杜の都(復路)

それでは週一氏がしつこくせまる、杜の都復路の巻きを無理やり更新してみます(爆)

そして、結論から申し上げますとyutenさんの予想も大正解であります(笑)

そんな事ですが、帰りはどんなに急いでも18時30分は過ぎてしまいます。
今回は16時までは戻る段取でありましたので、飲み物も持参していなく
高速道路で爽購入は無理でありますorz

やはり、立ち寄ったのはこちらのお店です。

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そう言えば、月山道で「おかん」と話をしながら来たのですが、
セカンドドーターが大学から徒歩5分程のところに住んでいるのですが、
チャリンコを購入していたと言うのです。

セカンドドーターは教えた筈だと言いますが、「おかん」は聞いてないよぉ~と
オストリッチクラブみたいな事を言います(爆)

私も徒歩で楽に行けるところにアパートを借りたと思ったのに、
まさに絶句、杜甫(徒歩)でありました(爆)

さすがに千石やの五十嵐君は、杉原先生の授業はコンプリートで熟睡していたので分かる筈もないですが、私はいつも起きていました(爆)

1時間10分と言う長い授業の中で、5分程度は先生の話を聞いていました(核爆)
その時に覚えていたのが絶句杜甫であります(爆)

さて、セカンドドーターは通販、1万数千円で買ったと言います。
大学に通学する為でなく、食料を買出しに行く為の購入だと言っていました(笑)

さて、私の大学入学直後では、あるものを購入しました。

これから、セカンドドーターと私の大学入学後の比較をしてみましょう。
脱線は勿論承知であります(爆)

興味の無い方は、是非ともスルーされて下さい(爆)

まず、私は大学になぜ行ったのか?(謎)そこまで戻るのかい?(爆)

これは、親父が「大学で社会勉強をして来い!」と言う事からでありました。

私は本来大浦高校普通科を狙っていました。
即跡継ぎの覚悟でありました(マジ!)

さて、鶴の徽章ジュニアハイスクール時(三年時)の私の三教科の成績はこんな感じでありました。

英語は、ほぼ100点以外はありませんでした(ガチ)国語50点前後、
数学40点前後でありました(掛自爆)

合計点数190点前後でありましたので、大浦高校の普通科はギリギリでありましたorz 
ただ平均していないので非常に危険が危ない感じがしますね(爆)

私はどうしても大浦高校に入りたいので、商業科でも良いと思っていました。
商業科なら190点は安牌圏内でありました。

因みに、翌年から受験は5教科でありましたから、社会&理科はほぼ数学レベルでありましたので、合格できる高校は限られていたでしょう(苦笑)

1年遅く生まれたらマジで大変でしたorz

そんな事ではありましたが、進学なのになぜ商業科なのか?と、親父と担任に突っ込まれ(ほぼ親父の言い成り)結局は我が母校になった港町サウスハイスクールの特別進学科私立大学コースを単願で受験したのです。

受験当日は、相当に冷え込む日でありました。
それでも手が悴む様な水道水で顔を洗い気合を入れました。

やはりどちらにしても専願であった訳です(爆)

脱線の脱線になっても困りますので、話を元に戻しましょう!

いや、まだ戻すのは早いか?(爆)
なぜ、私が潔く跡継ぎをと思ったかは愛車購入の夢がありました。

免許取得した日から車に乗りたかった。好きな車に乗りたかったからです。
高校を卒業後にすぐに跡継ぎで社会人になればすぐに車に乗る事ができるからでした。

大学進学でそんな夢も絶望。
だから進学は正直したくなかったのです。

それでも大学を合格し運転免許証を取得したその日から、大学入学後に愛車を持つ夢を見ます!
あくまでも夢でありました。

しかし、それはイバラの道である事は誰もが承知でしょう。

愛車で大学に通学を夢みましたが、まずは当然ながら電車通学でした。
駅まで、飛んでも8分歩いても8分でした(爆)
汽車と言って、関東出身の学生達に笑われたのを今でも忘れません(爆)

さて、8分歩くのも嫌になり、通学一両日である物を購入します。

愛車を購入するには、いばらの道と言う事なので、それこそ
薔薇(バラ)と言うスクーター(原チャリ)を購入しました(爆)

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正直申し上げますと、この薔薇バイクは駅まで行く為のものでは無かったのです(謎)後からの話で自ずと判明します(笑)

実は大学進学が決まった瞬間に愛車購入を諦め掛けたのですが、
人生の大先輩に悪知恵を貰うのでありました。

大学に入学してもすぐに車を買える方法があると言うのです(驚;)

そのアドバイスが「ホストクラブ」でバイトするでありました(核爆)

実は引越しで、親父と「大おかん」が大家政子さんと契約し、
帰ったその日でありました(核爆)

当然外内島、大学の入学式まで数日あります。

私は小学校低学年時からチャルメラを作り、中学時代にはチャーハン、焼そば等も作り、高校時代になると、旨いか不味いかは別にしても店屋物の大体は作れるようになっていました。

勿論米も研いでご飯を炊く事など朝飯前でした(爆)

この度の私も「おかん」も親馬鹿こん畜生でありますが、「大おかん」も、
そうだったのです(爆)まあ、普通の親なら皆そうでしょう(笑)

「大おかん」は帰る日の午後2時頃に米を2合研いで、しかも炊飯のスイッチを押して私のアパートを後にして行きました(爆)

1時間弱して、ご飯武田商店(爆)

確か象印の三合炊き器でありました。虎の炊き立てであったらアパートでご飯を食べたかもしれません(嘘核爆)

折角炊けたご飯ですから掻き混ぜて、炊飯器から取り出し
タオルを掛けてアパートを出ます。

向かった先は東武東上線終点のブクロ駅であります。

素直な私は人生の大先輩のアドバス通りに、ブクロのホストクラブに面接であります(核爆)

まだこの頃、親父と「大おかん」は埼玉~栃木の途中であったと
思われます(核爆)

ブクロのホストクラブ、名前は忘れてしまいました。
「ナイト&…」だったかな?多分違うと思います。

マジで勤務した訳でも無いので忘れてしまいました(苦笑)

抑えの為に、二枚の履歴書を書いて面接に行っての一軒目であります。

履歴書を見た支配人「いつから来る事ができますか?」
掛「明日、いえ、今日からでも大丈夫です!」
支配人「そうですか!では、今日からしますか?」
掛「はい、宜しくお願いします」
支配人「一応、見習い期間でダンスの講習が三ヶ月程あります」(大汗;)
掛「やっぱり、明日からでも大丈夫ですか?」(核爆)

「ダンスなんて聞いてないぞ!三ヶ月もダンスの練習しても車なんか買えない!」と自らに言い聞かせ、ばっくれました(超核爆)

当たり前ですが、翌日から出勤する訳もありません。

現在のシャッター長失敗ではないですが、次ぎを既に考えていました(核爆)

駄目元で向かったのが、ジュクのホストクラブでありました。

しかしながら、どこでどう間違ったのか?
歌舞伎町二丁目と新宿二丁目を間違ってしまったのです(超核掛自爆)

大きなハコの店内を思い浮かべていましたが、
極々小さいハコのお店でありましたorz

恐る恐る面接を受けます。

面接人「今日から働けますか?」
掛「はい、大丈夫ですが…」
面接人「お客様は男性のお客様も外国人のお客様も来ますので宜しくお願いします」(超汗;爆)
掛「やっぱり、今日は早めに帰らなければ行けないので、明日からでも大丈夫ですか?」(超嘘爆)

面接中に、中年の外人さんと若い男がお店から外へと出て行くのを確認したのです(核爆)
高校を卒業したばかりの小生にも何か違和感があり怪しい雰囲気であるのが分かりました(核爆)

男のお客様も来ますと言う事で嫌な予感がし、ばっくれて来たのでありました(爆)

両店舗に面接に行きまして嘘も方便、何とか逃げて来たのでありました。

「巧く行かないなぁ~、そんなに巧く行く筈も無いよなぁ~」と呟き東上線に乗りアパートに戻る事にしました。

駅からアパートまで歩く途中に色々な事を考えました。
やはり一攫千金なんて無理。「ホストなんて、自分の顔をよく見ろよ!」とマジで自分に言い聞かせました(核爆)

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ダンスを踊るなんて無理、タンスを運ぶ運送屋助手でもしようかな?(爆)
或いは、駅前にあった「つぼ八」で地道にバイトしようかなと真剣に考えながら歩いていました。

マジ、もう一枚の履歴書があれば即面接に訪れた勢いでした。
さすがに段取八分屋の私でも三枚は…orz

ただ、それほど早く車を買う資金が欲しかったのです。

翌日に履歴書を書いて「つぼ八」で面接しようと決心しました(マジ)

しかし、その帰り道に私を待っていたものは一体?(謎核爆)

一攫千金と夢みたホストを諦め居酒屋で地道にと言う、
途方に暮れた訳でも無いですが、意気消沈して歩いていると、
いきなりキャバレーの呼び込みに捕まります(汗;)

今、気づきましたが超脱線したのではないですか?(超ウルトラ核掛自爆)

その後、「なるみ」さんで唐揚げ等を食べて帰宅しました。
爽のボトルも入れましたよ!

いやぁ~、本当に旨かったです!

『仙台=櫛引』ですね(爆)