門が見える山から堀に向かって滑っていた時です。
今はそんな事は全く無くなったと思われますが、堀全面に氷がはり
スケートリンク状態になる事が頻繁の時代でありました。
普通に滑っていれば問題無いのに、堀の隅から隅までスキーでスケーティングを始める五十嵐君です(爆)
「与一、危ねがらやめれ!」と言っているのに、「へっちゃらだ!」と調子こぐ五十嵐君でした(爆)
その数十秒後には、「あぁ~、嘘だろうぉ~」と堀に沈んで行く五十嵐君でした(核爆)
しかし、五十嵐君はそんなに慌てる事無く笑っていました(核爆)
私がストックを差し出し、手を貸して引き上げ成功し「やばちぃの~」と言いながら家に帰る五十嵐君でした(爆)
この落ちた堀と五十嵐君の自宅までは3分程の近所に住んでいたのもあるでしょうが、
慌てず焦らない姿には感服でした(爆)
そんな自宅でも与作氏と麻雀をさせて貰った事も思い出しました。
これはさすがに高校時代の話でありますよ。
夜に同級生が集合し徹夜マージャンをする予定でしたが、友達F君が宗教の会合やらとかでかなり遅れるとか?もしかしたら来れないとの事だったのです。
面子が1人足りなく、五十嵐君が父上の与作氏に
卓を囲ませるのでした(大汗;)
与作氏は庄交グループの中でも麻雀のプロと呼ばれる方であったのです。
結局F君は深夜になっても来る事はなかったのです。
脱走失敗したと分析します(爆)
そろそろ寝ると言う与作氏に対しても「いいがらもう少しつぎあえ!」と
無理を言う五十嵐君でした(爆)
最初は遊びながらやっていたと思われる与作氏ですが、
終盤では本気でやっているのが分かりました。
与作氏の上家に座っていた私はタンピン三色7700点をダマテンしていました。
対面の五十嵐君からリーチが掛かった瞬間、与作氏は「絶対に降りねぞ!」
と言い出し牌を伏せて、あたかもリーチを掛けたかの様に盲牌して河に捨てます。
まあ、ドラを鳴かせてしまった小生ですが、与作氏の河を見ても
清一色では無いと分かりました。
大した手では無いだろうし、五十嵐親子からウーパーソウが出て来るのは時間の問題だと思っていた時、与作氏が「ツモ!親っぱね!」と雄叫びを上げるのでした(爆)
確か私の上家の河にも三萬が捨てられていて、ラス牌をツモったのでありました(大汗;)
淳チャン三色ドラ三発6000オールでした(汗;)
いやぁ~、最悪ですなぁ~orz
自分の手に惚れて、ドラのイーピンを鳴かれてしまったのが全てです(苦笑)
このドラを捨てるタイミングが非常に難しいのです。
与作氏は巧みな麻雀を打つ方でした。
私は小さい頃から与作氏にお世話になっていましたので、名前に付いても
弄ったり小馬鹿にしたりなど絶対にした事が無かったのですが、
中学に入り間もなくだったと思いますが、北島サブチャソの「与作」と言う歌が大ヒットしました。
五十嵐君の父上が「与作」と言う名前を知っていたのは、城北小学校卒業者のみだったと思います。
卒業アルバムには、保護者の名前まで記されていた時代です。
特に仲の良いkuri等も弄ったりしていましたが、親友であった為に
五十嵐君は大目に見てはいたでしょうが、親友以外から弄られたりすると、
これは大変な事になるのでありました。
詳細はあえて書きませんが、誰だって父親の事を馬鹿にされたりしたら、
ただじゃ済まされませんよね?
ただじゃ済まなかったと言う事だけ書いておきます(謎恐爆)
与作氏に関する事では、まだまだ書きたい事が多々ありますが、
多少脱線したと思われますので、これ以上は割愛させて頂きます。
本当に五十嵐君とは色々な思い出があります。特に8歳~20歳くらいまでですが、
『墓場まで持参事件』も数多くあります(核爆)
その中にはkuriや羽後塾長にも話せない事件もあります(超核爆)
そんな事はともかく話を戻しましょう(爆)
この日も開店時刻からワラワラとお客さんがやって来ます。
奥さんやスタッフとの連係が素晴らしいです。
五十嵐君が作り、三人で手早くトッピング。
そして、二人が提供役です。
見事な連係だと見ていました。
そのお店の作り等で、全くやり方を変えないとスムーズに行かない事があります。
自分のお店でどの様に段取したらベストかを常に考えてやっているのでしょう。
これも食べ歩きしているからこそ見えてくるものがあると思います。
他店を食べて、味が良いとか口に合わなかっただけなら食べ歩きする意味など
無いと言っても過言ではないでしょう。
五十嵐君の調理、提供までを見ていると、色々なお店を見て来ていると
即座に分かるのでありました。
いやぁ~、羽後塾長のお陰で3時間の貴重な時間を潰してしまいました(爆)
もう、脱線話は直接伝えた方が早いと思う今日この頃です(核爆)
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